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【経済】こどももおとなも、そして国家にとっても成長っていいことだと思う

子供が生まれてしばらくになるが、日々ちょっとした成長をしている娘の姿を見るのは楽しいものである。
生まれて間もないころにはぼやぼやと目を開けるくらいのものだったが、数か月もたてば自分でじたばた動いたり、「あーうー」などと発声するようになる。最近になって哺乳瓶を自分でもってミルクを飲むようになった。すごいものである。

親というのは子供の成長を見るのを心底楽しみにしている。
人が成長し、できないことができるようになったり、発した言葉にこちらが驚いたり、そんな一瞬を見ることに喜びをおぼえる。
赤ちゃんの成長の過程は厳しい道のりである。どたばた暴れても上手に足も動かず、何か物をつかむことすらままならない。言ってしまえば努力と失敗の連続である。

そんな失敗をしながらもあくなき挑戦を続ける子供の様子を見ていて思ったことがあった。
それは、私は私自身の成長を喜べているのだろうかということである。

漫画でも努力をして成長して成功するストーリーというのはよくある。そういうものを読みながら「いいねえ」とコンテンツをめぐる話に花を咲かせることもしばしばだ。
しかし不思議なもので、人が努力をして成長していく様子を見るのは楽しみであっても、自分自身が努力をして成長することには、どこか努力がおっくうになって、その先にある成長をあきらめることがある。これは真摯に反省しなくてはならない。

では少し目線を広げてみて、社会の成長(=発展)という見方をしてみるとどうだろう。国家となるといろんな意見が出てきて、「日本は人口が減っておりこれ以上の成長は無理」と諦める人もいる。

これは、赤ちゃんであればあーうーなどと言い続けることを良しとし、大人であっても現状維持を求めるという姿勢にほかならない。人間にたとえて考えればすぐわかるが「社会が成長の限界を迎えている」というのは悲劇的な見立てでもある。

でもそんな「成長は限界」という発想がなんとなく妥当性を持ってしまう理由の一つは、私たちが長らく成長というものを知らずに生きてきた面があるのだと思う。
いま30代の人たちは「ゆとり世代」なんて言われる。そして同時に、この日本は「失われた30年」などと呼ばれるわけだ。つまり、生まれたころから発展の何たるかを知らず、実感があまりにもない。

海外なんかに行くと、これから発展しようとしている国がある。やけに発展したビルと、しょぼい家が同じ町に並列に並んでいる様子なんかを見たりすると、発展途上というのは実に面白いものだと痛感する。国だって、成長していくほうが面白いんじゃないかと私は思う。

私たちも赤ちゃんも、今までできなかったことができるようになったり、知らなかったことを知ったりして、昨日の自分とは違う自分になることは成長そのものであり、そしてそれは面白いはずだ。
安らかな今を維持し続けることも時には大事だけれども、面白そうな成長をすべくちょっとした努力を積み重ねる日々が、私たちの未来の日本を作っていくのかもしれない。
私自身も、そして国も停滞という安寧を享受しつづけるばかりではならんということは、まだ何らものを知らない娘が教えてくれているのである。

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