内定を蹴って固まる決意もある

今は昔、就職活動ではメディア業界を主に受けていた私であるが、メディア業界といってもいろんな企業がある。出版社、新聞社、ラジオ局、テレビ局、広告代理店、テレビや広告の制作会社などだ。

就活でいろいろ苦労していた私ではあるのだが、実はあるテレビの制作会社から「ぜひ来てくれないか」と内定承諾を迫られたことがあった。

当時は内定がない身であったので悩んだのだが、結果的に私は断った。

理由は大きく分けると2つだ。
1つは、その会社が作っていた番組がほとんどバラエティ番組ばかりであり、エンタメコンテンツを社会に向けて作り出すことを生業にできる気が私にはしなかったからだ。

そしてもう1つは、そもそも自分自身が映像を通じて伝えたいのか文字を通じて伝えたいのかのいずれかを考えたとき、文字だなと直感したことがある。

映像は感情のメディアである。それだけに強い影響力を持ち、人間から冷静さを奪ってしまうことがある。
文字は稚拙な論理や主張がすぐにばれる。そして簡単に見返して主張を吟味することが簡単であるから、冷めやすい。
私個人として社会に必要だと考えるのは後者だったわけである。

目の前にぶらさげられた「にんじん」を追って意志を失ってしまうと、結局人生で歩みたい道からそれてしまったり、最終的に後悔するのだろうなと、曲がりなりにも記者になったいま思う。

人生は選択の連続から成り立っている。おそらく、おいしそうな餌が目の前にあるときだからこそ、原点にある己の意志を顧みることが大事なのだ、という教訓だったのだろう。

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