Kei Ogino

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    Oljato のミニアルバム "Pale Blue Dot" 収録曲の歌詞・和訳。

記事一覧

実際に会ったことのないオンライン上の友達

 実際に会ったことのないオンライン上の友達がいる。インドネシア在住のリサというインドネシア人女性で、インスタグラムでたまにメッセージを送り合うだけの緩い交流がか…

Kei Ogino
5日前
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HPが圧倒的に増えたけれど防御力はそのままみたいな状況

 「若い頃は体の傷の治りは早いが、心の傷が癒えるのには時間が掛かる。年を重ねるごとにこれは逆になっていく」。どこで聞くなり見るなり読むなりしたのか忘れてしまった…

Kei Ogino
12日前
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悪人なのか善人なのか判然としない描かれ方

 初対面の人と手っ取り早く仲良くなる方法として「共通の知人の悪口」があるが、これは結構広く認知されている通説である。不平不満を吐露する時に人は切実になり、具体的…

Kei Ogino
2週間前
1

人の声の魅力はAIには絶対に再現できない

 ここ数ヶ月くらい、AIを使った音楽制作を行ってきた。様々なアーティストのスタイルを模倣した曲をまず作り、歌詞を書き、それを歌い、最後に歌声をRVCという声変換ツー…

Kei Ogino
3週間前
3

世の若者の常として時間なんて無限にあるものだと錯覚していた

 大学時代、僕は実家からキャンパスまで通っていた。バスとJRと地下鉄を乗り継いで片道で二時間くらい掛かった。親の金で定期券を買っていたのでその膨大な交通費について…

Kei Ogino
1か月前
2

完全に放置された状態の極太眉毛がかなり野生的だった

 自炊でカレーをよく作る。普通に好きなのだけれど特に大好物というわけではなく、簡単で大量に作れるからである。スパイスから調合するほどの情熱はないので市販のルーを…

Kei Ogino
1か月前
1

ファッションセンスに乏しい人ほど服装にこだわりが強い

 伝えたいことを適切に伝えるためには、その前後の文脈を上手く説明する必要がある。肝心な部分だけを切り取ることはできない。短距離走の前にはストレッチやウォーミング…

Kei Ogino
1か月前
5

電話で上司を呼ばれた

 食券機で料金を支払うタイプの飲食店でよくお釣りを取り忘れる。普段はクレジットカードを紐付けてあるスマホのタッチ決済で全ての会計を済ませているので、お釣りをもら…

Kei Ogino
1か月前
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別に理解せずとも「そういうもの」として受け入れておく

 数年前から使っているバックパックの隅の方に"Designed in NY"という小さなプリントがある。おそらく洗練されている印象を商品に与えたかったのだと想像するのだけど、別…

Kei Ogino
2か月前
1

初対面の人と険悪な雰囲気になった

 今日、クリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』を見てきた。公開されたばかりの映画をすぐに見に行くのはかなり久しぶりだった。この映画は実在する人物や史実に…

Kei Ogino
2か月前
3

頭の中に他人の思想や主張が流されているような感覚

 基本的に集中する時には音楽を聴かない。僕は歌ったりギターを弾いたり作詞作曲をするので、音楽を聴いている時は音楽に集中する傾向があり、他のことを同時進行でできな…

Kei Ogino
2か月前
2

逃げるというか休憩するという発想

 昔からあまり「旅行がしたい」と思ったことがない。もちろんそれなりに色々な場所へと旅行はしてきているのだけれど、その大抵には具体的な目的が先にある。この場所に行…

Kei Ogino
2か月前
1

無重力空間へ行くような命懸けの行為

 英語に「ロケット・サイエンスじゃないんだから」という慣用表現がある。「そんなに難しいことじゃないよ」というようなニュアンスで、何かを説明したり誰かを諭す場面な…

Kei Ogino
3か月前
1

沢山飲んでも酔えないのは愉快ではない

 最近になって酒への興味・関心が薄れてきた。もともと家で一人で飲むようなこともあまり無ければ、飲み会にも積極的に参加する方ではなかったのだけれど、最近では意識的…

Kei Ogino
3か月前
3

クレジットカードを拾ったことがある

 書くことがないので「書くことがない」ということについて書く。まず大前提として、生きている限り書くことがない訳がない。それは単に書くことを見つける視点か、あるい…

Kei Ogino
3か月前
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カメラの前で喋るのは簡単ではない

 カメラの前で喋るのは簡単ではない。僕は一定期間YouTubeを顔出しで続けてきているのだけれど、未だにはっきりと「嫌い」だと感じる。理由はパッと思いつくだけでも108個…

Kei Ogino
3か月前
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実際に会ったことのないオンライン上の友達

 実際に会ったことのないオンライン上の友達がいる。インドネシア在住のリサというインドネシア人女性で、インスタグラムでたまにメッセージを送り合うだけの緩い交流がかれこれ五年くらいになる。ちょっと不思議な縁で繋がったのだけれど、英語が使えなければこういう出会いはなかった。  コロナウィルスが世界的に大流行する一年位前の時期、僕はワーキングホリデーでオーストラリアに行くために日本で英語学習をしていた。英会話教室に一応通っていたのだけれど、そこでは単に日常会話をするだけだったので、

HPが圧倒的に増えたけれど防御力はそのままみたいな状況

 「若い頃は体の傷の治りは早いが、心の傷が癒えるのには時間が掛かる。年を重ねるごとにこれは逆になっていく」。どこで聞くなり見るなり読むなりしたのか忘れてしまったのだけれど、この人生の酸いも甘いも知っていそうな誰かの格言というか教訓を知った時の僕は十代後半くらいだった。「そういうものか」と意のままに感心させられた。  年を取ると身体的な疲労に敏感になることはよく語られる。連日のデスクワークで肩や腰が重いとか、子供の運動会で張り切り過ぎて怪我をしたとか、深酒すると翌朝にも倦怠感が

悪人なのか善人なのか判然としない描かれ方

 初対面の人と手っ取り早く仲良くなる方法として「共通の知人の悪口」があるが、これは結構広く認知されている通説である。不平不満を吐露する時に人は切実になり、具体的なエピソードがいくつも出てくるものだ。それに対して逆説的に同じようなことを表しているのが「大切な人やものは失うまでそのありがたみに気付かない」という一般論である。どんな種類の恩恵もそれが継続していると慣れてしまうもので、常日頃から同じ人や事柄に感謝し続けるのは容易ではない。  そして言うまでもないが、善悪や良し悪しの判

人の声の魅力はAIには絶対に再現できない

 ここ数ヶ月くらい、AIを使った音楽制作を行ってきた。様々なアーティストのスタイルを模倣した曲をまず作り、歌詞を書き、それを歌い、最後に歌声をRVCという声変換ツールで変えるのである。僕はもともとメタル系のバンド出身なのだけれど、ポップスやロック、ヒップホップなど一通りのジャンルをこれまで扱ってきた。  当初はAIを使っておらず、"How To Series"と称して色々なアーティストのスタイルを真似した曲を作っていた。「勝手に〇〇の新曲作ってみた」というコンセプトで制作過程

世の若者の常として時間なんて無限にあるものだと錯覚していた

 大学時代、僕は実家からキャンパスまで通っていた。バスとJRと地下鉄を乗り継いで片道で二時間くらい掛かった。親の金で定期券を買っていたのでその膨大な交通費についてはあまり考えなかったが、時間がもったいないという感覚が当初は強くあった。毎日のように数時間をただの移動に費やすことで人生における貴重な学生時代を磨耗している気がした。  しかし、それにも次第に慣れていった。世の若者の常として時間なんて無限にあるものだと錯覚していたので、その価値を低く見積もっていたのだ。通学時間中、僕

完全に放置された状態の極太眉毛がかなり野生的だった

 自炊でカレーをよく作る。普通に好きなのだけれど特に大好物というわけではなく、簡単で大量に作れるからである。スパイスから調合するほどの情熱はないので市販のルーをいつも使っており、バーモントカレーの甘口でバターチキンカレーを作るか、ジャワカレーの中辛で豚肉のカレーを作る二パターンに大体分けられる。後者にはハーブのオレガノをふんだんに投入する。というとなんだか玄人っぽいが、このオレガノは結構「それっぽい」雰囲気をお手軽に演出してくれるので便利である。額に赤い点さえ書けば立派なイン

ファッションセンスに乏しい人ほど服装にこだわりが強い

 伝えたいことを適切に伝えるためには、その前後の文脈を上手く説明する必要がある。肝心な部分だけを切り取ることはできない。短距離走の前にはストレッチやウォーミングアップなどの準備運動があるし、ゴール地点で急に静止せずに減速しながら少し流して走るのと同じだ。もちろん単刀直入に本題だけを伝えた方が良い場面は会話においてはよくある。しかし、文章にはある程度の起承転結が要求される。少なくとも僕はnoteに投稿する際、なぜ自分がそう考えるかに至ったかが分かるような具体的なエピソードや根拠

電話で上司を呼ばれた

 食券機で料金を支払うタイプの飲食店でよくお釣りを取り忘れる。普段はクレジットカードを紐付けてあるスマホのタッチ決済で全ての会計を済ませているので、お釣りをもらうという発想がほとんど無くなっているのである。メニューを選んでお金を払った時点で思考が停止するのだろう。食券と同時にお釣りが出てくる場合は問題ないのだけれど、お釣り返却用のレバーやボタンが付いているタイプだと、余計なアクションがもう一つ必要なので気付けない。店員さんに「取り忘れてましたよ」と後から渡してもらったことが何

別に理解せずとも「そういうもの」として受け入れておく

 数年前から使っているバックパックの隅の方に"Designed in NY"という小さなプリントがある。おそらく洗練されている印象を商品に与えたかったのだと想像するのだけど、別に教えてくれなくても良いと個人的には感じる。それをあえて主張することで生産地はNYではないと明白になるし、ちゃんと同じところに"But made in China"とか書いておけよと思う。別に恥じることではない。一昔前と比べると、今は中国製の製品が粗悪だという時代でもなくなってきている。  僕はデザイン

初対面の人と険悪な雰囲気になった

 今日、クリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』を見てきた。公開されたばかりの映画をすぐに見に行くのはかなり久しぶりだった。この映画は実在する人物や史実に基づいていることもあり、ノーラン作品に特有の複雑な構成や伏線回収なんかは鳴りを潜めている。しかし、なにしろ長尺で重いテーマを扱っているので、僕はまだ頭の中で内容を処理している途中である。それに加えてこれから観る人も多いだろうから、感想やネタバレは一切書かない。  僕は十代の後半くらいに『メメント』を初めて見た。よく分

頭の中に他人の思想や主張が流されているような感覚

 基本的に集中する時には音楽を聴かない。僕は歌ったりギターを弾いたり作詞作曲をするので、音楽を聴いている時は音楽に集中する傾向があり、他のことを同時進行でできないからである。この文章を書いている今も聴いていないし、学生時代に試験勉強や課題に取り組む際にもいつも無音の状態でやっていた。  もちろん例外はある。筋トレや料理をしている時のように、多少は頭を使わなければならないけれどある程度ルーティーン化されている作業の際には、いつもAirPodsで何かしら聴いている。メタルを聴きな

逃げるというか休憩するという発想

 昔からあまり「旅行がしたい」と思ったことがない。もちろんそれなりに色々な場所へと旅行はしてきているのだけれど、その大抵には具体的な目的が先にある。この場所に行きたい、これを体験したい、これを食べたいというような理由がまずあって、そのついでに周辺で寄り道をするというパターンがほとんどだ。「いや、旅行ってのは得てしてそういうものだろ」という気もするけれど、かなり漠然と「どこかへ行きたい」とだけ思っている人は結構多い。旅行がしたいという目的で旅行をするのである。  それは逆説的に

無重力空間へ行くような命懸けの行為

 英語に「ロケット・サイエンスじゃないんだから」という慣用表現がある。「そんなに難しいことじゃないよ」というようなニュアンスで、何かを説明したり誰かを諭す場面なんかで用いられる。ちょっと冗談っぽくその場の緊張を緩和させるような表現で、たしかに宇宙工学の複雑さに比べたら身の回りの大抵のことは単純である。一般人にはそんな途方もない時間と莫大な資金を掛けたプロジェクトと携わる機会はまずないし、無重力空間へ行くような命懸けの行為とも縁がないだろう。もちろん僕にもない。  それでも、

沢山飲んでも酔えないのは愉快ではない

 最近になって酒への興味・関心が薄れてきた。もともと家で一人で飲むようなこともあまり無ければ、飲み会にも積極的に参加する方ではなかったのだけれど、最近では意識的に辞めようかと考え始めている。年齢を重ねたこともあってか、ちゃんと節度をもって飲んだ翌日にも微妙な体調の変化で生産性が落ちる気がするからだ。眉毛をちょっとミスったみたいな感じで、大したことはないしいずれすぐ元通りになるのだけれど、なんとなく気分は乗らなくなる。そんな状況はできるだけ避けたい。それに僕には趣味としてワイン

クレジットカードを拾ったことがある

 書くことがないので「書くことがない」ということについて書く。まず大前提として、生きている限り書くことがない訳がない。それは単に書くことを見つける視点か、あるいは書くという能力そのものの欠落を示しているだけで、この世の中にはトピックが溢れている。怠慢もいい加減にしろという話だ。  勿論、瞬間的な感情として書くことがないと感じるのは自然である。「百万円落ちてないかなあ」と同じレベルの発想だ。そんな馬鹿げた発想が頭をよぎる人間は、疲れているか混乱しているか馬鹿かいずれか二つの組み

カメラの前で喋るのは簡単ではない

 カメラの前で喋るのは簡単ではない。僕は一定期間YouTubeを顔出しで続けてきているのだけれど、未だにはっきりと「嫌い」だと感じる。理由はパッと思いつくだけでも108個ぐらいある。というのは言い過ぎだとしても、体感としてそれくらい苦痛な作業なのだ。テスト勉強中に部屋の掃除が捗るのと全く同様に、僕はトーク部分の撮影前に延々と片付けを始めてしまい気付けば卒業アルバムを眺めている。  それなら辞めてしまえという話なのだけれど、一定の目的を達成したら辞める(というか方向性を変える)