Kei Ogino

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    July 2022 -

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    Oljatoのミニアルバム"Pale Blue Dot"収録曲の歌詞・和訳。

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あまりにも有名過ぎて通ってこなかった作品

 先日、ずっと読まなければならないと感じていた『百年の孤独』をついに読んだ。厨二心をくすぐるなんとも格好良いタイトルである。ノーベル文学賞受賞者のガブリエル・ガルシア・マルケスの世界的な名著で、長らく日本では異様に分厚いハードカバーしか存在しなかったのだが、少し前に文庫化されたので手に取ってみたのだった。近日中にNetflixでドラマ版が公開されるようだ。あちこちで小難しい考察・解説や他人の感想に触れる前に、自分の考えをまとめるためにこの記事を書いている。  率直な感想は「

    • 「俗世間とは一線を画する俺」というブランディング

       未だにiPhone 8を使っている。僕の認識が間違っていなければ、ホームボタンが付いている最後のモデルである。これを買った時にはiPhone 12くらいまでが発売されていたので、その時点で既にかなり型落ちしていた。その前に使っていたiPhone 6のカメラのレンズに傷が付き、全ての写真の同じ箇所に同じ歪みがあるのに気付いて仕方なく新調したのだった。契約している格安SIMのプランは月額980円の最低レベルの通信量のもので、それで特に困ってはいない。電子決済やグーグルマップなど

      • 良いものは真似され続け、世に浸透するほどに起源からは遠ざかる

         ロレックスのデザインを真似た時計は多い。丸パクリしたおもちゃみたいなファッション時計は山ほど溢れているし、ある程度歴史があるような老舗ブランドもデザインを模倣している。特にデイトナやサブマリーナのような人気モデルのデザインは、もはやパブリックドメインみたいになっていると言っても過言ではない。  おそらくそのようなロレックスを真似た時計を使っている層の中には、それがなんのオマージュなのかもよく分かっていない人が一定数いるだろう。これはなにも時計に限定せずとも、ファッションや芸

        • そこから先を真剣に聞く気が一瞬のうちに失せる

           最近色々なメディアで「解像度」という表現を見たり聞いたりするようになった。自分の考えや計画・構想などを他者にも伝わるように言語化したり具体化することを「解像度を上げる」と表し、逆に曖昧で抽象的な状態だと「解像度が低い」とされるのだ。調べなくとも文脈で容易に意味の察しがついたので、単に一つの例えとして秀逸だと初見では感じた。誰もがスマホやパソコンでなんらかの画像を毎日見ているのだから、ピクセル数や画素数や解像度を混同していようとも意味はなんとなく伝わる。  しかし、あまりにあ

        あまりにも有名過ぎて通ってこなかった作品

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        記事

          叫びたいほど懐かしい

           少年時代から高校を出るくらいまでの自転車が主な移動手段だった頃の夏、僕はコンビニや自動販売機で飲み物を買う時にはいつも炭酸飲料を選んだ。傾向としてコンビニではサイダー、コーラ、ファンタみたいな有名どころを、自動販売機ではデカビタC、リアルゴールド、ライフガードのようなエナジードリンクっぽいマイナーなものを好んでいた。炭酸を買うのは放課後や休みの日に何人かの友達と一緒に遊んでいる時が大半で、特にそれほど喉が渇いている訳でもなかった。なんとなくあの喉越しを欲してしまうのである。

          叫びたいほど懐かしい

          どれだけ歩いても端に辿り着かない

           二十代半ばで上京した際、小金井公園の目の前に住んでいた。アパートの敷地内から走り幅跳びでもすれば届くくらいの距離である。二十三区内では家賃が高い割に狭い部屋しかなく、郊外で探していた結果たまたま見つけた物件だった。特にその周辺の土地には縁もゆかりもなかった。僕は日課のように小金井公園を散歩したものだが、その広さにはいつも驚かされた。というか、規模や全容を把握することが全然できなかった。なにせどれだけ歩いても端に辿り着かないのである。  自然豊かな園内には野球場、テニスコート

          どれだけ歩いても端に辿り着かない

          後悔がないということは結果にも勝る

           ちょっとしたタイミングの妙に小さく感動することがある。自宅から目的地まで車で運転する際に一度も赤信号で止まらなかったり、久しぶりに連絡してご飯でも行こうかと思っていた友達からラインがきたり、ほんの些細なことなのだけれど縁を感じたりする。  もちろんその逆もまた然りだ。行列に並んだ末に自分の目の前でコロッケが売り切れたり、思い立って行ってみた古着屋がたまたま臨時休業していたりする。そのような時、不思議とあえて別日に改めて訪れようとも思わないことが間々ある。多分本当には求めてい

          後悔がないということは結果にも勝る

          ありとあらゆる物事の上達に通ずるこの世の真理

           最近ジムに通い始めた。トレーニングやランニング自体はもう十年ほど続けているのだけど、基本的にはずっと自宅や外で独自に行ってきた。しかしそれにも限界を感じて久しかった。一定のレベルに長い間留まっている気がし、現状打破したくなったのである。実は以前にも近所のジムに入っていた時期はあったものの、引っ越しのタイミングで退会した後にコロナウィルスが流行し、復帰するタイミングをずっと逃していた。  当然ながら専用のマシンや設備を使うとトレーニングの効率は格段に上がる。これまでずっと現状

          ありとあらゆる物事の上達に通ずるこの世の真理

          全ての人間がすべからく性格が悪い

           性格が悪いとはどういうことだろうかとたまに考える。この表現はメディアにおいてはいわゆる毒舌系のタレントや芸人なんかに対してしばしば用いられ、日常においては学校や職場などで身勝手だったり横柄な言動の目立つ人物が対象となる。そのコミュニティ内での多数派に属していないような、言わば出る杭である場合が多い印象だ。  しかし誰を性格の悪い人間として認識するかには個人差があり、「あいつウザくない?」「え、良い人じゃん」みたいなすれ違いは間々発生する。まあそこまで直接的でないにせよ、特に

          全ての人間がすべからく性格が悪い

          シェイクスピア並みに韻を踏もうと言葉を繰り続けている

           ずっと週一で日曜日に記事を投稿してきたのだけど、この記事で百週連続となるらしい。なぜそんなことが分かるのかというと、投稿する度にnoteが教えてくれるからだ。あまり週単位でものを考えていないので換算してみると、百週間は七百日であり二年と三十日でもある。特に意味はない。現役時代のイチローがインタビューで、特定の期間内での日米平均安打数だか盗塁数の記録を達成したと伝えられた際に「そんな記録があったことすら知りませんでした」と答えたのを思い出す。  あるいはこの数字は誤りで実際に

          シェイクスピア並みに韻を踏もうと言葉を繰り続けている

          傘に替わる雨具を開発すれば大儲けできる

           ちょっと前のオードリーのオールナイトニッポンで傘に関する話題があった。AIが台頭して久しいこの文明社会において、どうしてこれほど不完全な雨具がまかり通っているのかという内容だった。現代の最新技術を駆使すれば、半径数十センチくらいの範囲の雨粒をガードするバリアというかオーラみたいな装置くらい開発できるのではないかと。この何世紀にもわたって繰り返されているであろう永遠のテーマのお約束通り、傘に替わる雨具を開発すれば大儲けできるというような結論に起結していた。  例に漏れず、僕も

          傘に替わる雨具を開発すれば大儲けできる

          勿論口には出さないが多分態度には出ている

           フリーランスで働いていると平日と休日の概念が薄れる。平日の仕事中も隙さえあれば趣味に時間を費やすし、週末に遊んでいる合間にも仕事があれば関係なく対応する。というかむしろ何かと混雑を避けられる平日に個人的な予定を入れることの方が多くなり、週末はずっと家に引きこもって仕事をしている傾向がある。しかし世の中の過半数以上の人はそんな風に生活していないので、臨機応変に対応する必要が生まれてくる。オンとオフの切り替えがなくなるというよりは、スイッチをずっとカチカチ押しまくっていると表現

          勿論口には出さないが多分態度には出ている

          映画を通して見られなくなってきている

           映画を通して見られなくなってきている。ネットフリックスやアマゾンプライムで面白そうな作品をみつけても、見始めてから三十分もすると一旦他の作業をしてしまう。何度か中断を挟んだり時には日を跨いだりしながらやっとエンドロールまで辿り着くこともあるけれど、途中で見るのを止めてしまうことも最近は多い。「どうせ寝落ちするだろうな」と思いながら睡眠導入のBGMとして再生する時なんかは、最後まで見る気が初めから無い場合だってある。  昔はもっと熱心に作品を探しては食い入るように鑑賞していた

          映画を通して見られなくなってきている

          根暗で猫背で友達のいないネット民

           よくインターネット上で挙げられる教師の残虐な行為として「はい、じゃあグループ作って〜」という強制イベントの施行がある。学生側に課される多大なストレスに対し、発言する側は結構カジュアルな場合が多い。  大学時代、何かの講義でこのイベントが発生した。僕は近くに座っていたという理由だけで、全く面識のない女の子二人と同じグループになった。講義の内容については完全に忘れてしまったのだけど、その時は事前に与えられていた課題を発表してお互いに評価するという形式だった。発表後にはそれぞれに

          根暗で猫背で友達のいないネット民

          人生におけるちょっとした伏線回収みたいな瞬間

           2006年のM-1の敗者復活枠にお笑いコンビのライセンスが出た。当時中学生だった僕はテレビの生放送で見ていたのだけれど、その際に披露されたドラえもんのネタが個人的に好きだった。翌日には学校で友達と話しながら彼らが敗退したことを惜しんだ記憶がある。  それから十年以上の月日が流れたある時、不意にそのネタが懐かしくなってYouTubeで見直してみた。当時と変わらず面白く感じたのだけれど、一つの表現がとても印象に残った。渋谷系のドラえもんという設定の中で、ジャイアンが「クラブで皿

          人生におけるちょっとした伏線回収みたいな瞬間

          小さなおじさんを見た

           怪談や不思議な体験として「小さなおじさんを見た」というエピソードが語られることがある。一昔前の奇抜な売り出し路線のアイドルとか、個人占い師がついているような風水とかオーラに凝っている中堅タレントなんかが話していた印象だ。怖いというよりはどこかコミカルなエピソードだけれど、不特定多数の人間が似たような経験を語るのはちょっと滑稽である。  僕はちょっと前にこの話の元ネタらしきものをたまたま見つけた。レプラコーン (leprechaun) というアイルランドの伝承に登場する妖精で

          小さなおじさんを見た