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映画を通して見られなくなってきている

 映画を通して見られなくなってきている。ネットフリックスやアマゾンプライムで面白そうな作品をみつけても、見始めてから三十分もすると一旦他の作業をしてしまう。何度か中断を挟んだり時には日を跨いだりしながらやっとエンドロールまで辿り着くこともあるけれど、途中で見るのを止めてしまうことも最近は多い。「どうせ寝落ちするだろうな」と思いながら睡眠導入のBGMとして再生する時なんかは、最後まで見る気が初めから無い場合だってある。
 昔はもっと熱心に作品を探しては食い入るように鑑賞していたので、この心境の変化に気付いた当初はちょっとショックだった。昨今のTikTokに代表されるようなショート動画の台頭で叫ばれる映画離れの波に、自分もとうとう飲まれかけているのかと危機感を抱いた。しかし今では、「そういうものだ」という認識に達している。DVDを借りにいくという文化が廃れ、より手軽にサブスクで見られるようになったのだから、映画やドラマに対する向き合い方が変わるのは自然である。日常生活において長時間作品に没入するのを前提としていないだけで、当たり前だが今でも映画館に行けば中断せずに最後まで見られる。映画を見たいという欲求自体は失くなっていない。

 考えてもみればこれは読書ならもう少し当然のことである。もちろん集中して一冊を一気に読んでしまうこともあるが、基本的にはある程度断続的に時間を掛けて数日を要する場合がほとんどだ。なんならあえて一度に少しずつだけ読み進めることだってある。自分のために書かれたかと錯覚するような素晴らしい小説に出会うと、楽しみにとっておきたくなるのだ。時間の経過が物語の隙間に挟まれることで想像や感傷の余地が増え、その作品はより個人的で特別なものになる。
 ちなみに最後にそんな小説に出会ったのは五年くらい前のことである。ポール・オースターという作家の『ムーン・パレス』という青春小説で、僕は読み進めながらも「読み終わりたくない」とずっと感じていた。

 その点、音楽は一曲が数分で終わる。長い時間を要する映画や小説とは異なり、何度も繰り返し聴くことがある程度前提とされている。ゆえにサビのように一曲の中で同じパートを反復して印象付けるのが効果的となる。一日中あるいは数日にわたって同じ曲を延々とリピートで聴いたり、あるいはコマーシャルソングのちょっとしたワンフレーズがずっと頭の中に残り続けたりした経験は誰にでもあるだろう。
 数ヶ月前、僕は取り憑かれたようにハリー・スタイルズの"As It Was"を聴いていたし、直近のSpotifyのリピート・リストの一番上にはウィット・ローリーの"Tiny Shiny Objects"がある。大衆的なポップスから皮肉に満ちたラップまで、何がその瞬間の自分を捉らえるのかは本当に分からない。これは映画と小説も同じである。

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