私が私であるために
暗くて寒い部屋の中で、布団をかぶってスマホだけを見続けた日々を過ごした。
落ちて、落ちて、落ちきったとき、私を支えてくれたのは音楽や美しいものやお笑いだった。生きていくのに必要最低限のものではないかもしれないそれらは、私にとっては生きていくための糧だ。
今でも、何かのきっかけであのときと同じくらい落ちそうになる瞬間がある。だけどぐっと堪えて、ふらふらと先の見えないトンネルに迷ったような私を導く光にしたがって進む。
もがいて苦しんでぐちゃぐちゃに絡まっても、前を向けばそこにある希望のような光に、支えられて何とかやってこれた。
ずっしりと重い身体をもちあげて、メイクをして、お気に入りの洋服を纏って、やっとの思いで’私’を保つ。
嫌なことから逃げてばかりでは駄目なこと、私はまだ頑張れること、赤い血が流れ続ける限りそれは生きている証拠だということ、全部教えてくれた’出会い’は大袈裟に言えば運命のようなものだ。
「こんな精神状態でも、私まだ笑えたんだなあ」
そう気づかせてくれたおかげで今がある。
音楽を聴く楽しみを、演奏する楽しみを、絵画をみる感動を、美味しいものを食べる感動を、少しずつ取り戻していった。
本来、感受性を褒められた子供だったではないか。
かつてピアノを習っていた。
いろいろあってやめてしまったけれど、もう一度がんばってみたいと思って働いてお金を貯めて自分のピアノを買った。
「あのあたりから段々狂った歯車を、今のうちに軌道修正できてよかったんだ」
こんな風に、ポジティブに考えれるようになったのも、みんなのおかげなんだよ。ピュアな気持ちと、驚くくらいの熱量と、感動をくれたよね。
1人でライブに行ったのは、初めてだった。残高も確認せず、一枚のチケットを申し込んだ。たまたま、もう行けるのがその日程しかなくて、家から行ける距離で、何なら近くて。
偶然だと思う?
あの時の私は、そうは思えなかった。何かに縋らなきゃ、綱渡り状態の私が、その日までは何が何でも耐えてやると決めれたから。
それは夢のような時間で、汗も涙も混ざって溶けて無我夢中に箱の中で歌った。私はこの瞬間のために、この人たちのために、ここまで生きてきたのだと本気で思ったほどだ。
存在自体がだんだん私の中で大きくなっていって、大切なものになっていった。
きっと、私が私であるために必要な存在なんだよね。
ありがとう。
幼い頃の負けず嫌いを、取り戻してやりたいと思っている。憧れだけで終わらない、終われないからだ。いっそなら追いついてやろうって目標みたいなものもできて、ちょうどいいじゃないか。
だから私は今日もメイクを研究するし、音楽を聴き続けるし、動画を作るし、noteを書いて、ピアノも弾いて、時々料理もする。いろんなことにチャレンジして、何でもやるだけやってみる。
先に光が見える間は、そこまで私のペースで飛んでみるよ。
だからもう少し待っていて。