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40の手習いどころでない話

 再就職もできてしばらく経ち、改めて思う事を今回は書きます。

1.転職?再就職?

 転職と再就職の違いって何でしょうね?。
 一つはブランクが関わるかと思います。失業、実家の自営の手伝い、家庭に入った等です。

 第二新卒という言葉も10年ほど前にできた感じがします。
 護送船団方式の入社。数年やそれこそ1年未満での転職は、むしろ難しかったのではないでしょうか?。できたとしても、グレードの落ちる転職しかなかったように思えます。当時エンジニアで、中途となれば、今もそうですが、即戦力経験者でしたから、たかが1・2年の経験者を雇う会社は、あってもグレードが落ちる下層下請けしかなかったように思えます。
 それが、今変わってきたのは、第二新卒という枠を企業が作ったことにより、改めての扱いとして入社枠を設けるようになったことです。
 こうなると転職というより、やり直しの機会をくれたとも取れるでしょう。

 話がずれてしまいましたw。

2.益々ミドルの転職・再就職は増えていくけれど

「働き方」という言葉は、数年前から出ておりました。
 コロナにより、その認識と就業体制が、一気に広まったと感じてます。
 数年前、その手の活動をされている方を、ネットでそこかしこで見る事がありましたが、当時は「まず無理だろう」と思っていたことが、今では当然にようにその方達の地道な行動を無視して、政府や各企業が、先陣切って取り組んでいるかのような状況と感じております。
 そして、それを理由に、子育てや介護をしている人に対しても、「うちは実施している」と広告めいた採用合戦にまで発展してます。

 ですが、実態はどうでしょうか?。
 ほとんどテレワークは進んでおらず、子育てや介護を伴った就業を可能にしている企業は、あまりないように感じます。

 他方で、定年60歳が65歳としている企業も増えてきてますが、それとて多くの企業が取り組んでない事が、今回の転職(数年前からですが)でわかりました。
 また、65歳定年制を設けても、実質年収が大幅に下がる契約社員扱いです。無収入であるよりはましですが、仕事内容がかわらないまま、労働時間もかわらないまま、果たして得なのでしょうか?。

 そんな再雇用制度ですが、年金までの収入補填としての意味合いが強いと感じます。
 救済措置を設けだした一方で、新卒世代は、就職氷河期世代から減っております。
 これを(前職企業のように)認識しておらず、あまつさえ昭和の青田買いのように、若手社員に採用活動を促しては、「何故集まらないのか!」と言う昭和世代上層部がいるのも事実です。
 集まらない以上は、年齢撤廃で採用するしかないのですが、年功序列が邪魔をしている。
 結果、集まらない。
 魅力もないので、若手も集まらない。
 人海戦術経営にいつまでも頼っている。
 その為、既存社員にはサービス残業か、賞与も減る。
 結果、既存社員の会社離れが生じている。

 会社の経営状況が悪く、リストラとなる。
 あるいは、収入減でどうにかしたい。
 家計を助けたい。
 そう思って働きたくとも、50,60代の働き口がない。
 そんな感じではないでしょうか?。

 旧来の企業では、未だに60,70代が上層部として採用官としてもおります。幾ら年下でも昭和の年功序列の考えがある以上、雇って貰えるのが難しい。若手が多いベンチャーにおいても、二回りも上の人を安く取ろうといや気概がなければ、経営のスピードに慣れないという考えで、やはり採用がないのではないでしょうか?。

3.全てをあてはめようとするから齟齬がおきる

 65歳定年制といった救済措置を講じたとしても、他方で、未だに新卒が大きく減っているという認識も持てずに、採用活動をしている企業が多くありように感じてます。

 年功序列のまま採用しようとするから、集まらない。
 撤廃すればいいのです。
 そもそも年故序列で上がってきた全ての管理職に管理能力があるのかと。また中小ともなれば、名ばかり管理職で、いつまでも現場作業をしているだけの人もいる。
 前職を例に挙げれば、わかりもしないのにIT業務にいつまでも兼務で入り込み、余計な作業を増やす始末。
 文卒の総合職を間接部門に回すならば、エンジニアと管理職経験のある方を引き抜いて、情シスを作ってほしかったと。

 同じ労働時間で、同じ仕事をこなさせようとするから適任者不在となる。
 働き方にも通じますが、全社員が9時18時で仕事させる必要があるのでしょうか?。一部は非正規労働でもいいはずであり、再雇用者で安く取りたいならば、短時間でシェアできるよう複数取れば済む業務もあるはず。

4.40の手習いとは昔は言いましたが

 うだうだと書きましたが、本題として、昭和の頃は、40の手習いなんて言葉を聞きもしました。
 サラリーマン人生60歳ですし、年功序列が当然でしたから、40過ぎれば管理職、中小なら幹部は普通だったでしょう。
 そのような世代で、一から何かを学ぶというのは、そうそうなかったはず。よって、その頃から自身のキャリアを捨てて(あるいはプラスの為に)、新しい事を学ぶというのは、勇気がある事で、気力体力もはたして続くかという世代だったからこそ、この言葉の重みはできたのでしょう。

 ですが、40、50代でも転職は普通にできる時代です。
 定年後に全くの異業種異職種で働く人も普通におります。

 「40どころではなく、50,60でも新しい事を学ぶ必要になっている」。
 いや、「新しい環境で、新しい事を学べる機会がある」というべきでしょうか。

 前職に居続ける限り、ITエンジニアとしてのキャリアもスキルも得られず、よくある「(社内SEは)雑務扱い」でした。次第にその色も濃くなってきており、残業代も支給されず、休み時間も満足に取れない労働面の不満もあり、結果として退職をしました。

 しばらくは、無職で心神喪失状態に陥ってましたが、なんとか満足ではありませんでしたが、今の会社に勤める事ができました。
 これからどうなるか、かなりの不安と不信も芽生えてしまってはおりますが、何よりも前職では得られることが出来なった技術に触れる事ができております。
 「辞めねば得られない事もある」。
 転職を繰り返してきましたが、この事は確実に得られてきてます。それ以前に、労働面の不満がどこでも大きくありましたが。

 安穏と安定でミドル時代を過ごせる人は、少なくなるかもしれません。
 会社依存である以上、会社から放り出されれば、ただの人です。
 かといって、皆が皆独立してやっていけるとは限りません。
 何かを先手で得ていくことが必要に感じてます。
 今いる場所でそれが出来、収入も得られているならば、その場に居続けるべきでしょう。でもそうでないならば、新天地に出る方が良いと思います。

 今、かなり辛いですw。
 これまでのスキルを活かす場がなく、新しい事を学ばざるを得ないからです。
 まだ実践扱いされてません。
 キャリアを見せる場がないのです。この点、かなり自信喪失になります。しかし、これから新しい技術で少しでも補佐ができれば、それでいいのです(まずは)。30代から教えを頂いてます(上司は転職組の50代)。
 そして、仮に一人になっても生きていける武器を一つ二つ得たことになります。

 私はどこまで走れるかな?。
 どこまで走るかな?と考えだしてもいます。
 もう管理職として安穏と過ごせる立場にはなれません。
 体力的にも遅くまでは無理です。
 かと言って、安定的に働ける職種に就きなおすには、年を取りすぎました。
 無理して労働してきた側面が、かなり強いですが、選んでしまった以上、進んでしまった以上仕方がありません。

 何かをプラスしていく事を、幾つになってもしていかねばなりませんね。

情報提供や考え方、そしてこれまでの苦々しい経験での対価として、ありがたく頂戴致します。