生きていてよかった事を感じる大切さ。

こんにちは0から始まる編集者です。

今日は寝てた。たくさん寝れて幸せだなって思った。
もったいないかもしれなけど、幸せだった。
時間の使い方は人それぞれで寝るのも良し、勉強するもよし、遊びに行くもよし。

この先、忙しくなって、寝る時間を確保できなくなったりすることもあると思う。
社会人2年目くらいは、寝る時間がなかったことを思い出す。
土日はお休みだったから、たくさん寝てたけど、幸せではなくて、
自分の体調や月曜からの5日間を乗り越えるための睡眠だったと思う。

朝9時前には出勤をし、22時すぎから終電で帰る日々。
毎日ではないけど、普通のサラリーマンでは考えられないし、
自分がるべき姿ではないと強く感じていた。

今となってはいい思い出だけど、住んでいる最寄りが一緒の上司がいて仕事終わって、飲みにいくことがあった。朝2時、遅い時は3時くらいまで飲んで、翌日9時のには出勤をしていた。飲みに行くといっても、駅近くのコンビニで缶チューハイとつまみを買って、上司との会話をする。
僕の立場は平社員で上司はブロック長の立場
※ブロック長とは都道府県をエリアで分け、そのエリア内で一番偉い人。
だからブロック長は5、6人存在する。
その上には事業部長が1人...社長と言う構成。

とても可愛がってもらっていたと思う。
その人にはなりたいとか憧れはないけど、凄い営業力があるなと思ってた。
話してた内容を振り返ると、結局は仕事の話が大半かな。

怒られるとかはないし説教っぽく言ってもこないけど、
将来どうなりたいの、目標を持ってとか、まず10年後、次じゃあ5年後をイメージしてとか、現状の仕事の悩みを聞いてもらったりアドバイスをくれたのは確か。

考え方に全て共感できるとは思わなかったけど、こう言う考え方もあるし、
上司は上司にきっとそう教えられてきたところもあると思うし、
その考え方で育っていった後輩だってたくさんいると思う。

弟のような存在と言われ、恐れ多さもあったけど、100%の信頼を置いていた訳でもない、やっぱり、上層部が故、会社の情報はたくさんもっていて、
だれがどうで、あそこは調子いとか、あの人はすごいとか、
営業職だからかなのか比べたがる癖があるなと。

比べるのは良いけど、伝え方とかも考えなきゃね、って僕はそこで学んだかな。

はっきり言って、万人受けするタイプではなくて、
きっと嫌いな人は嫌い、ついてく人はついていく。って二極化すると思う。
少しパワハラチックなところはあって、滅入ってしまう僕の上司もいたし、
僕も仲良く接してた訳ではないけど、端からみたら、仲良く接して、一緒に帰ってみたいなところがあったから、僕と年齢の近い人や上司も僕に本音で話さないバリアを貼られていた気がしていた。

あいつに何かいったら筒抜け。みたいな感じの立ち位置ね。
まぁ良いんだけど。正直それを感じてから、何こいつら。って周りを思ってしまって、なんで本音で話してくれないんだろうって思った。
仕事の会話もプライベートの会話もつまらないなって。笑

まぁ思い出話は置いておいて、寝れない日というかとにかく睡眠が取れなかった。
だから時間の使い方は人が決めるものではなくて、自分できめて自分が良いと思ったらそれで良いんだよ。
あの頃の自分からしたら、今の自分は羨ましいだろし。
僕以上に働いて、寝れてない人もいる。
寝れないのが、仕事なのか、何かの悩みなのか、病気なのか、介護だったり考えられることってたくさんあるよね。
寝る時間が欲しい、幸せと思ってもできない人だっている。

今日も生きていてよかったし幸せを感じた。
たくさん寝て好きなゲームして、YouTubeみまくったんだ。
僕が幸せだと思うことが他人にはそれは幸せだと思えない人もいると思う。

僕からしたら極論生きていることが幸せだけど、
例えば食べるのが好きな人からしたら、俺、私だったら、TVでやってたあれ、食べ行く!そっちの方が幸せと感じる人もいるだろう。
それもそれで幸せとは思うけど、幸福度指数的には僕の今は寝たり、ゲームしたりYouTubeを見る方が高いかな。幸せは誰かが決めるものではない。

今、幸せ、とか生きててよかったって何回も言ったけど、
こんな僕でも本当に死のうと思ったことも何度かある

僕は本当は弱くて、周りには強いように見せている部分もある。
些細なことで死んだ方がいいとか生きている意味あるのかって考えてしまう。

生きるのが辛い。って思ってる人、死の選択を考えてしまう人世の中にたくさんいると思う。ここから先、啓蒙活動とかではないからね。

そう思ってしまう事象は人それぞれだから、そんなことで?って言うこともあると思う。だけど、それはその人の感じ方だから、誰にも理解されない部分もあるよね。

僕も小学生の時に両親が離婚して苗字が変わった。
学校に連絡をして翌日、ご家庭の都合で名前が変わりました。みたいな報告を先生がしてくれた。すごく恥ずかしさを覚えたし普通じゃないことがとても嫌だった。
離婚って今となっては世間的にも聞き慣れたワードではあるけど、当時は誰もいなくて、友達もなんか距離をおいてきた気がした。

裕福な家庭ではなかったから、周りが持っていて僕がないものだったり、
夏休みの思い出。みたいなのもなくてさ。
小学校〜中学校まではとてもコンプレックスというか、本当に嫌だった。
子は親を選べないって言うけど、当時、なんで僕を産んだんだ。とか
普通じゃない家庭なんて嫌だ。ってなってさ。
生きるの辛いな〜って。思って、死にたいっておもったこと何度もある。

ガチガチでスポーツもやってたんだけど、プロにもなれるわけなく、
その手前とかおしい訳でもなく、頭が良い訳でもないから、
スポーツやめてから、夢がなかったらから、生きている意味あるの?って思ったこともある。

仕事だって、うまくいかなくて、膨大な量抱えて、辛くてとか
普通の人ならなんとも思わないことであっても、
次きた電車にぶつかろう。死んだら楽になれるかなとか。
結局死ぬ勇気はなくて、こんなこと言ってはいけないけど、だれかにこの階段から突き落とされても良い。とか、今なら事故に遭っても良いって思ったこともある。

そうなった時に必ず携帯で調べる。【死にたい】って。
そうするとね、一番上にこころの相談ダイヤル?みたいなの出てくる。
多分知らなかった。って思う人は僕より強い人間だと思うよ。

僕以上に重い内容や未遂をしてしまった人もたくさんいると思うけど、
無くなって良い命なんて一つもない。

死を選択することは人生においての大きな間違い。
生きたくても生きれなかった人もたくさんいる。
過去に軽く父のことを記事にしたけど僕は去年病気が進行し、父を亡くした。
父は死にたい。って思ってたか、まだ生きたい。って思ってたかはわからないけど、僕は相当落ち込んだしとてつもなく辛くて、なんで、死んじゃったの?ってなった。僕と同じように悲しむ人がいた。だってまで話したかったし、関わりたかった。きっと、親父はまだ生きたかったと思う。

死は1つの選択であることは間違いないけど、
こうして、不慮の事故、病気だったりで生きたかったのに明日がこない人もいるんだ。

きついとか辛いとか苦しい、負=死ではなくて、選ぶ道ではない。

辛いことってたくさんあるよね。
苦しいことってたくさんあるよね。

生きることによって得れるものはたくさんある。
辛い苦しいを乗り越えたら成長してる自分がいるよ。
生きている事を実感することはたくさんある。
友達と話していることだけでも幸せなこと。今日生きれた事が幸せ。

嫌な事、辛い事があったら、死を選択するのではなくて
そこから逃げれば良い。
もちろん、立ち向かって乗り越えられたら良いかもしれないけど
逃げるという選択も1つの乗り越えなんじゃない?

苦しい辛いっていうことが生きていることであって
仮に逃げたとしてもいつかその責任を果たしたり、そこから得てまたなにかすれば良い。絶対成長するから。

生きる事がどれだけ大変で、幸せなことか。

人間、いつか死にます。
だったら今その選択する必要ないよね。
死ぬ事で幸せを感じる事はできない。

今この記事を書いている僕は生きてます。
この記事を見ている人も生きてます。

あの時辛いって思ってたけど、
そこから、楽しい、幸せ、って思ったこと何回あっただろうか。
今辛い人、きっと少ししたら幸せを感じる事はあるから。

今生きれてる事に喜びを感じ、
当たり前ではない事を感じ、些細な幸せをたくさん感じよう。

今も明日も強く生きよう。

またね〜。





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