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僕の仕事はナビゲーション。

こんにちは、“映画おばけ” です。

普段は広告会社でクライアント企業の広告コミュニケーションや、プロモーションの企画・サポートをさせて頂いてます。

否応無く到来する「個人の時代」

前回は、「新しい働き方と、5つの思考順路を整理」というタイトルで、コロナショックによる企業活動のアップデートで、否応無く働き方が個人化すれば、必然的に「個人のイシュー(論点、課題、問題意識)」が大事になると、noteに備忘録しました。

大きな船の乗組員としてだけでなく、小舟で一人航海する機会も増えれば、一個人としての航海術はもとより“自分なりのコンパス”をしっかり握ってなければ遭難は必死、海をサバイブするのは難しい、という話ですね。

今回は、そんな僕自身のコンパス=イシューを点検する目的で、noteに備忘録したいと思います。

僕の仕事はナビゲーション

僕自身、10年近く広告の仕事に従事していますが、今も昔も変わらず抱き続けているのは

「広告(自分の仕事)は、社会のナビゲーションとしての役割を果たさなければならない」

ということです。

だいぶ手垢のついた言葉ですが、
広告の仕事の本質は、課題解決です。

クライアントが進むべき「道」がわからない状態にあったとして。

とりあえず取り付けさえしてもらえれば、あとは「こっちが安全です、大丈夫です、近道です」と、企業や生活者の進むべき方角や道を見つけて案内し、きちんと目的地に届けるナビゲーション(課題解決)装置のように便利に使ってもらうのが、この仕事の理想形だと考えています。

そうして道を見つけていく裏側、ナビは、

・データの力を借りながら「情報を整理統合」し
・言語の力を駆使しながら「方向付け」し
・「知恵」や「クリエイティビティ」「メディア」を提供しながら
・「判断のお手伝い」をしていく

そんな仕事が「広告」だと、僕は思ってます。

できるだけ、サステナブルな道案内を

一方で広告はこれまで、モノやコト・サービスの良い面や、優れた面を発見しスポットライトを当て、興味のない人にも「それいいな、使いたいな、やってみたいな」と思ってもらい、実際に使って・納得して・共感して・広めてもらう、そんなコミュニケーションを生業としてきました。

“買おう・使おう・楽しもう”といった、欲望を刺激し加速させる「欲求解放スイッチ」として消費経済の扉を開くいうのも、広告の社会的機能の一つです。

只、ここ最近強く思うのは、この「欲求解放スイッチ」というのはつくづく、いち個人の身の丈に合わない、とても恐ろしい力だな…ということです。

広告は、業務の取り扱い上で「人々の欲望」に触れ、それを拡声する「メディア」に触れます。キャンペーンの起案者が自分だとして、それがクライアントの資産となり、自分の想像もしないところまで声が届きます。

業務に従事するいち個人の力を遥かに超えた「発信力や影響力」を取り扱う仕事で、そのダイナミックさ故の魅力があるのも事実ですが、

欲望やメディアといった「危険物」を取り扱うが故に、品位やモラルといった高い規範意識、リスクとブレーキの意識を持つことが極めて重要です。

SNS上の攻撃で、人が亡くなる社会です。
面白ければいいだろう、は一切通用しません。

モラル無きコミュニケーションは、仮に今すぐ企業活動に致命的な結果をもたらさなかったとしても、「歪み」「負の資産」として、デジタル空間上にしっかりとアーカイブされ、忘れた頃に、大事なクライアントと自らを、攻撃してきます。

広告には、社会のナビゲーションとして高い規範意識とともに「こっちの方がサステナブルな道ですよ」と、常に持続発展的な案内に徹することが求められることを、タイムラインに流れてくる訃報を見ながら、僕自身自戒とともに、再確認せずにはいられませんでした。

おわりに

こうしたナビゲーションとしての広告の役割は、突き詰めると、企業やブランドの有形・無形の資産を、どのように運用・配分・投資するのがいいか…という話になり、よく言及される「広告とコンサルと領域が溶け出す」話に繋がりますね。

すべからく、クライアントワーク(企業活動のサポート)全般は「良い方向」へ拡大解釈し続けると、こうしたコンサルめいた考えに辿り着くのかもしれません。

そうした“役割意識”の中で、さらに各社・各個人は「どんな得意なこと」で存在感を発揮できるか〜という話もありますが、それは、また別の話として。

今回は、僕自身のコンパス=イシューを点検する、備忘録でした。


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