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書くカウンセリング8回目

2週間のお試し期間も後1回。カウンセリングを受けているということを最初はなんとなく後ろめたいような恥ずかしいような気持ちもあった。

しかし回数を重ねて、海外では主流な治療行為の一つだし、日本でももっと知れ渡るといいなと思えてきた。私は特にこの書くカウンセリングを必要としている人はもっとたくさんいるんじゃないかと感じている。

気持ちの調整と非暴力的コミュニケーションについて

前回のセッションで感情の調整力が低いという特徴が思い当たると思うとカウンセラーに話した。私はなんとなくクールダウンのために一呼吸置くことに対してすごく脅威を感じる

距離をおいたら、もう他者から見放されるのではないかという不安が強いのだ。カウンセラーによるとそれもトラウマの影響かもしれないとのことであった。

コミュニケーションについては、NVCという非暴力的コミュニケーションが参考になるかもしれないと、いくつかサイトを紹介してくださった。

一番詳しくわかりやすかったnoteをここに貼らせていただく。(無料で公開されているnoteやサイトを紹介してくださるのがすごく良心的だしありがたかった。)

NVCとは簡単に言うと『観察』『感情』『ニーズ』『リクエスト』の4つの要素を意識しながら、大きく次の2つを行うことを言う。

① 4つの要素を、率直に表現すること(伝えること)
② 4つの要素を、共感をもって受けとめること(聴くこと・感じること)

上記4つの要素を踏まえたうえでのリクエスト構文は下記のように記されている。

『観察内容』のとき、わたしは『感情のような気持ち』になりました。
それは、わたしが『普遍的なニーズ』を大切にしているからです。
もしよろしければ『実行可能なリクエスト』をしていただけますか?

NVCの基本のnoteより

幼少期は上記のようなNVCを大切にした言葉(キリン語と表現されている)と対極にある、非難したり、相手に何かを強要したり、罪悪感を植え付けたりする言葉(ジャッカル語と表現されている)をたくさん浴びてきたように感じる。

しかし、最近の私は普段の生活においては、かなりキリン語をベースに他者と会話できるようになったと思う。

ただ、答えが自分の中で0か100しかないと感じるトピックスにおいては、このスタンダードなコミュニケーションが途端に崩れるということを自覚した。

最初からこのようなコミュニケーションスタイルを諦めていたとも言える。どうやって自分のニーズを通すかというところに全振りした、ジャッカル的コミュニケーションをとってしまっていたことを反省した。

やっぱり答えを譲歩しあえない(答えの真ん中がない)トピックスをどう決着つけるのかということについてはまだイメージができていない。しかし、通常の会話スタイルをキープできるように心がけようと思えたことは一歩前進なのではないだろうか。

また、上記noteの最後の方に書いてあった「実行可能で、具体的なリクエスト」についても思うことがあった。

普段は他者にニーズを察してもらうことに期待するのは不毛だからやめたはずなのに、あるトピックスにおいてはリクエストを丁寧に伝えることがめんどくさいと感じている自分がいることにも気づいた。

自分が条件を譲歩する必要があるなら、その分「ニーズを察する努力をしてほしい」とか、「リクエストを言われなくても自分から確認する努力をしてほしい」とか、相手への期待値・求めることが増加するのだと改めて感じた。ここは私と他者の双方改善する余地があると感じる。


カウンセリングを始めるまでは、もっと感情の傾聴にだけ振り切ったものだと誤解していたし、そのスタイルは私には合わないと思っていた。(見ず知らずの人に表面的に慰めてもらうことを求めていたわけではないので)

私のカウンセラーさんは、かなり論理的に私が思考するタイプだということを悟ってか、たくさん参考になる記事や考え方の知識を提供してくださる。関わっていてとても勉強になることが多いし、同時に自分のケアに繋がっているとも感じるので、本当に出会えて良かった。

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