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NVC(非暴力コミュニケーション)の基本

Microsoftのサティア・ナデラがCEO就任時、ひとを出し抜くような競争文化を変えるために経営幹部全員に薦めたことや、書籍『ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』でもティール組織における具体的な手法の事例として記載があることで、あらためて注目されているのがNVC(非暴力コミュニケーション)です。

この記事ではNVCについてこれから学習していく方に向けて、基本的な事項を中心に、なるべく広い範囲をまんべんなく知っていただけるようにまとめています。

この書籍を始めこの記事を作成するにあたり参考にしたコンテンツを末尾にまとめてあります。


NVCが体系化される経緯

NVC(Nonviolent Communication)は、(カール・ロジャーズらの協力のもと)心理学者マーシャル・ローゼンバーグによって体系づけられた「心の底から与えるよう導くコミュニケーションの方法」です。
日本では共感的コミュニケーション・協働コミュニケーション・思いやりのコミュニケーションなどとも呼ばれています。

マーシャル・ローゼンバーグ(以下、マーシャル)の子供時代、引っ越し先のデトロイトの家の近くで40人以上の死者を出した人種間の暴動がおきました。そのときの経験をきっかけに「何がどう影響して人への思いやりが失われてしまうのだろうか」と研究をはじめ、「言葉」が非常に重要な役割を負っていること、言葉の「使い方」がとても重要であることに気づきます。
マーシャルは、どのようにコミュニケーションをとれば、人を思いやろうとする気持ちを引き出し、自然と分かち合え、相手と理解し合えるのかを考え、過酷な状況に置かれてもなお人間らしくあり続けるための言葉とコミュニケーションのスキルであるNVCを開発しました。

『4つの要素』と「2つのパート」

NVCを実践する場合、相手がNVCに通じている必要はありません。また、相手側には、心を通わせたいという気持ちがなくても構いません。

NVCでは『観察』『感情』『ニーズ』『リクエスト』の4つの要素を意識しながら、大きく次の2つを行います。

① 4つの要素を、率直に表現すること(伝えること)
② 4つの要素を、共感をもって受けとめること(聴くこと・感じること)


NVC的ではないもの

NVCでは『キリン』と『ジャッカル』のふたつのシンボルが使われます。
心臓から脳まで約2mあるキリンは、血流を押し上げる為にもっとも大きな心臓(ハート)を持っているそうです。ハートの言語であるNVCにおいて、キリンはNVCの象徴であり、NVCを使った言葉を「キリン語」と表現したりします。

ジャッカルは、NVC的ではないものの象徴です。キリン語に対しジャッカル語と言います(このサイトでは便宜上オオカミのアイコンを使用します)
人類が「ジャッカル語」を使うようになったのは約5,000年前までさかのぼります。
少数の支配者が、大多数のひとびとを支配するため、「人々は本質的に邪悪である」と考えるようにさせたのです。
道徳的判断の言葉をつくり「誰が正しい/誰が間違っている」「良い/悪い」「正常/異常」という観点から考えるようになり、教育もそれをもとに行いました。
それによって、正誤や良し悪しを理由に簡単に暴力を振るうようになり、また、違う文化の人に対しては暴力的になったのです。

ジャッカル語には、責任や選択を否定する「お役所言葉」や、人を評価したり比較をしたりする言葉もあります。そのほか、ひとを非難したり、相手に何かを強要したり、罪悪感を植え付けたりすることも行います。道徳的判断で相手に対し「〜〜すべき」と言ったり、「〜〜しないと損をする」というような表現をしたりするのは、相手を支配しコントロールするという意識がもとであり、すべてNVC的ではありません。

NVCにおいて、次のものはありません。

  • どちらが正しいかという評価を与えること

  • 罰を与えること(および報酬を与えること)

  • ひとを非難すること(および褒めること)

  • ひとを責めること(および自分を責めること)

  • 罪悪感を与えること

  • 恥をかかせること

  • 義務を負わせること

このような概念を抱くことで、ひとは少しずつ暴力的(支配的)になっていってしまいます。
「どちらが正しいかのゲーム」では、間違っていると苦しむことになります。「自然な分かち合い」による「人生を素晴らしくするというゲーム」をやりましょう。

誤解してほしくないのですが、ジャッカルが悪い人で、キリンが良い人だと言っているわけではありません。NVCは良い人になろうということを言っているものでもありません。


NVCにおける2つの重要なメッセージ

NVCは、つぎのふたつの重要なメッセージを伝えたり受け取ったりするコミュニケーションです。

  1. わたしやあなたのなかで、生き生きとしているものは何ですか?

  2. わたしやあなたの、人生をより豊かにするものは何ですか?

評価・恐怖・義理・義務・罰・報酬・羞恥心などの深く根ざした習慣を手放し、誠実で率直なNVCの表現手法を身につけましょう。

わたしたちの言葉(言動)はすべて、そのひとのニーズを表しています。
ニーズとは、(ひとのもっとも深いところにある)行動の源となる動機です。言葉を口にしたときに、そのひとのなかで本当に大切にしているものです。

わたしたちには、いつでも「『人生の普遍的で美しい質』を満たしたい」という思いがあります。
突き詰めると、ひとは「お願い」と「ありがとう」しか言ってません。
ですので、自分の本当に大切にしているもの(普遍的なニーズ)に気づいたら、それを満たすために(人生をより豊かなものにするために)リクエスト(お願い)をします。


『観察』『感情』『ニーズ』『リクエスト』の4つの要素

基本的なNVCを使ったリクエストは、次のような構文となります。

『観察内容』のとき、わたしは『感情のような気持ち』になりました。
それは、わたしが『普遍的なニーズ』を大切にしているからです。
もしよろしければ『実行可能なリクエスト』をしていただけますか?

また、相手が伝えようとしているニーズを共感をもって受けとめるときは、たとえば次のような質問となります。

あなたはいま『こういう気持ち』ですか?
それは、あなたが、『普遍的なニーズ』を大切にしているからですか?

あなたはいま『観察内容』について伝えたいことがあるのですか?

あなたはいま『実行可能なリクエスト』をしてほしいのですか?

率直に表現するときも、共感をもって受けとめるときも、どちらのケースでも、NVCの4つの要素を意識します。
4つの要素が必ずしも毎回すべて必要ということはありません。
この4つの要素をその頭文字をとって『OFNR』ということもあります。
(Observation, Feeling, Needs, and Request)

4つの要素を、率直に表現する

相手になにか伝えようとするとき、NVCのコミュニケーションプロセスを使って率直に表現すると、相手がそれを受け入れてくれる可能性が高まります。

NVCにおいて基本的な考え方のひとつに、リクエストと強要は別のものというものがあります。
ジャッカル語はひとに強要をする言語です。たとえば次のようなものがあります。

🐺「この仕事を明日までにやっておきなさい。これは命令です」
🐺「あなたのやりかたでは納期に間に合いません。ちゃんと報告してください」
🐺「遅刻した罰として、食事代ごちそうしてね」
🐺「何度も言うけど車で移動するときは30分前には着くように行動しないと」
🐺「お買い物に付き合ってくれたら、マフラー買ってあげる」
🐺「契約書はちゃんと読まないと。これは君のためを思って言ってるんだ」
🐺「また部屋を散らかして。お母さんは悲しいわ」
🐺「電車のなかで静かにできない恥ずかしい子なのね」

直接的に命令することだけではなく、道徳的判断や罪悪感や羞恥心を使って、暗にコントロールしようとすることも、強要になります。
強要かリクエストかの違いは、(義務感などを背景に)YESと回答するよう、相手にプレッシャーを与えているかどうかです。
「何を言ったか」「どのように質問したか」ではありません。あくまでリクエストの際にどういう気持ちだったかです。ですので、それがどちらなのかは「相手がリクエストを拒否したときに、あなたがどんな反応をするか」でしか分かりません。
拒絶されたときに相手に対して何らかの不満を抱くようであれば、それはリクエストのふりをした強要だったのでしょう。

仮にあなたに一切の非難や強制的な考えがなかったとしても、相手がそれを強要と受け取ってしまうこともあります。
あなたの過去の言動からそう思われるかもしれませんし、ほかのひとの言動から(あなたのリクエストについても)強要だと考えてしまうこともあるでしょう。大切なことは、もしあなたが完璧なキリン語でリクエストをしたとしても、相手が強要を受けとってしまうことがあることを認識しておくことです。

NVCを使ってリクエストをすれば必ずしもあなたのリクエストに相手が従うということではありませんが、ジャッカル語によるリクエストと比べれば遥かにあなたのリクエストに応えてくれる可能性は高まるでしょう。

ジャッカルはしばしばとても悲劇的な表現や自殺的な表現によるリクエストをします。たとえば次のようなものがあります。

🐺「あなたの問題は相手の気持ちを分かろうとしないことだよ」
🐺「やる気が無いんだったら、もう勝手にしなさい」

どちらもリクエストなのです。前者は「相手に自分の気持ちを分からせたい」という思いがあり、後者は「やる気を出してほしい」という思いがあります。このような言い方では、相手が素直にやってくれる可能性は非常に低いと自分でも分かっているにも関わらず、ジャッカルはこのような言い方をするのです。
(少なくともこのような悲劇的・自殺的な言い方を避けるだけで、あなたのリクエストに応えてくれる可能性は高まります)

あらためて、NVCにおける、4つの要素を使ったリクエストの構文を確認します。

『観察内容』のとき、わたしは『感情のような気持ち』になりました。
それは、わたしが『普遍的なニーズ』を大切にしているからです。
もしよろしければ『実行可能なリクエスト』をしていただけますか?

多少の回りくどさを感じるかもしれませんので、なぜこのように4つのプロセスが重要なのかをひとつずつ説明していきます。

『観察』

ひとつめの観察で重要なことは、事実のみを取り扱い、あなたの評価や診断を切り離すことです。
評価や診断の入った言葉遣いをすればするほど、相手はあなたのリクエストに対し防衛的・反抗的な姿勢をとってしまうことでしょう。
いくつかの例をあげます。

🐺「あなたがわたしを罵倒したとき…」
🐺「昨日のあなたの説明が長すぎたために…」
🐺「あなたはいつもわたしの話を聞かないから…」
🐺「この子は自分から宿題をやろうとしない

🦒「あなたがわたしに『だらしなすぎる!』と言ったとき…」
🦒「昨日のあなたの説明に30分以上使ったために…」
🦒「あなたは昨日もわたしが話し終わる前に話し始めたので…」
🦒「この子に宿題をするように言ったのは今週3回目ですが…」

違いが分かりますでしょうか。
ジャッカル語による表現では、(主観による評価や診断が混ざっているため)解釈の違いや視点の違い、価値観の違いなどにより、相手の否定や拒絶を生みます。
たとえば「説明が長すぎた」と言われれば「いや、わたしは短いと思ったくらいだ」とか、「いつも話を聞かない」と言われれば「聞いてるじゃないか!」という反応が予想されます。あなたは罵倒だと思ったかもしれませんが、相手は「正しく教育している」と思っているかもしれません。仮に客観的に正しい分析をして伝えたつもりでも、相手がそれを正しい分析だと考えるかは分かりません。

正しい・間違っているなどの基準により評価されていると考えると、「相手が間違っている」か「自分が間違っている」かのどちらかを考えるようになり、相手が間違っていれば相手を責め、自分が間違っていると思えば自分を責め、ゆくゆく相手の間違いを見つけ指摘しようとします。この「どちらが正しいかのゲーム」をしてしまうと、お互いが代償を支払うことになるのです。

観察時は、あなたの評価や診断を切り離し、事実にのみフォーカスしてください。

『感情』

ふたつめは感情です。感情で重要なことは「〜〜と感じる」や「〜〜と考える」という表現を使うことにより感情ではないものが混ざってしまうことに注意し、感情をありのまま表現することです。
「〜〜と感じる」や「〜〜と考える」という言い方をするときは評価や意見が混ざっている可能性があります。いくつかの例をあげます。

🐺「わたしは、そうしたほうが良いと考えます」(考え)
🐺「わたしには、役に立たないと感じます」(考え)
🐺「あなたからは愛されてないと思う」(意見)
🐺「あのひとに無視された気がしています」(考え)

🦒「(それを聞いたとき)わたしは安心しました」
🦒「(それをみたとき)わたしは嬉しかった」
🦒「(それを知ったとき)わたしはいらいらしました」
🦒「とても悲しい気持ちになりました」

気をつけたいことがいくつかあります。

ひとつめは、感情の責任は自分にある(相手にはない)ということです。ほかのひとの言動は、わたしたちの感情を刺激することはあっても、それ自体が「原因」になることはありません。
たとえば、誰かに非難され、あなたはとても怖い思いをしたとします。具体的には「『嘘つき!』と言われた」としましょう。この場合でも、「あなたに『嘘つき!』と言われた『せいで』怖いと感じた」と言ってしまうと、それはジャッカルの言葉となります。このケースで『嘘つき!』と言われたことが、怖さを感じたきっかけであったことは間違いないでしょうが、誰にでも、どのシチュエーションでも、『嘘つき!』と言われたときには必ずしも怖さを感じるわけではありません。たとえば片思いのひとから言われて「悲しく」なることもあれば、実際は相手が嘘をついていてあなたは「がっかりする」ということだってあります。

ふたつめは、感情の言葉だけではとても情報量が少なくリクエストが正確に届けられないため、感情だけを伝えて終わりにしないということです。
たとえば「あなたに『嘘つき!』と言われたとき、わたしはとても悲しい気持ちになりました」と言ったとします。このとき相手は「いや、嘘をついたんだから反省するべきだ!悲しくなるのは当たり前だ!」と反抗的な姿勢をとってしまうかもしれません。もしくはあなたに対し「悪いことをしてしまった」と罪悪感や羞恥心から、自分を責めてしまうかもしれません。相手の自尊心を損なった結果、いずれあなたも代償を支払うことになるでしょう。

それではどうしたら良いのでしょうか。
ニーズの話にいくまえに、ひとから言葉(やそれ以外の方法)で否定的なメッセージを受けとった場合の受けとめ方の種類を確認しましょう。

  1. 自分自身を責める (🐺)

  2. 相手を責める (🐺)

  3. 自分の感情とニーズ(大切にしているもの)を感じとる (🦒)

  4. 相手の感情とニーズ(大切にしているもの)を感じとる (🦒)

1と2がジャッカルの対処法で、それぞれ「ジャッカルの耳を内側に向ける」「ジャッカルの耳を外側に向ける」と表現します。
NVCにおいては、3と4が大切で、それぞれ「キリンの耳を内側に向ける」「キリンの耳を外側に向ける」と表現します。

否定的なメッセージを受けとったときは、キリンの耳をつけ、(どっちが正しいかではなく)ニーズに意識を向ける必要があります。

『ニーズ』

NVCにおける4つの要素の3つ目は、ニーズです。
ここでは、キリンの耳を内側に向け、自分自身のニーズに意識を向けます。(キリンの耳を外側に向けることについては、後述する「4つの要素を、共感をもって受けとめる」で解説します)

NVCにおけるニーズは、単に「〜〜したい」というものであはりません。
また特定の誰かに対して向いているものや、リクエストその他の何かを得るための手段でもありません。
感情の大元にある、ひとが普遍的にもっているニーズ(Universal Human Needs)を、NVCではニーズと呼びます。(このページの末尾に感情とニーズのリストの資料へのリンクを記載していますので、おもにどのようなニーズがあるかはそこから確認可能です)

誰かを批判したり、説得をしたいと思ったりした場合、それは「ニーズ(自分が必要としていること)が満たされていない」という遠回しな訴えです。
たとえば「彼は少しも理解してくれない」というとき、それは「『理解されたい』というニーズが満たされてない」ということです。

相手に対し、診断や評価・分析を伝えれば、相手は「批判された」と受けとめ、防衛的になったり反抗的になったりします。
思いやりをもった反応を期待するなら、感情とニーズを結びつけるほうが得策です。

🦒「あなたがそういったとき、わたしはむかつきました。それはわたしが敬意を大切にしているのに侮辱的な言葉を聞いたからです」
🦒「あなたが約束の場所に来なかったとき、とても悲しかったです。なぜならわたしは同じ時間を過ごすことを大切にしていたからです」

このとき、ニーズのなかに、特定の誰かを入れないように注意しましょう。(例外として「相手の幸せを願う」とか「相手の安全を願う」ような相手方を特定しないケースはあります)
特定の誰かを入れると、それは手段になることがほとんどです。その誰かがほかの誰かと代替可能な場合、それは普遍的なニーズではありません。(大抵の場合、その相手を取り除くことだけで足ります)

🐺「わたしはあなたを愛し、あなたから愛されることを望んでいる」
🦒「わたしは愛し愛されることを望んでいる」

『リクエスト』

NVCにおける4つの要素の最後は、人生を豊かにするためのリクエストです。
自分の必要としていることが満たされないとき、ニーズをもとにした具体的なリクエストを行います。

慣れ親しんだジャッカルの文化では、リクエストは負担だと捉えられています。リクエストが強要ではなく、双方が「NO」に対してオープンであればあるほど、リクエストは重荷ではなくプレゼントになります。リクエストはニーズを伝えることであり、ニーズを満たす機会をプレゼントすることになるのです。

NVCにおけるリクエストは、ニーズをもとにしたリクエストです。
単なるリクエストと、NVCの4つの要素であるOFNRのすべてを使ったリクエストの違いの例を見てみましょう。

🐺「映画を観にいきたいからお小遣いちょうだい」

🦒「友達がグループで映画を観にいくと言っていて羨ましかった。ぼくも仲間に加わりたいから、映画を観にいくお金をちょうだい」

OFNRをすべて使ったキリン語によるリクエストのほうが、相手のなかの深いところからくる「動機に対する思いやり」により、相手に「貢献したいという気持ち」が生まれる可能性が高まります。

またキリン語によるリクエストは、実行可能で、具体的なリクエストで行います。
使ってしまいがちなジャッカル語のリクエストには、たとえば次のようなものがあります。

🐺「遅くまで残業するのは止めて」
🐺「もっと思いやりをもってほしい」
🐺「ちゃんと話を聞いてください」
🐺「やりたいようにやらせてほしい」

ひとつめの例。もしあなたが本当は「遅くまで残業するのを止めてほしい」のではなく「早く家に帰ってきてほしい」というとき、もしかするとこのリクエストに対し「早い時間に残業を止めて、同僚と遅くまで飲みにいってきた」ということでもリクエストに応えたことになってしまいます。リクエストは「Don't 〜〜〜」のようなものになっていてはいけません。
ふたつめの例。具体的に何をすればよいかが分からないものは、(リクエストされたひとが瞬時に)実行できるかどうかを判断できません。「Be 〜〜〜」のようなリクエストになっていてはいけません。
3つ目の例については、もしかすると相手から「ちゃんと聞いてるよ」という反応が返ってくるかもしれません。最後の例も実行不可能です。

ビデオカメラで撮影したとき「まったくの他人であってもそれが『実行できているか』を判断できるか」という視点で考えてみると、実行可能で具体的なリクエストになっているかが分かります。

とくに「〜〜しないでください」というリクエストに気をつけましょう。「何を望んでいないのか」を伝えても、それは「何を望んでいるか」を伝えたことにはなりません。

🦒「20時までに家に帰ってきて」
🦒「わたしの話が終わるまで待ってから、話し始めてください」
🦒「10分間時間をとって、わたしの話を聞いてもらえますか」
🦒「きょう1日、ひとりで外出させてください」

このようなリクエストであれば、相手はあなたのニーズを満たそうとしてくれ、あなたの人生を豊かにしていくことになるでしょう。

たとえ完璧なキリン語でリクエストをしたとしても、相手がジャッカルの耳をつけて聞けば、メッセージが必ずしも相手に届くとは限りません。
満足行くように相手が受けとったかどうかを確認するための問いかけが「伝え返し」です。たとえば次のように聞きます。

いまわたしが言ったことがどう聞こえたか、教えてもらえますか?

もし伝え返してくれた内容があなたのリクエストと違っていたとしても、それを指摘すると非難と受け取られてしまうかもしれません。その場合は次のように感謝とともにあらためてリクエストしましょう。

どういうふうに聞こえたかを教えてくれてありがとうございます。
もう少し明確に伝えたいので、もういちど言わせてください。

もし万が一「ちゃんと聞いてないと言っているのか」などと反応する場合は、後述する共感をする必要があるでしょう。

また、あなたのリクエストに対する反応を知りたい場合は、次のように確認していきましょう。

いまの話を聞いて、どう感じたか、なぜそう感じるのかを教えてもらえますか?

わたしの提案は受け入れられるでしょうか?
受け入れられないということだとしたら、何が妨げになっていると思うか教えてもらえますか?

(リクエストの内容)で問題ないかどうか、教えてもらえますか?


以上が、NVCにおけるコミュニケーションプロセスの4つの要素です。


4つの要素を、共感をもって受けとめる

相手に満たされないニーズがあり、それを感情とともに伝えようとしているときは、そのメッセージを共感をもって受けとめる必要があります。
NVCにおける共感は、同調することではなく、OFNRに意識を向け問いかけを行いながら心を空にして全身で聞くことです。

共感とは、相手の経験を、敬意とともに理解することであり、相手に対する先入観や決めつけを排除したときに、はじめて共感が生まれます。
哲学者のマルティン・ブーバーは、共感で求められることは「ただそこにいること」と言います。
わたしたちはどうしてもアドバイスや励まし、説明や訂正をしようとしてしまいがちです。共感を求めている人にとって、励ましや改善策のアドバイスを「欲しがっていると思われること」はフラストレーションになりかねません。
もし行う場合でも、アドバイスや励ましをする前に、相手がそれを求めているかどうかを確認することが大切です。

共感を妨げる行為には次のようなものがあります。

アドバイスする。「……するべきだと思う」「どうして……しなかったの?」
うわてに出る。「そんなのたいしたことではない。わたしに起きたことを聞いたら、よくわかるはず」
教え諭す。「もし……さえしたら、これは非常に有益な経験となるはずだ」
慰める。「あなたがいけないのではない。あなたはできるかぎりのことをした」
自分語り。「それを聞いて思い出すのは、わたしがあのときに……」
話を切ってしまう。「元気出して。そんなにしょげないの」
同情する。「まあ、なんてかわいそうなのかしら……」
尋問する。「それはいつから始まったんだ?」
説明する。「電話しようと思っていたのだけど……」
まちがいを正す。「その経緯はちがう」

知的な理解も、共感に必要な「ただそこにいるということ」を妨げます。
自分の考えと合っているか違っているかなどを思いながら聞いているときは、その相手とともに「ただそこにいる」という状態ではありません。
相手の気持ちを感じとり、相手に同情することがあっても、そのときは「共感しているのではなく、同情をしている」と自覚しておくと役に立ちます。

対話をつづける問いかけ

共感をもって聞いてもらっているとき(説明をしているとき)、次のように問いかけると、つながりを大切にしたまま相手の反応を促したりすることができます。

🦒「これを聞いてどう思いますか?」
🦒「これを聞いてどう感じますか?」
🦒「(相手と反対のことを言ったとき)これを聞いて何か変わりますか?」
🦒「このこと(いま話したこと)はあなたの役に立ちますか?」
🦒「あなたもそれ(いま話したこと)でいいですか?」

このとき、少し時間をとり、ただ直観的に答えるのではなく、全身の感覚を含めて答えられるようにすると、つながりを保ちやすくなります。

一方、共感をもって相手の話を受けとめているとき、次のように問いかけると、つながりを大切にしたまま発言の機会を得ることができます。
(もちろん相手がもう少し話をしたいという場合は、そのまま話を聞き続けましょう)

🦒「それ(いま話してくれたこと)について、感想を言ってもいいですか?」
🦒「感じたことをお話してもいいですか?」

言い換える

リクエスト時に伝え返しで相手に正しくリクエストが伝わっているかを確認するのと同様、相手のメッセージを、自分の言葉で言い換えて伝えることで、相手も自分が受けとめてもらっていることが分かります。
もし間違っていたとしても、相手は間違いを正す機会に恵まれ、場合によっては発言の内容を振り返り、さらに掘り下げることも可能になるでしょう。
自分の言葉に言い換えるときは、OFNRを意識してもらうよう、問いかける形式で行うようにしましょう。

あなたはいま『こういう気持ち』ですか?
それは、あなたが、『普遍的なニーズ』を大切にしているからですか?

あなたはいま『観察内容』について伝えたいことがあるのですか?

あなたはいま『実行可能なリクエスト』をしてほしいのですか?

このとき、オープンな質問をすると相手に上から問いかけているように感じ取られてしまう可能性が高まります。

🐺「わたしになにか不満があるのですか?」

もしどうしてもこのような方法で聞く必要があるときは、自分の感情とニーズとともに質問し、相手の警戒心を招かないように気をつけましょう。

🦒「あなたが伝えたいことをしっかりと理解したいのですが、わたしのどんな行為が原因で、あなたはわたしをこんなふうにみるようになってしまったのでしょうか。教えてもらえませんか?」

このように付け加えることが役に立たない場合もありますが、付け加えることをおすすめします。
前後の会話の内容や調子から感情やニーズがすでに伝わっている場合は、必ずしもそうではありません。

伝え返しが必要かどうかの判断基準

  • 正確に理解しているか自信がないとき

  • 「わかりましたか?」「理解できましたか?」と言われたとき
    (自分としては自信があったとしても伝え返して安心してもらう)

どの時点で相手の言葉を自分の言葉に置き換えるのかについて、絶対に失敗しないという基準はありません。
マーシャルは、経験上、相手が強い感情とともに言葉をぶつけてくる場合、自分なりの言葉に置き換えすことは役立つだろうと言っています。
自分が話をする場合は、相手に伝え返してほしいか、それとも伝え返ししてもらいたくないのか、明確に意思表示をするとよいでしょう。

伝え返しをするときには

伝え返しをするとき、批判や皮肉があると相手は敏感に感じとります。
相手の心のなかで起きていることをさも分かったような調子で述べることも、否定的な影響を及ぼします。
純粋に「こういう理解で正しいのでしょうか」という気持ちから確認しているのであれば声の調子で伝わるはずです。

言葉を置き換えて伝え返しをすることで、気分を悪くする人もいるかもしれません。その場合も、相手の感情とニーズを感じとりつづけます。
もしそれをし続けても相手がこちらの意図が疑われるのであれば、NVCの手順を踏むことに一生懸命になっていて、実際は相手の振る舞いを変えたいという気持ちになっていないかなどを確認し、目の前の相手と繋がるということを再度意識してみてはいかがでしょうか。

過去の経験で苦しんでいるひとの話を聞くときは、「今」にフォーカスしつづける

相手が過去の経験で苦しんでいるということを話す場合、過去についての話をしていたら現在の感情とニーズに注目して会話をつづけます。
たとえば次のように言います。

🦒「話を聞くと、いまでも傷ついていて、尊敬を必要としているようですね」
🦒「以前なにか辛い思いをして、いまでもそのことが気がかりで、泣きたくなるのですか?」

過去に起きたできごとについての話では癒やされることはありませんし、また、過去のできごとへの質問は、慰めや励ましにつながっていきます。
今この瞬間起きていることについての話をすることで癒やされます。

怒っている人に対しては、絶対に「でも…」と言わずに、共感をする

どんなに相手が激昂していても、キリンの耳をつけて感情とニーズだけに集中すると、相手の言動が気にならなくなります。
満たされないとても大きなニーズを抱えている、ひとりの人間として見られるようになるでしょう。

「NO」を受けとめて共感する

わたしたちは「NO」という回答から、拒絶のメッセージを読み取ってしまいがちです。実際は、拒絶と考えてしまうのは「NO」を言われたひとの頭の中にうかんだ、最悪のシナリオの想像でしかありません。
「NO」を拒絶のメッセージとしてではなく、重要なメッセージとして受けとめることが大切です。何らかのリクエストに対して「NO」を伝えてきたということは「わたしのニーズも含めてほしい。配慮してほしい」という相手のメッセージです。
「NO」という言葉の奥底にある、感情とニーズに注目すると、こちらのリクエストに対して妨げているものがどんなニーズからきているかが明らかになってきます。

共感をつづける

相手がリクエストしていることを拙速に推察して対応すると、相手の感情とニーズに純粋に関心を払っていることが、かえって伝わりにくくなってしまいます。
さっさと終わらせたいというように受け取られてしまうことがあるからです。

話の続きがあり、相手の発言がまだ真意に届いてない可能性もあります。
相手の内面に引き続き注意を向けると、相手も自身の内面を十分に探って表現する機会ができます。
あまりにはやく相手のリクエストや自分自身の返答に関心を移してしまうと、この流れをせきとめてしまうでしょう。

相手が自分の気持ちをすべて表現するまで、OFNRを意識して共感をつづけましょう。
相手が共感してもらえたと思えたときは、ほっとし身体の緊張がとけるか、もしくは話がやむはずです。確かめたいときは次のように確認します。

なにか言いたりないことはありませんか?


共感によって繋がりが生まれると、解決策を模索する必要がなくなります。
これをマーシャルは、「つながりが生まれたときに、解決策のほうが見つけてくれる」と表現しています。
なにか争いごとがあっても、一切の非難や評価・批判・強要を聞かず、お互いがお互いのニーズを聞くと、自然に問題が解決していくのです。
このとき、ニーズではなく、手段・解決策に目を向けてしまうと、つながりが生まれにくくなります。

これからNVCを学んでいく方へ

最後までお読みいただきありがとうございます。
この文章はマーシャル・ローゼンバーグの書籍・動画およびCNVC認定トレーナーによるコンテンツをソースに、可能な限り、個人的な解釈を加えない形で編纂しています。
一方で、このページ内の表現は、説明のしやすさと理解のしやすさを優先し、一部ジャッカルの言葉を用いて説明をしていることをご承知おきください。
もしこのページを読んでNVCへの興味が深くなったのであれば、これらの書籍・動画等を中心に、そのほかCNVC認定トレーナーのセミナー等により学習することをおすすめいたします。

NVCはシンプルで強力なコミュニケーションフレームワークです。
マーシャルの想いが伝わり、ひとりでも多くの方がNVCを実践するようになってもらえると嬉しく思います。

参考文献リスト

書籍


動画


Webサイト


資料等


TED(TEDx)


その他




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