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この夏、一番美味しかったもの

 

 さすが、この夏の暑さは団扇二本(一本は七月中に破損)ではしんどかった。


 やせ我慢をもって、エアコンなんぞに憧れることはなかったが……水のがぶ飲みのせいか、食欲は確かに下降気味であった。

 自らの信条として、身体が欲するものを食うと大口を叩いておきながらも……現実の懐と相談してみれば、それも叶わない。

 まあ、「鰻」は僕にとっては「アンブロシア」の見立てなのだから望むべくもないが……「牛肉」あたりなら、身体がしきりと要求する時もある。

 なら、食えばいいだろうと言われそうだが……極貧の生活とあっては、それも難しい。
 どだい、牛丼の「松屋」などは、僕から見れば高級レストランなのだから……
 時に、素性不明のサイコロステーキがスーパーでグラム百円で安売りされるが、この夏はまだ一度しかお目にかかっていない。

 要は、信条とは裏腹に……スーパーの安売りに左右されるというのが、この夏の僕の食生活なのである。情けない話であるが……

 だいたい、定期的に安売りされる食材といえば概ね固定していて、「豚コマ」「ハム、ソーセージ」……後は冷凍食品あたりだろう。

 ショーガ焼きにしろ、焼き飯にしろ……先週も食ったぜ、という有り様とあれば、身体の方は始終不平を鳴らす。

 かつ丼あたりなら、まあ妥協的に我がままな身体も許してくれそうなのだが……この暑さ、豚肉に塩胡椒振って、粉つけて、卵潜らせ、パン粉からめ……油であげる。
 この面倒な過程を身体に訴えてみれば、当人も不貞腐れて……ならいいや、となってしまうのだ。

 改めて、この夏……口に運んだものを検証しても、「美味い!」と感じたことは滅多にない。さすがに、夏バテなのだろうか?

 そんな折り、身体のやつが「そうだ。あれが食いたい!」と小膝を叩いたのだ。

 「おいおい、サーロインステーキなんぞと言われても無理だぞ」

 つい僕が両手を広げて見せると、身体のやつ、にんまり笑って言うことに、

 「てやんでぇ、そんなこと分かってら。おいらが今、無性に食いたくなったのは……あれよ、あれ……」
「あれとはなんだ?」
「サクレといったかな……そう、サクレレモン」
「お前、アホか? ……あんな氷菓子でスタミナがつくもんか」
「身体の欲求に従うのが、お前の信条じゃなかったのか?」

 もう、ヤケクソである。もとより「サクレレモン」をご飯にぶっ掛けて食うことは遠慮したが……その日の夜、アニメを見ながら、酒に手を伸ばすより先に、カチンカチンに凍った「サクレレモン」を……久しぶりに口に運んでみた。
 
 思えば、とにかく体力を……という常識に縛られていて、氷菓子の類いはその存在すら失念していたのだ。

 上に乗っているスライスレモンを、スプーンでつついてほぐしつつ……

 「おい、どうだ? 美味いだろう?」

 勝ち誇ったような身体のやつの揶揄も何処吹く風……僕は、ほとんど感動にも似た精神の高揚を以て、「サクレレモン」を一気に完食した。

 とたんに、気分は爽快。落ち込んでいた食欲も、俄然回復の手応えを覚えるのだ。

 やはり、僕の信条は間違ってはいなかったのだ!

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