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【SF連載小説】 GHOST DANCE 3章、4章

   

  3 西暦210×年 

 ささやきと名告る少女が帰ったあと、意識は俄然気力を回復した。「今村冬吉」という名前を取り戻したせいだろう。面も、あんなものか。別に違和感を覚えないところをみると、失われた記憶の骨組みくらいは出来上がった心地であった。
 起き上がる力はまだない。それでも手足は重いながらも操作に支障なく、何よりも視界という窓がすっきり開いたは心強かった。とりあえずあたりを見回せば、病室というより小振りのワンルームマンションのつくりである。ここから見れば横にやや長い矩形の、左手の窓、頭の背後の壁、ともにゆとりを持ってベッドは据えられ、右手、扉まではがらんとした結構なスペースがあって、キッチンからユニットバスまで完備おこたりないらしい。足元の向こうの壁には折り畳み式の椅子が二脚からだを開いて押しつけられ、隅の棚には、ひらっとした造花じみた花弁の紫色の花が活けてある。
 それでも我が身を見ればやはり重態の、脇には点滴の壜が逆立ちし、チューブが右の肘に潜り込んでいる。のみならず厳しい機械類もベッドを囲み、あたかも植物状態ででもあったかのようにお節介な装備を絡み付けている。病室とすればかなり豪華な部類だろう。それとも、死を間近に控えての隔離という段取りか……

 その時、再び扉の開く音に冬吉はつい目を閉じた。歩くけはいから、入ってきたのはナースらしい。狸寝入りに耳を澄ませれば、機械仕掛けの表示を事務的にぶつぶつ、点滴の調子を確かめていたかと思うと、やおら娘の吐息が顔に落ちた。
 娘と認定したは当方の願望だろう。ペパーミントの甘いかおりが鼻孔をくすぐる。もしやキスをされるのではと内心期待したは、記憶喪失の今村冬吉とか、よほど自惚れ屋に違いない。やがて毛布をかけ直しつつ動きが足元に移行した隙、チラリと薄目を使えば、はたせるかなこころときめく年頃の、豊頬ぞっこん白く、けぶった後れ毛がうなじににおった。娘の顔がこちらに上向く間際、冬吉は再度目を閉じた。その刹那、「美也子」という名が甘酸っぱく閃く。はて。なぜ、知っているのか。たぶん、胸に付けた名札を無意識のうちに読んだものだろう。いや、そればかりではない。名前の持つ肌触りが記憶の闇に浸透するさき、思いがけずも再三夢に見た額縁に入った少女の顔と重なったのだ。

 娘はそれから所作かいがいしく窓に近ずき、カーテンを開け放った。突然の朝の光に乗って波音すずやかに、幽かな潮の香も鼻をつく。どこぞ海辺の病院らしい。娘は白衣きよらかに窓辺に立ち、外のけしきを見やっている。ずいぶんと小柄の、痛々しいほど華奢な撫で肩にはチラと窺い見た化粧気のない童顔とのはまりもよく、かの夢の少女が額縁から抜け出たふぜいであった。
ナースという相手の職も忘れ、勝手に十五、六の小娘を重ね合わせたとたん、背後の視線を知らぬ油断か、娘は欠伸を噛み殺してから腰をのばし、凝りでもほぐすよう拳で叩くしぐさに尻の肉付き小刻みに震え、出し抜けの女がにおいでた。どうして、二十四、五にはなっているだろう。勘繰れば昨夜、カレシとしっぽり濡れた名残なやましく、禁欲の白衣を通してくっきりと浮き出たようであった。
 娘の、こちらに向き直るしぐさに冬吉はすでにして遊びのゆとりで又も目を閉じた。

 しばしののち、
「うーん、あなたけっこう不精ヒゲが似合うのね」
 くくんでから割れるような娘の声が、上方からふわりと浴びせられる。しげしげと観察されているのかと思うと、狸寝入りも楽ではない。それから、さてと……と独りごちたのが、再び神経質そうに毛布を直し、直後左の腰のあたりにかすかな傾斜を覚え、窺うところ娘はベッドに小さくもたれ何やらカルテに記入している。
 左手のすぐ横、見るからに弾みのある娘の尻が、白衣にくるんだ禁断のエロスとしてついそこにある。思わず手を伸ばしたは、まったくの無意識であった。
「キャッ!」
 短く叫んで立ち上がり、目を丸く、こちらを見下ろす娘に冬吉がかの漫画の美青年のフリを真似れば、
「まあ、いつから意識が……」
「たった今だ。花園にいる夢を見ていてね。かぐわしいかおりにふと目覚めてみると、そこに君がいた。はて、君はいかなる花の精かね」
 言った瞬間、我ながら愕然とした。今村冬吉とか、初対面のナースの尻を触るやら、歯が浮くような科白をぬかすやら、こいつ鼻持ちならねえ。自己批判の割に不躾ハレンチにウインクを点滅させているのだから、案外病膏肓はこっちの口か。
 いずれにしても、目のあたりにするそのふぜいには、先ほど後ろ姿を見ての猥らな妄想が読み違いと思えるほどの清潔感が、白衣との相乗効果も手伝って際立っている。丸顔の、広い額をくっきり見せた髪を後ろでまとめ、濃い眉は程よい太さできりりと長く、丸い大きな目の、目尻少しつり、能面にも似た鼻に、こころ受け口の唇は口尻上がり、無邪気さと芯の強さが機微をつくっている。名札に目を走らせれば、確かに「小杉美也子」と読めた。
 ともあれ、相手はさすが医療に携わる身の、患者の無礼を咎めるでもなく、事務的にこちらの加減を尋ねたのち先生を呼んできますと行きかけるのに、
「ところで、俺の容態は?」
「いえ、別に……」
 口止めでもされているのか言葉つき歯切れ悪く、そのまま扉に急ぐのに追いすがって、
「今日、何日?」
「十七日。あそこにカレンダーがあります」
 窓の左脇を指差し、冬吉がその方に気を奪われた隙、ナースは白衣ひるがえしてさっと病室を出た。

 カレンダーは山百合をあしらったもので、ささやきの言ったとおりやはり七月である。が、次の瞬間、冬吉は目を瞠り、こすり、細めて、惘然とした。確か今は二十一世紀に突入したばかりのはず。これは、記憶というよりも常識だろう。にも拘らず、カレンダーに刷りこまれた西暦は……なんと、百年飛び越えての、210✕年。もはや、視覚の怠慢ではなさそうであった。

    4 プロジェクト・プシケ

 唖然としたまま冬吉が意識と常識がきたした齟齬を理屈にインテグレートする間もなく、またぞろ扉が開き、三人の白衣の男が厳かに入場のていであった。殿には、かのナースも控えている。
 真っ先に歩いてきたのは六十がらみの、白い顎ヒゲひとふしあり気な小肥りのやつで、細い目と傲慢そうに歪んだ口元を意識的にほころばせて口を切るには、
「ほう、すっかり元気になられましたな」
 男は自らを稲垣俊造と名告り、さっそく引き連れた二人の若いやつを冬吉に紹介した。初めのやつはやはり稲垣姓の貴宏とか、親子らしく似たような小肥りで背も低く、ヒゲの剃りあとの青々とした縮れ毛の男である。銀縁の眼鏡の奥からは人懐こそうな金つぼ眼がしばたき、終始ふくむような笑顔を絶やさない。年の頃は一見三十代後半とも読めたが、口元には甘ったれた少年ぽさが漂い、見かけよりは若そうであった。
 もう一人は小菅涼一郎。どうやら、ささやき憧れの彼のようである。若く見えるが、これも当方と似た口だろう。確かに劇画風のロン毛あてやかに、一重ながら沈着な眼差し鋭く、高い鼻、薄い唇、おまけにすらりとした長身の、翳のある二枚目の典型であった。そして、最後にはナースの小杉美也子も紹介された。
 その間、ささやきの「彼」を悪く言うつもりもないが、涼一郎のやつ、美也子のからだにねっとり視線を這わせるそぶり陰湿にして、当方の直接行動よりはるかにワイセツのけはいである。それに気づいてか、貴宏はさり気なく美也子を自分の側に導き、二人の間に割って入るかたちをつくった。美也子も、腰に手を置かれての貴宏の誘導を拒まない。案外、このご両人できているともとれ、涼一郎の卑劣な横恋慕のけしきであった。

 とまれ紹介が終わると、稲垣博士はなんら問診するでもなく唐突に、
「百年後の世界に、ようこそ」
 冬吉が反射的にカレンダーの方に首を振ったのに、
「じゃあ、僕が簡単にゆくたてをお話しましょう……」
 貴宏であった。貴宏は美也子をともなってベッドを巡り、カレンダーの前に立つと、
「まず、現代。この二十二世紀に入った我々人類にとって一番の問題は何かということ。すなわち、人口の激減ということです。そう。あなたが生きておられた二十世紀は、むしろ人口の増加の方が問題になっていたんですかね。ご存じでしょ。ところがその人口、わが国の場合で言えば、前世紀の初めにピークを迎えたのち減少傾向をみせまして、まあそれだけなら昔から予測されてたわけですが、その傾向が少々病的になってきたんです。出生率の低下は目をおおうばかり。問題は複雑、かつ深刻です。
 実は、この現状をちょうど百年前、ずばり予告した医学博士がいたんですね。まあ、当時はキチガイ博士と言われてました。無理もありません。五臓六腑以外、人間にはもう一つの臓器を発現させる能力があるというんですから。そして、その臓器こそ来るべきべき暗黒の時代を生きのびるための、人類のもっとも重要な器官になるだろうと予言したわけです。
 そういうところに、どうやらあなたが何かの事故、そう、交通事故だと思いますが……運ばれてきた。さぞや、あなたを診た医者はびっくりしたことでしょう。かのキチガイ博士の言ったとおりの、幻の臓器が見つかったんですから。もちろん、博士の知るところとなる。はたして遺伝子の突然変異によるものか。当時のサイエンスでは判らない。加えて、この臓器がいかなる働きをなすのかも、仮説を立てた博士にすら明確な答はない。
 結論はこうです。この新しい臓器を宿した人間こそ、未来のホモサピエンスの魁(さきがけ)にちがいない。まあ、サイエンスというよりはカルトですね。結局、あなたはその病院の地下に冷凍人間として保存された。そして現代、我々はかの博士の遺稿を頼りに、あなたを百年の冬眠から蘇生させたしだいです。なにせ、あなたが凍結された病院は、我々の『第二螺旋病院』の前身だったんですから……」
「ちょっと、ストップ」
 冬吉はコトを単純に理解したく、今度は一番頼りになりそうな稲垣博士の方に顔を回し、
「あの、ちょっとお伺いしますが、その幻の臓器が僕にあるってことですが、いったい……」
 稲垣博士は、大丈夫とでも断言するそぶりに一つ力強くうなずくと、
「そう心配せんでよい。とにかく、その年まで何の支障もなく生きてこれたんだ。特に悪さを肉体に及ぼすというのではなさそうだ。
 いや、むしろ、この時代に於いては人類を救う重要な鍵になるやも知れん。ただし、研究はこれからだ。そう。君のからだの幻の臓器を調べるため、我々は《プロジェクト・プシケ》というチームを作った。ここにいる四人がメンバー。君はさだめて、五人目のメンバーと思っていただきたい」
「まさか、腑分けしようてぇコンタンじゃ……」
「はっは、当分そんなことはしない」
「当分……ですか。気になるね。それより、実は僕にはまったく記憶がない。親兄弟から、仕事に関するまで。ひょっとして、その臓器のせいで……」
「いやいや、君の記憶を薄めたのは我々だよ。まあ、怒らないで欲しい。なにせ、君は百年の冬眠から覚めたわけだ。へたに記憶があれば、精神の錯乱を引き起こしかねない。どうあがいても、いまだタイムマシンは発明されていないからね。そこで、少しずつこの時代に適応し、それにつれ記憶の方もおいおい戻ってくるだろう。焦らないことだ」
「そう、焦っちゃダメですよ……」
 左手からの、貴宏の声であった。見れば、貴宏は思案深げに腕を組み、
「確かに、ショックはあると思いますけど、なにもあなたをモルモットにしようってわけじゃないんです。体力が回復しだい、もちろん自由も保証します。ねえ先生……」
「パパと呼んだほうが、いいんじゃないか」
 初めて口を開いた涼一郎の、皮肉な口ぶりであった。からかわれた貴宏は、美也子と顔を見合わせて笑みを交えたあと、
「実は、僕たち親子なんです。時々、お父さんって言って注意されますが。いやだなあ……」
 美也子も貴宏の顔を笑顔のまま覗き込み、こどもを諭す口調で、
「だめよ、貴宏さん。お仕事中は先生ってお呼びしなくっちゃ」
「それよりも……」
 和んだ空気を裂いて稲垣博士が言うことに、
「この病院は、君が思っているようなところではない。病院内は、身分証明を兼ねたカードなしでは行動は許されない。いずれにしても、君は人類復権の秘鑰(ひやく)を握る大切な存在だ。くれぐれもヤケになったり、あらぬことを勘繰ったりせんで、むしろ呑気に体力を養ってくれたまえ。身の回りの世話は、そこにいる美也子君がやる。何か欲しいものがあったら相談するといい」
 それだけ言い残すと、稲垣博士は貴宏と涼一郎を引き連れ、あっさり病室をあとにした。

一人残ったナースの美也子は、いささか意地の悪い笑みを口元にくすぶらせつつ、
「どう。事情は飲み込めました?」
「そう簡単にぬかすな。実はまだ信じちゃいねえ。すっかりファンタジーの世界だ」
「いっそ、楽しんじゃえばいいのよ」
「ふん。無責任なやつめ。それより、何か欲しいものがあれば相談しろとのこと。本当だろうな」
「ええ、もちろん。予算の許す範囲なら」
「だったら、一つ欲しいものがある」
「何かしら」
「君の口づけ」
「まあ。それは予算の許さない範囲よ」
 軽くいなしつつ窓辺に立つと、
「ねえ、海でいいかしら」
「そういえば、ここはどこなんだ。かなり海に近そうだが」
「波の音、うるさかったら小さくします。それとも……」
 不意に波音が消え、代わって小鳥の囀りのどかに、窓の向こうには緑なす夏山が聳えたった。
「わっ、脅かすな。スゲェしかけだ」
 美也子はリモコンのようなやつを手に近ずいてくるなり、それを枕元に置き、
「海でも山でも、春夏秋冬、ご自由にね」
「とたんにシラケたね。それよりも、ここは本当はどこなんだ」
「東京よ。前世紀の『第一慈因病院』が元々の心棒だけど、今じゃカタツムリが殻をつくるみたいに……都市を飲み込んでるわけ」
「ちぇ。見当がつかねえ。ただ、『第一慈因病院』といえば聞いたことがある。何の因果でそんなところにぶち込まれたのやら。全く、記憶がないってのも辛いね。君には判るめえ。この、なんとも言えない宙ぶらりんの気分」
「判るわ」
「言ってくれるじゃないの。人事だと思って」
「そうでもないのよ。実は、このわたしも、十九歳を境にして昔の記憶がないの」
「なに、君も。そりゃまた、どうして……」
 美也子の顔が曇った。こころの棘に触れるのか生理的嫌悪のけはいが漂うのに、冬吉はしいて話柄をそらし、
「それより、先ほどはまことに失礼」
 美也子は笑顔を取り戻すと、
「ううん、気にしないで。わたしもナースとしての教育は受けてます。患者さんはやっばり特別。少しくらいのコトされても、絶対に怒っちゃいけないの」
「そうなんだ! しからば、もう一度……」
 たわむれにのばした手を、美也子は小さく後ろに跳ねつつカルテで軽く打つと、
「図にのらないの」
「それはそうと、この俺、冬眠から覚めての夢現の時、何か妙なコト、口走らなかった?」
「それは言えません」
「いやね、抑圧のある人間は麻酔なんぞの時、やたらワイセツなコトを口走ると聞いたことがある」
「ヒミツ。それにしても、あなた抑圧するタイプかしら」
「やられた。ところで君、カレシは?」
「そりゃあ、わたしだって……こどもじゃないですからね……」
 笑顔で照れつつも小娘の願望にはあらず、つい昨夜のイトナミを思い浮べるけはいの腰つきに、肉の悦びを知りそめた女の嬌羞がにおった。
「君、いくつ?」
「まあ、意外に野暮天ね。女の人の年を訊くなんて」
「ちげえねえ」
「二十八歳になるの。けっこういってるでしょう」
「二十三、四かと思ってた」
「ありがとうございます」
「どうも君を見てると、初めて会った気がしない」
「古い手ね。百年前はその手を使って、けっこうのプレーボーイだったんじゃないの」
「そう見える?」
「どうかしら」
「君を口説いていい?」
「ダメ」
「はっは、逆にファイトがわいてきた。それより、立ってないで腰掛けたらどうだ」
「あら、すっかり油を売らされちゃったわね。とにかく、あなたは百年後の世界に単身赴任してきたとでも思いなさいね。日用に必要なものは、予算の許す限り調達します。それから、あなたの名前は今村冬吉です。判りましたね、冬吉さん。じゃ、わたしはこれで……」
「ちょっと、待て」            
 行きかける美也子の腕を掴んだとたん、冬吉は頭の中の歯車がカチリと動くけはいを覚えた。ささやきから前もって聞かされていたはずの「冬吉」なる名も、不意にリアリティーをもって迫ってくる。思わず真顔になって美也子の顔を見詰めれば、向こうも笑顔を消し、目を見開いていどんでくる。それから患者に対するとは思えぬ荒っぽい所作で手を振りほどいたのが、顔をそむけ、とっさに自脈をとり、どこか取り乱したていで病室を飛び出した。

 ⇦前へ 続く⇒


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