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【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】【恋愛小説】 かんざし(改訂版) 6章

       

       6章

 翌日の仁平は、娘をシッカリと見詰めた。
 綺麗と思う女性を見詰めるは男としての義務でもあり、その人への礼儀のようにも思われるのだ。あの大学生のように陰気な眼差しはすまいと決意しながらも、顔の強張りは抑え難い。それでも、仁平は真摯に娘を見詰め続けた。娘にして、仁平の視線に気づかぬはずはない。それでも、素知らぬ……いっそ不愉快そうな表情が窺われるのだ。娘はもしかしたら、かの大学生の一件に傷ついているのかも知れない。ならば、今自分が同じ場所で、同じように娘を見詰め続けることは罪ではないのか。仁平の心は痛んだ。それでも、仁平は見詰めることに拘った。見詰めるのをやめることの方が、遥かに罪深いように思われたのだ。

 娘は、十二月二十九日から店に姿を見せなくなった。仁平は少し不安になったが、その不安はそれ以上には深まらない。それも、若さのゆとりなのだろう。そう。娘は正月休みで、一時国へでも帰ったのだろうと軽く考えた。イザとなれば、情熱の翼を翻し、どこへでも飛んでいけるという若さの、無謀なまでの自負を感じていたのだ。老いを受け入れ、死をともがらとするには時を要したが、若さを享受し生と戯れるに時間はかからないのだろう。
 それは、仁平が周囲を見渡す眼差しの変化でもあった。人や事物を観察するのは、作家としてのおのずと身に付いた本能と当然のごとく考えていたものだが、その眼差しが暗く、重苦しく、偏狭に濁っていたことに気づかされるのだ。自分を含め、老人の醜さあさましさだけが目につき、偏見の癌細胞となって脳裏を蝕んでいたことが恥として認識できるのだ。言うなれば、死を恐れ、失った美への執着が演じせしめた盲目的な仮面舞踏ではなかったのか。能役者がシカと見定める目付柱のごとく仁平が見ていたものは、亡びの諦念ではなく、自らの醜さではなかったのか。自らがかけ続けてきた悪尉の面は、目が切られていなかったのかも知れないのだ。

 『白鳥ホール』で、仁平が娘の代わりに目に止めたのは、一人の老婆の存在であった。押しつぶされたように小柄で、さっぱりと頭髪もない、初めは男かと仁平は思ったものである。太い男物のステッキをつき、ゆっくりと、それでいて着実な足取りで店内を巡り、椅子に登るようにして腰を下ろすと、巾着袋からおもむろに百円玉を取り出す。他人から援助や同情を求める風もなく、不満や苦痛を表に出すわけでもない。そこにはうらぶれた死の刻印は見えず、いっそ逞しい生の強かさがあった。ゆるやかに、そして優しく生を生きる老いの達人のようであった。残滓の色気にくぐもった初老の女も、この老婆の落とした硬貨を拾う時には、一時こどもの無邪気が厚化粧を洗い落とすかと見えるのだ。もとより、当の老婆には、親切を強要するような傲慢さは微塵もない。
 他には、いつも二人連れの老婆も仁平の眼差しの住民であった。お互いにお互いをこよなく慈しみ合っているふぜいで、テレビの据えられた休憩所では一本の煙草を代わる代わる味わっている様がほほ笑ましい。こだわりを放擲して、温かみのある寛ぎがあたりに転がるようであった。
 仁平はそんな新しい発見も、人生の一コマとして小説の中に盛り込んだ。小説に手を加えながら、仁平はつくづくと考える。自分はもしかしたら、歳をとる資格がなかったのではないのか? 自分の取り戻した若さは、あんがいそれ以降、真の人生を生きてこなかった故の仕切り直しではないのか? 自分がかって、実年齢よりも極端に若くみられたり、叉その逆であったことが思い出される。そう。生きることは、即老いることではないのだろう。ならば、老い行くことも、生きた証とはならないのだろう……
 そんなことをぼんやりと考えながら、仁平は何十年ぶりかの美味しい餅をいくつも幾つも焼いた。叉、奥歯が痛んだ。痛みの中に、生が蟠(わだかま)っているようであった。門松の鋭い針葉が、痛みの象徴のように見える。それゆえの常磐。緑ゆえではなく、痛みゆえの永遠回帰……
 飛翔を忘れた電線の凧が、ふと仁平に過去を思い出させた。大きく息を吸い込むと、時の目盛は溶解し、代わって『白鳥ホール』の娘の笑顔が彷彿とした。白い吐息が、まるで荼毘に付した過去の、灰のようであった。

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