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【SF連載小説】 GHOST DANCE 26章

   

     26  初潮


 ささやきが戻ってきたのは、まだ明けぐれの時刻であった。
 手にあまる荷物をぶちまければ、食料はインスタントながら、冬吉のためには上着、シャツ、ジーンズ、逃亡者にふさわしいスニーカーまで行き届いた。一方美也子のための服はといえば、女同士の気配りか、萌黄色のダブルのツーピースに同色の太いベルと、おまけにちょいとしたアクセサリー、スリップからハイヒールまで、はたまた変装用のサングラスというちぐはぐなあしらいであった。服などは、死んだ両親のものという。自慢げに品物をひろげるささやきは傍目にもうきうきと、打診してみれば涼一郎がガンをぶっぱなして逃走中というニュースを聞き、心配どころかこれをスーパースターと祭り上げているふぜいである。そのように話す言葉の涼一郎は、いつしか「彼」という甘い響きに打って変わり、
「……でも、彼が刑天君と知り合いだなんて知らなかったな。地下組織って言うのね。きっと、二人で革命を起こすのよ。わあー、どきどきしちゃう。狙う相手は、そう、《ブルー・サングラス》……」
 判っているのかどうか、ささやきはひたすら涼一郎を持ち上げ、自分も同志の一人と見立ててのカクメイごっこを楽しんでいるけはいであった。ついては、こまっちゃくれた口調で、かって知ったるアジトというあんばいか、簡易シャワーやトイレの場所から盗電のからくりまで説明してはしゃいでいたのが、不意に眉を顰めた大人びた表情をつくると、
「それにしても、彼、アジトに来るって言ったのに。早く来てくれないと手遅れよ。あたし、待てない」
 居ても立ってもいられぬそぶりで、ささやきは再び飛び出した。

 ちゃっかりしたもの、美也子はさっそくシャワーを使い服を身につけ、スカートの丈が少し長いことに不満をこぼしつつもささやきが置いていったポシェットの中の化粧道具を拝借すれば、その間冬吉も顔を洗って着替えをすませ、ささやかな朝の食卓を挟む段取りになった。
 ラジオのダイヤルを回すと、『蟻の巣』の海賊放送か、『ゴーストダンス』のメロディーが流れてくる。美也子はスパゲティーを食べる手を休めると、
「ねえ、冬吉さん。この間、『遊民窟』で言ったでしょ。この曲は自分の作曲だって……」
「ああ……君に捧げるために……」
「わたしへのプレゼント。そう……待って……思い出してきたわ。本名の黒沼春吉は、奥さんもいる音楽プロデューサー。そして、今村冬吉って言うのは……そうよ。そうよ。あの日、わたしは敢て、『冬吉さん』って呼び続けたの。ジャズミュージシャンの冬吉さんには、奥さんなんていない。わたし、そう思いたかった。確か、クリスマスイヴよ。あの夜、わたし、初めて冬吉さんに抱かれるつもりで……二人でホテルに……」
 まずい。冬吉が思った瞬間、美也子は手にしたフォークを落とすと、ひきつったように目を見開き、ついで眉間の皺深くその目を閉じて歯を食い縛った。食い縛る歯の隙間からはおのずと声が漏れ、恥辱の限界が破られるさき両手はテーブルの皿を払い、漏れる声は叫びになった。叫びはやがて憎悪を結んだ視線に転じて冬吉を睨みつける。
「どうして。どうして、あの日、わたしを抱いてくれなかったのよ!」
 美也子は口角をティッシュで癇性に拭うと、勢いよく立ち、大股でベッドに近づいて無防備に横たわるなり、
「早く、抱きなさい! たった今、たった今あなたのものにして!」
 もはや誤魔化す術はない。蘇った屈辱の記憶に、冬吉とて責めを受ける筋はあった。意を決してベッドに進めば、激しい口調とは裏腹に美也子はからだを固めて啜り泣いている。そこに、かすかな言葉が混じって、
「悔しい、悔しいわよお……。あれは、嘘。あの時も、嘘。ぜんぶ、嘘。みんな嘘にしてえ……」
 嘘、嘘と繰り返すは呪文か。美也子は、その度にからだを苦しそうに絞る。絞り出そうとするものは何か。夢現、こころならずも開花悩ましい二十八歳の女の肉体ながら、自らを掻き抱くそのふぜいは、十七歳の生娘のものであった。

 その時、荒っぽい扉の開閉する音が響き、
「美也子ちゃーん!」
 ほとんど泣きそうな声。見れば、ささやきであった。両手を股の間に挟んでしゃがみ込み、恐怖に目を見開いている。尋常ではない。美也子もにわかに看護師に戻って涙を拭い、すかさずささやきの前にかがむと、
「どうしたの。どこか苦しいの」
「あたし……もうじき死ぬことは判ってるよ。でも、こんなコワイ病気で死ぬのはいやよ……」
 言いつつスカートの中から手を抜けば……血。それから、わっと泣いて美也子にしがみついた。美也子もこれを抱きとめると、やさしい声で、
「恐くなんかない。初潮よ。ささやきちゃん……」
「ショチョウ?」
「そうよ。病気じゃないの。女性になった証なのよ。ささやきちゃん、もうこどもじゃないの」
「美也子ちゃんにも、あったの?」
「ええ、もちろんよ」
 ささやきはようやく安堵したか、泣き声を止め、幾分しゃっくりするような口調ながら、
「女になったわけね。そう言えば、本に書いてあったっけ。だったら、あたし、もう結婚できるの?」
 困惑の表情の美也子に、冬吉は軽くうなずいた。美也子はそっとささやきを立ち上がらせ、シャワーの方に誘いながら、
「そうねえ、できるかも知れないわね」
「あたし、涼ちゃんと結婚するの!」
 美也子にからだを清めてもらっているうちに、ささやきはすっかり元気を取り戻したようであった。それでも歩みは内股不自然にして、椅子に掛けようとしたとたんぐにゃりと腰砕けの、その場に人形のように倒れ込んだ。冬吉が慌てて抱きとめベッドに寝かせたが、本人はいたって呑気で、
「わあ、急に力が抜けちゃった。きっと、『恋煩い』ね」
 笑顔まじりにささやきの脈を診ていた美也子ながら、にわかに顔色を変えると、冬吉の視線を搦め取って首を小さく振り、大粒の涙を一つ無造作に落とした。異変か。冬吉が美也子に代わってささやきの手首に指を置けば……ああ、ほとんど脈がない。さだめてバッテリー切れ。そのように、表情の明るさを裏切ってささやきはすでに起き上がる力すら失せているけはいながら、つい手を伸ばすところにポシェットがあった。美也子はこれを渡し、
「ささやきちゃん、お化粧がしたいのね」
「うん」
 ささやきの手は、もはや口紅を塗る所作すらおぼつかない。代わりに美也子が、
「へたくそねえ。わたしがお化粧を教えてあげるわ」
 うなずくささやきに、美也子はルージュを引いた。頬には紅をはき、ねだられてアイシャドーまでほどこすと、十歳の少女もいくらかませて見えた。美也子は気がついているのだろうか、一足早い死化粧のふぜいであった。化粧を終え、手鏡を覗き込みながら髪の乱れを直すしぐさには、こころなしか女のにおいがかおった。

 突然、背後に扉の開く音。冬吉が振り向くと、そこにブルゾン姿の涼一郎が立った。頬はこけ、不精ヒゲうっすらと、すでにして逃亡のやつれが滲んでいる。涼一郎はこちらの反応を制して、
「いいか、逃げるチャンスは今だ。三日連続の『金丹祭』で、病院はどんちゃん騒ぎ。『蟻の巣』にしても、『ゴーストダンス』で混乱するはず。これに乗じろ。先生は、貴宏が殺されたことで、君達二人を逆恨みしている。ともに、檻から逃亡した先祖返りのけものとして手配したと聞く。捕まったら最後。人殺しの狂犬並みの扱いと思え。あと一時間もすれば、祭も盛り上がってくる。用意をしておけ」
 そこまで一気にまくしたてると、ドサリと椅子に腰を下ろしタバコに火を点けた。
 美也子がすぐに訴えるには、
「それより、このささやきちゃんが初潮をみたのよ。これはサイエンスじゃないわ。涼一郎さんを愛しているからよ。なんとか言ってあげて」
 眠っていたかに見えたささやきも、涼一郎を認めると、
「あたしの涼ちゃん……」
 涼一郎はタバコを足下でもみ消すと、立ち上がってベッドに近ずいた。脈を診るまでもなくおのずと事態を悟ったけはいで、手を差し伸べるささやきを抱き上げておでこにキスをすると、
「はっは。僕に惚れて女になったか。可愛い花嫁さん。ブレーンには理解不能。それを理解する器官は、あいにく僕の場合退化しているからね」
 ささやきは涼一郎の腕にあって、夢見心地のけしきで、
「ステキな革命家の涼ちゃん。いい気持ちよ。これがセックスなのね。涼ちゃんが死ぬほど好き。きっと、夢の中で新婚旅行に行けるね……」
 うっとりと目を閉じ、すぐに静かな寝息をたて始めた。
 涼一郎がささやきを抱いたままベッドに腰掛けたのに、美也子は、
「それにしても涼一郎さん。どうして、わたし達を助けてくれるの。あんな危険まで冒して」
「ふん。こじつければ、父の仇……」
「父の? 例の、チェーン店のボスのことか……」
 訝る冬吉に、涼一郎は苦笑で応じると、
「あれは戸籍上の父親さ……」
 つまりは、涼一郎の戸籍上の父は確かに貨殖の道にかけては昼夜勃起のつわものながら、実は『人工ペニス』に頼るインポテ。しかし、両親の切なる願いは、こどもを作り、これを国手にしたて、その縁故で自分達も病院階層のエリートにおさまることであった。そこで、母は独断えげつなく、近所の労働者の倅ながら秀才を謳われる十五歳の少年を誘惑、首尾よくタネを仕込めば産まれ出でたのがすなわち涼一郎である。秀才の血を受け、涼一郎は教えるほどに張り合いのある才を見せ医大を卒業の、堂々エリートとして『第二螺旋病院』に迎えられた。当然、両親もコネクションあらたかに格上げのはずが、父は半ば暗黙の了解とはいえ妻の浮気に恨みを抱きこれと離縁、代わって色にしていた若い女と再婚しての病院入りを画策。かかる所業を、からだを張った母が許すわけもない。涼一郎は夫の子にあらずと訴え出れば、罵声飛びかう泥仕合のさき病院の涼一郎にも被害は及ぶ。そこで涼一郎、『蟻の巣』でのなにがしかの援助を言い含め、半ば両親を切り捨てたしだいであった。
「まあ、二人とも今では『蟻の巣』でうまくやっているよ。所詮、性に合っているのさ。実は、コトが落着したあとのおやじとの酒席で、僕の実父の話が出た。聞けば、病院労働者になったやつという。考えてみれば、おやじのタネで僕のような秀才が生まれる道理もない。ホンモノの父に会ってみたいという好奇心もあってね……」
 そのように、涼一郎は軽い気持ちながら、病院労働者の義務である、いにしえの指紋押捺にあたるDNA指紋をコンピューターを使って検索、自分のDNAの塩基配列と比べれば親子鑑定に狂いはない。結果一人の男が浮かび上がったものの、すでに死亡。さらに調べるが詳細は知れない。
「半ば忘れていたが、五年ほど前のことだ。失敗した臓器保存の実験の話を聞き、前後して、頭部を失ったにも拘らずしぶとく生きのびている男が、ささやきの世話でこっそり廃ビルの地下室にいることが知れた。そう。先だってコロシアムで処刑された……彼が、僕の本等の父親だ……」
 きっかけは、ささやきの一言であった。涼ちゃんはどこか刑天君に似てるよ。無論、涼一郎には何とも腑に落ちない。が、たまたまささやきの夜遊びに不審を持ち、あとをつけて刑天の存在を知ったという。ただし、その頃の刑天はこども並の知能しかなかったそうだが、体毛を調べた結果父であることが判明。涼一郎もサイエンティストとしてひそかにこれを窺えば、発生遺伝学の常識を覆す事実に直面、研究室の場に連れ込みたい衝動に駆られつつも、この再生という現象を退化の兆候と見立てられた場合血の繋がる己れに害は及ばないか。いっ時は抹殺も考え、涼一郎なりの苦悩の日々のようであった。そうはいっても、涼一郎は刑天を夢の怪人として語るささやきを誘導し、これがどんどん知能を回復してゆく過程を聞き、やはり誇りに思う一方、夢の怪人に読ませる本のリストを渡し、間接的ながら、父たる刑天を己れの内部の代弁者に仕立てたけはいであった。
「例の幽霊騒動。父が生首を頭に載せて情報を集めていることも知ったが、ちょうどプロジェクトの仕事が忙しくて……気づけば……」
 そこで言葉を切りしばし俯いて唇を噛んでいたのが、再び続けて、
「ニュースではいっさい取り上げなかったが、父は《ブルー・サングラス》に支配された病院体制打倒のアジビラをビルの上から撒き、実際に《ブルー・サングラス》の一人を公衆の面前に引きずり出そうとも計画したらしい。まったく、無茶な。見事な直情径行。はっは。僕にも、やはり遺伝しているかな」
「実は、俺も彼とは会ったことがある」
「ありうることだ。父の最後の話し相手が君ってわけか。礼を言うべきかな。それよりも、ささやきがカードを使って君を内緒で連れ出していたのも知っていたよ」
「なぜ、見て見ぬフリをしていた」
「さあ、なぜだろう。《愛の臓器》を持った人間の、自然な行動を観察してみたかったからかな。いっそ、気紛れと言っておこう」
 涼一郎は腕時計に目を落とすと、
「さあ、そろそろ逃げろ。頃合だ」
「おぬしは?」
「通夜だよ」
 冬吉が改めてささやきを見れば、ほほえむような顔を涼一郎の胸に押し当てながらも、すでにその寝息を止めていた。
「分も弁えず恋なんぞするから、いのちを縮めるのさ」
 美也子にも沈痛のいろが走ったが今はむしろ看護師の、患者を看取った冷静さを保ち、
「あなたも、逃げなくていいの」
「逃げる? 僕の妻が言ったろう。僕をステキな革命家だって」
 涼一郎は苦く笑って、ささやきと自分の『ホワイトカード』をベッドに置き、顎をしゃくった。ついで、ブルゾンのポケットから黒光りするグロックを取り出し、銃口を二人に向けると、
「とっとと、行け!」

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