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怠け者礼賛

 

 何に一番憧れるかと言うと……徹底的に怠け者のグータラ生活に徹してみたいとうことである。


 好きなだけ夜更かしをし、好きなだけ寝坊を楽しむ。出来ることなら、働きたくない。

 まあ、実際そんな生活が可能とすれば、宝くじが当たった場合に限られるだろう。
 現実問題としては、不可能である。

 取り合えず、最低限度の労働はやむを得ないが、後はひたすら怠けていたい。

 思えば「三年寝太郎」という民話が各地に伝承されているが、たいてい、最終的には勤勉になって、世の為人の為になるというのがお決りである。

 お生憎であった。僕は金輪際、世の為人の為に生きようなどと考えたことはない。

 わざわざ人生に価値を見いだして、これを先途に有意義に生きるコトを尊しとする向きもあるが、どこか宗教とリンクしているけはいもあって好きにはなれない。

 小説こそ書いてはいるが、僕は何か御大層なテーマのようなものを規定して書き始めたこともなく、仮にテーマらしきものが見え隠れしたとすれば……それは後からついてくる結果に過ぎない。

 もとより、僕にしたところで戦争は憎むし、人が殺されるなどはいい加減にして欲しいと考える。
 しかし、……だからと言って、平和をいかに説いたとしても、世には必ずそれとは真逆の意見も飛び出してくるは、必然だろう。場合によっては、諍(いさか)いの元を新たに作り出すことにもなり兼ねない。

 これまでにも、数々の頭脳明晰、理想高邁な人達が、懸命に平和を説いてはきたが……それで戦が終わったためしはないのだ。

 そう。世に「価値」など大仰な思想を持ち出すからこそ、……そして、その「価値」が固く大きなものであればあるほど、それとぶつかり合う、反対の「価値」も対抗出来るだけの力を秘め……これがぶつかり合うと、ロクな結果は招かない。

 だからこそ、僕は生きることに関しては、何の「価値」も見いだしてはいない。死ぬまで「寝太郎」でいたいのだ。
 無価値ということは、実は、一番「価値」があるとも……つい反語的に考えてしまう。
 空気みたいに実体がないのだから、ぶつかり合う恐れもない、
 せいぜい、そよ風とそよ風が、すれ違うようなものだろう。

 特別、贅沢がしたいとも思わない。蔑まれても、別に苦にもならない。ゆとりがあればオシャレもしたいが、なければ着古しで十分である。
 女性に持てるために齷齪しなくても、目を閉じれば……初恋のトキメキにはいつでも再現出来るし、失うものがないのだから、大金持ちの苦労とも無縁である。

 宮沢賢治のように強い人間ではないので……雨にも風にも負けるだろう。

 それでも、この詩の最後の四行だけは、僕の心境と言えそうである。

    皆にデクノボーと呼ばれ
    誉められもせず苦にもされず
    そういう者に
    私はなりたい

 
 

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