見出し画像

西郷と大久保

 
 

 母の日に何か書こうと思っていたのだが、どうも感傷に流れそうで躊躇っていたところ……ふと、全く偶然ながら気がついたことに……同じ五月十四日といえば、大久保利通が暗殺された日でもあったのだ。


 
 日本人なら誰でも知っている維新三傑(西郷隆盛、木戸孝允を含め)の一人であり、今更歴史的解説は不要だろう。
 しかし同郷の友でもある西郷と比べるならば、その辿った道は真逆であった。
 日本では圧倒的に西郷の人気が高く、大久保はちと嫌われ気味らしい。

 要は、西郷はアナログ人間、大久保はデジタル人間だと思っている。

 征韓論(実際には西郷は戦には否定的)から西南戦争に至る破滅への道に向かったアナログ西郷は、やはり幕末から維新に改変が迫られている時代には、そそぐわなかったのかも知れない。
 一方の大久保は、デジタル思考特有の0か1の発想で、すなわち冷徹に……外国の侵略を許すか、富国強兵かを秤にかけたのだろう。
 確かに、大久保のデジタル脳には勝ち組か負け組かの二者択一しか選択肢はなく、西郷のような遊びの要素が欠落していたようだ。終始権力の座にこだわり続けたのも頷ける。
 大久保が征韓論に反対しておきながら……実際は武力を以て朝鮮に条約をせまったのも、0か1の発想だと見れば当然であった。

 とにかく大久保の人気の低さはこの、冷酷とも言える決断力と推進力のせいだろう。
 アナログ的「情」にあつい西郷に、人気が集まるのも理解できる。

 僕も、どちらかというと西郷ファンながら……ふと、もし大久保が紀尾井町事件で暗殺されなかったら? ……と考えてみたのだ。

 ご存知の通り、その後の日本は国際的な力をつけ、戦争と侵略を繰り返し……やがては昭和の敗戦までの一本道であった。そう。スイッチが入りっ放しのデジタルの暴走と言っていいだろう。

 さて、もし大久保が四十代の若さで暗殺されず……その後の日本に指導力を発揮していたら、どうか? ……という問題である。

 当然予測されるのは、「別の」、あるいは「同じ」かも知れないが……やはりデジタルの暴走だったのだろうか?

 蓋し、我が心の師安部公房は自らのことを、「気の狂ったロボット」と例えたことがあった。
 ロボットとは即ち、「知的デジタル思考」のことだろう。自身も「分析癖」を自らの属性と認めている。それが「狂った」とは何を意味するのか? そう。「デジタル」の「アナログ」変換のことだろう。これを以て公房は「文学」を作り上げたはずだ。

 同じく、大久保利通ほどの人間の頭の中で……いっそ優秀なればこそ、一つの必然として公房のような、「価値のアナログ変換」が起きてもおかしくはない。
 左脳デジタルで走ってきた大久保の、しばし押しとどめていた「暗黒脳」たる右脳アナログには……たぶん盟友西郷が住み続けていたのではないかと思う。

 もはや想像でしかない。それでも、もし大久保が生き続けていて、「アナログ変換」を行った暁に……あんがい、全く違った日本が存在していたように思われるのだ。

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。