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考えるとは……

 先だって。バイト帰りの車中でのこと。僕が席を占める前の座席に、三人の中学生らしい男子が座っていた。
 左の男子は、赤い暗記シートを挟んだ参考書のような本に目を落とし、真ん中と右側の子はスマホを覗き込んでいる。もとより、見慣れた眺めである。
 その時、左側の子が右側の二人に何やら、質問を投げ掛けた。小声で何とも聞き取れなかったが……たぶん、暗記中の内容に疑問でも生じたのだろう。
 右手の男子も、すぐに差し出された参考書を覗き込んでいたが、しばしの後、かく言い捨てたのだ。
「そのくらい、自分で考えろよ!」

 言われた男の子が即、応じることに、

「考えるって……どういうこと?」

 問われた真ん中の子も、その右側の子も、揃って、

「…………」

 僕はその後の経過を確認することもなく、電車を降りてしまったのだが、まさしく「考え」てまったのだ。

 考えるとは何か? あんがい……僕自身、考えたことすらなかったのかも知れないのだ。
 はて……もし僕が四人目の中学生としてその場に居合わせたとすれば、何と答えただろうか。

 問題解決のために、それまでの知識と経験をもとに、方向を推論し、試行錯誤を繰返し、一つの道筋を想定すること……そして、錯誤がないか検証しつつ、確信に近づくこと……

 自分でも吹き出してしまった。

 ただし、思考に於て「知識」と「経験」が土台であるこに間違いはないだろう。

 僕はちょっと想像してみた。僕が降りた後、あの三人組はどんな解決法を選択したのか?
 予測がつくのは、スマホによる検索だろう。検索を続ければ、デカルトあたりに辿りつくのかも知れない。
 素朴な質問を発した男の子は、これを機に哲学にハマることもあるだろう。もしかしたら大学では哲学科を選択し、……

 僕は、再び吹き出してしまった。

 そう。知識の検索を繰り返せば、それなりのデジタル知識人には成長するだろう。

 しかし、そこには「思考」の基本である「経験」が不足していないだろうか?

 検索を以て、知識を集めること……そんなことはコンピュータでも可能だろう。すなわちAIである。

 僕はふと期待したくなってくる。
 先に質問を発した少年が、問題解決のスマホによる検索にうんざりして、ふと視線を持ち上げるところ……
 そう。さっきまで僕が座っていた座席だ。そこに……もし、飛びっきりの美少女が座っていたとすれば……
 トキメキ、一目惚れ……まあ、なんでもよろしい。その時こそ、かの少年は、本当の意味での「思考」を理解できるだろう。
 言うまでも無く、いかに優秀なるAIでも、「恋」を知ることはないと思うのだが……

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。