見出し画像

【SF連載小説】 GHOST DANCE 10章、11章

   

   10 PSD


 その日の夜である。冬吉はデジタルピアノの前に座り、ヘッドホンを耳に鍵盤を叩いた。そう。涼一郎との『蟻の巣』見学を終え部屋に戻ったところで自由は打ち止め。カードは取り上げられ、再び幽閉の身に逆戻りであった。おまけに、先ほど食事を運んできたのが美也子とは別口の看護師で、美也子のことを訊いても何も答えず、明日検査があると事務的に告げただけ。
 いくら作り物と理解はしてみても、血塗れの美也子の姿が眼間にちらついて容易に消えず、加えて当人が消息不明とあらば不安はつのる。こころは恋であった。思いはおのずと鍵盤に伝わる。知らず識らずに弾くメロディーは、今日繰り返し耳にした『ゴーストダンス』ながら、左手で重ねる和音のいろあいに、むしろオリジナルの手応えを覚えるはいかなる筋だろう。はて、この曲は俺の作曲ではないのか……

 唐突な確信がスポットになって暗黒の記憶を照射したとたん、浮かび上がる舞台の、そこにピアノを弾く冬吉がいる。ピアノはグランドピアノと知れた。広いフローリングの室内にはドラムセットうずくまり、ベース寝そべり、スタンドに立ったサックスや電気ギター、それに譜面台やマイク林立し、ミキサールームも備わったちょいとした音楽スタジオのながめである。
 下手の扉が開けば一人の女のシルエットが揺れ、舌足らずのはしゃいだ口調で、ねえ、あなた。うるさい。あたし、三ヵ月ですって、まさかと思ったけど。ふん、誰の子か知れたものか。あなたの子よ、決まってるじゃない。うるさい、向こうへ行ってろ。ねえ、今弾いてるのなんていう曲。うるさい。

 あの子へのプレゼント……。あの子? 

 舞台は溶暗の、ピアノを弾く冬吉の手もいつの間にか止まっている。闇の中に、額縁に入った少女の顔が浮かんで消えた。誰かの遺影か。いや、額縁に囲まれた顔は、ナース姿の美也子のようであった。溶暗の闇の中に白衣のイメージを丸めて投げ込むと、かすかな手応えの、ほの明かりに浮き出たは丸い眼鏡の中年のナース。誰だろう。薄れたシルエットの華奢な撫で肩は、それでも美也子に酷似していた。

 戻りそうで戻らぬ記憶に苛立ちつつ、冬吉は明かりを消してベッドに潜り込んだ。

 夢の中で、走る美也子を見た。待て。呼んでも美也子はひたすら逃げる。逃げるにつれトコトコと走り方無邪気に、見る間に少女に戻ってゆく。つい向こうに庵なす山小屋が見えた。美也子が走り込む。いつしか冬吉もこどものこころで山小屋の扉を引き、おじいちゃん! 
 そこはアトリエであった。踊る猫、跳ねる猫、眠る猫、姿態さまざまの猫に囲まれて、すっかり少女に戻った美也子が額縁の中で澄ましていた。

 夢から覚めればすでに朝、食事を運んできたのはやはり美也子ではなかった。穿鑿する間もなく検査とやらに連れ出されるさき、稲垣博士をはじめ涼一郎も貴宏も私語は厳禁とばかり面つき険しく、冬吉を意志を持つ人間とは見ぬ扱いの、電波と音波で腑分けするふぜい荒々しく、終ればすなわち再びの監禁であった。

         ※

 その又翌日、検査こそなかったが相変わらず美也子は姿を見せず、幽閉の無聊に窓から流れる小鳥の囀り苛立たしく、ピアノの前に座る気にもなれぬ昼下がり、かのささやきがひょっこりと現れ、ようやく一つの情報が齎らされたのだ。
「美也子ちゃん、病気みたいだよ」
「病気? 誰が言ってた」
「稲垣せんせ達の立ち話で……」
 詰問すればかえってもどかしいものの、要するに定期検診で美也子の内蔵に何やら異常が発見され、文字どおりの緊急入院とのことであった。
「それで、うんと悪そうなのか」
「わかんない。でも、せんせ達、みんなおっかない顔してたよ。それとカンケイあるかどうか、貴宏の野郎がねえ……」
「貴宏君が何か。それより、どうして彼だけ『野郎』なんだ」
「よくわかんないけど、あたし、あいつのこと、殺したいほど嫌いなのよ。だもの、付き纏って、何かボロを出さないかって探偵してるわけ」
「怖いね。君に嫌われなくてよかったよ。で、その貴宏の野郎がどうしたんだ」
「うん、あの野郎、なんか人相の良くない男とコソコソ話してるのよ。きっと悪い相談に決まってる」
「聞いたのか」
「少し」
「なんて?」
「臓器移植をするとかって。で、さあ、貴宏の野郎、顔が真っ青」
 情報はこれですべてのようであった。ピアノを弾いてくれというささやきながら、冬吉はそれどころではない。内蔵疾患の美也子。臓器移植。気に入らぬが、一応美也子のカレシであるところの貴宏が青ざめたこと。さだめて、美也子は臓器移植が必要なほどの重病……もしや、心臓。思えば、ちょっかいを出した美也子の、自脈を診る仕種が気に掛かる。娘心の昂ぶりと信じたは、当方のにやけた思い込みに違いない。心の臓に病のある娘にとって、不意に蘇った百年前の馬の骨にベッドに押し倒され、唇まで奪われるはいかなるショックか。胸の苦痛を押さえて部屋を出た美也子の姿が浮かぶ。なんたる妄動。まさに「野蛮人」であった。

 夜、食事を運んできた看護師に冬吉は激しく詰め寄った。口重く、看護師が呟くことにやはり美也子の入院は本当らしく、その病状を問い質すさきつい返ってきた答えには、
「確か、PSDとか」

    11 愛の臓器

 それから、さらに三日が過ぎた。「PSD」なんぞと宣告され思わず身震いしたが、ムキになって問い詰めれば、すなわち「心身症」のことらしい。見事人を食った病状ながら素直に安心していいものか、気になることに変りなく、ストレス昂じれば自律神経も反乱の、心身症は冬吉とて同じであった。さても臆病なやつめ。幻に見たスタジオでピアノを弾くのがこの俺とすれば、今村冬吉とやら結構なおぼっちゃまの、野性を失った過保護のマザコンか。キザで薄情で卑劣で意気地なしのボンボンめ、つい出てきやがったらキンタマを蹴り上げてやる。どうも、立派な自己撞着であった。

         ※

 さるほどに、窓から差し込む人工の光も傾きかける時刻である。形ばかりのノックのあと、稲垣博士を先頭に涼一郎と貴宏どやどやと闖入してくるや、ベッドで胡坐をかく冬吉を物々しく取り囲んだ。
 稲垣博士が真っ先に切り出すには、
「実に、我々にとって意想外の事態が持ち上がった。君に五臓六腑以外の特殊な臓器があることは以前にも話したね。ところが、その君と全く同じと思える臓器が、美也子君にも発現したんだよ」
「美也子さんに。そういえば、謎の臓器とやらのこと、すっかり忘れていた」
「はっは、呑気なものだ。とにかく、美也子君に発現した臓器はまだ君ほど充実はしていないが、免疫がないせいか、かなり重度の自律神経の失調を起こし、目下薬物療法の最中だ。もちろん、君の場合も幾分は自立神経系のトラブルが認められるが、やはり免疫のせいだろう、美也子君に比べればずっと軽い」
「心身症を引き起こす臓器というわけか。厄介な話だ」
 涼一郎が口を挟んで、
「僕もいろいろ古い文献を漁った結果、過去にもそういう症例はあったそうだ。ところが、医学の系譜ではない、むしろ文学の修辞の方に出てくるんだ。そう。四百四病の外というやつ……」
「なんでえ、恋煩いってあんばいか」
 稲垣博士は心得顔に口を歪めると、
「つまり、君や美也子君に発現した臓器こそ、百年前の狂人学者桑原博士命名するところの《愛の臓器》というわけさ。いや、狂人の名は返上。彼こそ、未来を見通した天才と言うべきだろう……」
 キ印だか天才だか、当の桑原博士については詳らかにされなかったものの、いわく《愛の臓器》とは胸腔の奥、半ば心臓と重なるところに位置し、網の目のような血管によって抱きすくめられ、整然たる神経の歩調を脳とは独立して撹乱すること尋常にあらずして、この症状を探ればすなわち「恋煩い」に違いなく、病はおのずと自然きわまりない性欲を促すはずというのが桑原博士の説から導いた稲垣博士の所見のようであった。まさに、「愛の復権」によって出生率低下に歯止めをかけようとの狙いと読めた。
「ここで、一応言っておこう。この時代に於て我々が『愛の復権』を唱えるからには、取りも直さずこの百年、『愛』は一つの危険思想であったということだ……」

 百年の昔、すなわち冬吉が現世の話である。とある閨閥に係わるお嬢様が押しつけられた結婚を嫌い、恋人の三文文士と手に手を取って逐電の、これには誘拐という嫌疑すらかかって追い詰められての帰結、もろとも滝壷に身を投じたという。そして、もう一つ。デビュー間もない少女タレントに執心したキャリア官僚が権力あらたかにこれを手籠めに及べども、メカケの地位を袖に同級生との恋に殉じて、マンションの一室よりあられもない姿で飛び降りたという。当時、これらの事件は真相うやむやにして単なる週刊誌ネタにすぎなかったが、一部の御用学者は階層固定化に向かおうとするこの時代のゆゆしき問題として重視、結果、隠密裡の運動を提唱するに至ったとのこと。すなわち、『愛の撲滅運動』である。所詮「性欲」の変形にすぎぬ「愛」を謂れなき理念もて武装するは反社会的であり、人間の健全なる「欲望」を歪める危険思想である。折しも、欲望主義のアメーバが転倒した兜蟹にも似た社会主義を飲み込んだことで、この考えの気勢はいっそう上がったらしい。「愛」とは、かっての「アカ」に等しい。上玉が「アカ」に殉じられては、お金持ちのブオトコや権力握ったクソジジイの立つ瀬がない。
「無論、弾圧はソフトに行なわれたようだ。流行という真綿にくるみ、トレンドというさり気ない道標のさき、テレビや雑誌をはじめファッションから音楽まで、逆説あり幻惑ありの、操作誘導おこたりなかったと聞く。どうかね、今考えてみて……」
 「音楽」と言われ、冬吉は胸にこたえた。グランドピアノの前、呑気な作曲を遊ぶやつ。あいつも案外、愛の撲滅に手を貸した口か。
 いずれにしても、この陰険な弾圧功を奏し、すっかりと欲望主義に世界が狂った矢先に、出生率激減の、黙示録的滅亡がぬっとまかりでたけはいであった。遅れ馳せの「愛の復権」。かの《プロジェクト・エロス》もその一環ながら成果のほどは冬吉とて先刻ご存じの、恋の迷路は科学の袋小路にして、つい振り仰ぐ闇の夜空に燦然と輝きいでた北斗こそ、《愛の臓器》という桑原博士の卓説に他ならない。
 稲垣博士はさっそく《プロジェクト・プシケ》を組み、死病にむしばまれたVIPの凍結体に混じって冬眠していたらしい冬吉を引き取り、これを蘇生させたという運びであった。
「しかし、当初の君の臓器はやはり旧式の凍結法の影響か、まるで木乃伊のように萎んでいて我々も頭を抱えたものだが、この間の検査で調べた結果、全く驚くほどの復元力を見せてくれたよ。ただ、この臓器発現について我々はそれぞれ異なった見解を持っている。まず、私が思うには、そもそもヒト遺伝子の中に眠っていた可能性が環境その他の条件によってスイッチが入ったという説だ。それに対し、貴宏の意見は突然変異説。それから、小菅君、君はなんと言ったかな。分子生物の出とは思えぬロマンチックな……」
 涼一郎がぶっきらぼうにに答えて、
「もののさとし説です」
「はっは。神異かくれもない瑞兆というわけかね。全く、君らしくもない。まあ、いい。とにかくここに至って、やはり私の説が一番有力なようだ。なぜなら、現代人である美也子君にも《愛の臓器》が発現したんだ。これは我々にとって大変な希望だよ。実を言うと、少し前から美也子君がからだの不調を訴えてね。不意に戻したり、動悸、胃酸過多、月経異常など。そこで美也子君、自分から言うには、君から何やら百年前のウィルスを移されたかもしれない、検査してくれと。どういう訳かと訊くと、はっは、君に唇を奪われたと言うじゃないか。さすが百年前の人間の性欲、頼もしいかぎりだ。とにかく、どんな症状かと訊くと答えが奮っていてね。重い風邪で苦しいうえ、お腹をこわし、なおかつバスに乗せられて山道をぐるぐる走り、車に酔って戻したいのに、まだまだ目的地は限りなく遠い……とか。紛れもない『恋煩い』。念のため催眠分析を行なったところ、あの美也子君の口から、君の時代ならまさに放送禁止用語がポンポンと飛び出してくる。まあ、一言で言えば、君に抱かれたいと。放っておけば、我々の面前でオナニーをしかねない有様さ。はっは、そう怖い顔をしないでもらいたい。確かに、百年前の君には私の言っていることがいかにも卑猥に聞こえるかもしれないが、今世紀の我々としてはいっそ感動を禁じ得なかった。遺伝子DNAには、性欲を促す《愛の臓器》を発現せしめる可能性があったんだからね。まさしく、『愛の復権』。素晴らしいじゃないか」
 稲垣博士はそこで言葉を切り、興奮を鎮める深呼吸のあとポンと手を合わせ、その手をこすり合わせつつ続けるには、
「さて。これからの君の仕事は、ズバリ恋だ。美也子君はもうナースではない。君の恋人だ。今後は二人で自由にデートを重ね、存分に愛し合い、そう、こどもを作ってもらいたい」
「やぶから棒に、なんでえ」
「頼む。我々に協力してくれ。百年の冬眠から覚めて、初めての仕事がセックスだなんて、まるで極楽だとは思わないかね」
「パンダかコアラになった気分だ。恋てえやつは、障碍があるほど燃え上がるもの。皆さんに囲まれ、さあセックスしろたあ……いやはや、呆れるね」
「はっは、そう臍を曲げないでもらいたい。君はパンダでもコアラでも、モルモットでもない。コトがうまく運べば、君はむしろ英雄だ。初めて宇宙に飛び出した飛行士なみだ」
「一つ、注文がある」
「何かね」
「まず、自由。ついで、プライバシー。囚人生活はまっぴらだ」
「よろしい。考えておこう」
 稲垣博士の浮かれたふぜいに反し、貴宏は終始無言のまま青ざめた顔を俯けていた。人身御供たる恋人の身を案じてのこころなのか。いや、そうでもない。ささやきの情報の謎は、稲垣博士の科白からは解けない。臓器移植はむしろ貴宏本人の問題か。
 一方、涼一郎の、時に見せる嫉妬にも似た眼差が冬吉には気になった。作り物ながら美也子に対した異常性欲。やはり、歪みに歪んだ恋心のなれの果てなのだろうか。三人の白衣は三者三様の表情のまま、じきに部屋を出た。

 ⇦前へ 続く⇒


この記事が参加している募集

眠れない夜に

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。