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夕涼み
一人暮らしの場合、電気代は平均して月、4、5千円と聞いている。
ちなみに僕の場合は月、3千円ちょいである。エアコンを使っていないのだから、まあ妥当なところだろうか。
とはいえ、「温暖化」ではなく「沸騰化」などと取沙汰されている昨今である。エアコンなしでは生きられない……という声は毎日のように耳にするが、団扇だけで生きている人間もいることを忘れては欲しくない。
エアコンを一律に支給しないのは、憲法違反ではないか……という記事を目にしたこともあるくらいである。
そう言えば……先だって、チャリで買い物途中、つい涼を求めた仏閣の亭(ちん)の腰掛けで、一人の老婆と同席したことがあった。かなり老齢で、たぶん八十代だろうが……なんとハーフパンツという姿がちょっと目をひいたのだ。はっきり言って、痩せさらばえた脚で、さっぱり似あってはいなかったが、この暑さ、身なりなど構っていられないのだろう。
どちらともなく「暑いですねぇ」と口にし合ったものの、どうも耳が遠いらしく、いくぶんトンチンカンな会話にもなってしまった。
とりあえず、「お気を付けて……」と言い残して、その場を去ったのだが……ペダルを踏みながら、ふと祖母のことを思い出した。
もとより祖母のハーフパンツ姿など見たことも無く、真夏にあってもきっちりと着物を着ていたと記憶している。
いうまでもなく、当時は今ほど暑くもなく、夕方にもなれば「打ち水」を励行する家もあったし、「夕涼み」という言葉も生きていたと思う。
「風鈴」に涼の音を聞くというふぜいも健全にして……ごく幼少の頃ではあるが「蚊帳」を吊して、家族全員で休むという、超レトロの怪談的な雰囲気に身を置いたことも懐かしい。
無論今では、「打ち水」も「風鈴」も「蚊帳」も死語なのだろうか?
熱せられたアスファルトに水をぶっ掛けたところで、まさに焼け石に水だろうし、風鈴の優雅に涼を求めるとすれば、空調の中、サーキュレーターの風に煽られての、曲のない音色になりそうである。
いわんや、蚊帳が小道具にもなった四谷怪談など……現代に蘇ったとすれば、てっきりハーフパンツのお岩さんでは、恐さも半減しそうである。
とはいえ、「夕涼み」という言葉だけは残って欲しいと思うのだ。
もとより、熱帯夜続きとあってみれば、「夕涼み」どころか「深夜涼み」すら期待出来ない……と反論されそうだが、どっこい、電気代を3千円ちょいに抑えてきた御利益がここに待っているとは、お金持ち諸氏では想像も出来ないだろう。
そう。吹き出す汗をタオルでで拭い、冷水をがぶ飲みし、腱鞘炎覚悟で団扇を振り続けたからこそ……かりに熱帯夜だとしても、僕はそこに涼風を感じることができるのだ。
世間の連中が夜、部屋に引きこもり、エアコンの人工の風の中、グッタリしている頃……僕は、特権階級とばかり、夜の公園で「夕涼み」を堪能することが出来るのだから……
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。