出家者の様に生きてみる
生きていく(食べて行く)為には、収入を得なければならないのが人間社会。
その中で、起業家や会社員、生産者などの物質的な価値を創造する人は、その価値を貨幣と交換して生活している。
なので、提供する物やサービスの価値(希少性)の変動と共に、生活レベルも変わる。
一方で、自らの活動そのもの、追及し続ける姿、新たな発見を示してファンを獲得し、ファンからの援助によって生活している人もいる。例えば、スポーツ選手や棋士、アーティストやエンタメなど。
なので、ファンを満足させるために成長して行く様を示し続けなければならない。イメージや成績の低下、マンネリによってファンが離れてしまえば、生活レベルは低下する。逆もまた然り。そして人気商売なので、技の熟練度と収入は比例しない。
この後者の生き方、過度な収入よりも自分の満足にフォーカスする生き方が、どこか出家者と似ているなあと感じました。
ひたすらに自分の心と向き合い続ける。出家し、生産や蓄財などの世の中の価値観から離れ、新たな価値(しあわせ)を見出そうと努力する。生産活動すら捨て、一心不乱に努力する。
周りの人はそんな姿に感動し、それを支えるために食事の残りや布の切れ端をお布施する。
仏教を創られたお釈迦さまは、元は全てを手にした一国の王子だった。それでも満たされない心に悩み、出家の道を歩まれた。
現代の価値観も、物の時代から心の時代へ、望まれる生き方も後者へシフトして来ていると思う。物が溢れれば虚しくなり、心の救いが求められ、その価値が高まる。
が、それでもやっぱり物を生産する者が無くなることはない。物は必要です。物が無ければ心も貧しくなり、やっぱり心の救いを求める。
物心両面が満たされた状態、きっとそれが理想。ある程度の物質は求めつつも、日々の暮らしの中で出家的な心で生きてみるのも良いかもしれませんね。
足るを知りつつ、成功や賞賛、承認など外側から得られる事ではなく、自分自身の成長にこそ喜びを感じる。バランスを保ちながら。
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