見出し画像

にせもの

 きょう不可思議な短編小説の草稿を完成させた。
 自分では面白いと思っている。作中の人は現実に存在しないが、その人もそう言っている気がする。
 最近名刺を刷った。私のペンネームのものを始めて拵えたのだ。でもやはり気恥ずかしい。デザインをあれこれ弄っている間は良かった。楽しかった。けれどいざ届いてみると、私はこれを誰彼に渡せる気がしない。派手でもなければ前衛的でもない。
 ただ、私はこれをどこのどなたに渡すというのだろう。機会がない。実力も実績も知名度もない。二十六歳一般人である。
 だから私は熱心に作った名刺の、その行き場の無さを不憫に思いつつ、また一枚から放たれる虚栄心に恥というものを教えられるのだった。
 先日はどうもありがとう。
 ああして同窓の私を遊びに誘ってくれた、そして食事を楽しめたという事実だけで、私は青春時代が無駄ではなかったと素直に喜ぶことが出来た。決して卒業したその日限りに、固いシャッターが下ろされたわけでないと分かった。
 私は友達が少ないから余計に嬉しかった。インスタでは旧友たちがみんな幸せそうな、満ち足りた生活を競って載せているが、私たちだって幸せだったな。華々しくなければ不幸か。いや違うと言いたい。
 細々と半年でも一年でも互いの出来事を笑い、悲しみ、話題も無ければこの料理は美味しい、お酒はどうかなどと話せばいい。
 手がゴツゴツしていたね。仕事柄そうなるんだと言った。私は、他人の手だけれど誇らしく思う。毎日毎日生きている。素朴で空威張りしていない、その手のことを。
 私の書いた作品がもし世に出ることがあったなら、あなたを材料にしたと思われるかもしれません。けれど断じて違います。力不足の私では、表面すら写せなかったのですから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?