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言葉 というナイフ

人間にはいろんな感性があって、同じ言葉でも受け取り方が違います。
また、同じ人でも相手との関係やその日の気分でも受け取り方が変わってくるとは思います。

ただ、それは言葉を受け取る相手の条件の話ですね。

言葉は自分が発するものです。
自分が言葉を発してしまうことで、その言葉が周囲に影響を与える事を覚悟しないといけないくらい責任のあるものだと、私は考えます。
そんなに重く考えないで欲しい…そういう声も聞こえてきそうですが、言葉が人と人とをつないでいる以上、とても重いものだと思っています。

『歯に衣着せぬ』という言葉もあって、ズバッと言うことがさっぱりしていて気持ちいいようでもありますが、いい印象ばかりを与える訳ではないのだと心得ていたいものです。

発する方は「笑いを取りたい」とか「的を射てる」と思って発した言葉でも、言われた本人はその場にいられなくなったり、夜も眠れなくなるようなことがあります。その言葉が心に刺さり、外に出たくないとか人に会いたくない、人前で話せなくなるかもしれません。

私が言われた言葉は、「…だからダメなのよ!」でした。
私が受け取ったのは、私自身のすべてを否定された文言でした。
私は、そう感じたのです。
そしてその言葉は、私を数年に渡って支配しました。心臓をギュッと締め付け、顔を上げることができず、外に出る事をためらわせました。

言葉は凶器になります。れっきとしたナイフです。
言葉を発する方が、投げた後後悔しているかはわかりません。「あの時は、あんなこと言ってごめんね」という謝罪をする人もいるかもしれませんが、例え謝罪をされても、刺さったナイフは抜けません。傷ついたことは事実です。そして、つけられた傷は目で見えないだけで、傷が癒えるまでは数年かかるかもしれません。血や傷跡が見えないがために「謝罪したからいいや」ということではないのです。
また「あなただから言っていいでしょう?」とか「私ってそういうキャラだから」と、人を傷をつけてもいい前提ってあり得ません。そういう免罪符は、無いです。

人間は一人では生きていけず、人間関係を良好に保つにはお互いを思いやることが必要です。
そして口から発する言葉も、インターネットに載せる文言、SNSも含めて、すべて、大切な人間のコミュニケーションのツールです。

見えない傷を負わせないよう、
自分が思いもかけずナイフを人に投げないように、
言葉は選んでいきたいものです。






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