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6月1日 父の命日

今日は、父の命日です。

 平成25年6月1日、ボク達夫婦は小樽へいた。朝4時半頃、施設から突然に危篤の連絡があった。この旅行は、個人パッケージだったので、航空券を解約できない。まずは、行程どおり札幌へ向かった。
 時計台のある元農学校や大通りを観光しながら、今後の対応を家内と練った。テレビ塔前で、生ビールを飲んだ。間なしに、母から父が亡くなったと連絡が来た。眠るように亡くなったと。意識がなくなっても、声をかけたと言っていた。享年77歳だった。
 とりあえず、札幌ラーメンを食べ喫茶店に入った。家では、おせっかい叔母さんが勝手に葬式の準備をしていると次男から報告があった。仕切るのは、長男のボクだから。この件は、礼を言って...。
 ボクらは、喫茶店で施設・病院・葬儀屋・濃い近親者・勤め先などに連絡した。あっという間に、帰りの飛行機の時間になった。羽田に19時頃に着き、家に着いたのは20時、21時に父を引き取りに病院へ行った。
 準備の完了は病院には関係ない。だから、亡くなって半日の遅い迎えに怒られた。平謝り。間なしに、引き取り家に戻った。
 家内は枕花を頼んだ。ボクは枕花を知らなかった。生前、父は家内を大切にしていた。嫁はこの家と血のつながりない。だから、みんなが大切にしなければならないが口癖だった。家内も父を大切にしてくれた。
 翌日、葬祭場に移る。父が初代なのでお寺を決めて挨拶に行った。その後は、自然と儀式が進められた。また、ボクの涙は枯れはてた。
 ボクは命日の6月1日をはっきりと覚えていた。しかし、時が経つにつれて、亡くなった年を忘れていた。昨晩、過去帳で調べた。平成25年と記してあった。そうか、もう11年かと。ならば来年は丸12年、13回忌なのかと思った。
 3回忌までは忙しかった。49日、墓造り・一周忌・三回忌と言う具合だ。コロナ前だったので、身内だけすませなく、濃い縁者にも声をかけた。なんとか済ましてほっとした。七回忌までは少しゆとりができた。
 もともと父は養子となるまでに、親が3回もかわっている。そして義兄弟も逝去した者や消息不明だ。薄幸だった父は、とことん家族を大切にした。孫の成長は格別であった。そうゆう父の思いは、ボクも120%受け継ぎたい。
 今日は命日だ。父への親孝行はこれからも家族を大切にすることだと思う。家内もまた、いつよりもおぶくさんを心を込めて仏壇に備えた。

 鳥のこと・釣りのこと・素質がなければ継続をすること・泣きごとを言わないことなど。他人に優しく、でも家族がいちばん大切と。いろんなことを仕込んでくれた。また、字の読み書きできない自分はボクにその術を身につけさせてくれた。noteを継続しているのも、父への感謝の思いがあるからだ。

 今日は仕事だ。でも、隙間時間に極楽浄土の父と存分に交信しようと決めている。勤めの帰りに、大好物の餅菓子を買う。そして仏壇へ。

かわせみ💎

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