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Asagi
2022年7月29日 19:22
第六部 百合II 私は、産まれてくる理由も意味もない人間だ。私の父親にあたる人は、何においても、あまり話したくなさそうだった。話してくれなかった。露骨に不機嫌そうな顔をした。ひどいときには、私の顔をぶった。血が出たときもあった。それでも、衣食住は保証してくれたし、私の頭を撫でてくれることもあった。少なくとも私は、愛していた。お父さんと呼んだことは数えるほどしかないけど、お父さんであることには変
2022年3月24日 13:34
「お前、歳、いくつだ」「……わか、らない」「チッ」保険証は、母子手帳はないのか。彼女の母親が投げ捨てて行った鞄を漁る。ははぁ、あの野郎、黙って産みやがった。どうするんだ。まぁ、なるようになるだろう。なんかあったらその顔にナイフぶっ刺してやる。 俺は世間で言う「隠し子」を育てることにした。 公園に行くときは朝方、なるべく人目のつかないうちに電車に乗って遠くへ。水筒と弁当。るららるらと歌を
2022年2月28日 00:24
女が次に俺の家に顔をだしたのはそれから四年後のことだった。彼女の右手には、小さな女児がいた。「あんたの」と言って、彼女はぐいっとこちらへそれを押した。 彼女と再会するのはかなり遠い未来。 押し付けられた女児。こいつは誰だ。と思ったらこいつ、いきなり頭を下げた。「どうかここに置いてくださいませんか」口から紡ぎ出された言葉は見た目に似合っておらず、違和感が充満した。お前は誰だ、と尋ねれば
2022年2月27日 10:37
家に帰った俺は玄関のチャイムの音で起きる。とびらを開けた先にいたのはあの郵便屋である。帰れ。お前になんか会いたくない。扉を閉めようとすると、「ね、お姉ちゃんからの手紙、読んだ?」と訳のわからぬことを言って寄越した。「見てない」「だからさ、見たでしょ?あれ、福井行ったんじゃないの?」誰だよお姉ちゃんって。「勘悪いな。あんたの嫁は私のお姉ちゃんなの」明らかに不機嫌になった彼女を見ながら
2022年2月27日 08:35
「…もう一度、福井一家殺人事件に関して取り調べをしていただけませんか。いえ、むしろ俺にさせてください」少し息を切らしながら俺は受け付けの事務員に言った。「あの…どちら様でしょうか…」「当時の担当を呼んでくれ」「あのぉ…」相手が言い終わらないうちに俺は口を開いた。名乗る余裕もなかった。早く妻のことを知りたい。あの事件の真相を知りたい。 「で、あなた、わざわざ東京から仕事すっぽかしてき
2022年2月27日 08:32
「…今日午後一時頃、福井……市……三人の…が発見……ました。…が確認され………さん…………二十八歳……さん……。…の第一発見者である………………と述べています…。警察は…とです」うるさい。黙れ。家のテレビを思いっきり強く叩いてしまったせいで音が悪い。俺は福井県庁にいた。「それで、あなたは亡くなったお嬢さんの夫なんですよね」「はい」そうです。僕の妻はもう何をしても戻りません。いっそ僕も死に
2022年2月26日 23:54
夢を見た。一匹の犬がいた。暗闇の中から、出られない犬。どうしようもなくて、ただただ惨めに吠える犬。でも、その声にすら怯えている。自分の落とす影に、吠える声に、暗闇に、全てに怯えていた。 翌朝、あの女が来た。玄関の前に立っていた。一瞬息がひゅっとなって、変な気持ちになった。「…帰れ」「いやです」俺が言い終わらないうちに彼女はそう言い放った。「お前、俺が怖くないのかよ。今この場で俺が殺
2022年2月26日 23:52
またとある朝、郵便受けに郵便を取りに行くと、郵便屋らしい女が立っていた。妙にヘラヘラしていやがる。腹立たしい。「あの…、すいません。星さんてこちらであってますか…。表札ないもんだからわからなくて…」「違う」ぴしゃりと言い捨てて俺は家に戻る…はずだった。「あの…」今度はなんだ。「星さんてどこですか…」俺が郵便局の偉い奴だったらこいつをまずクビにするだろう。「ここの斜向かい」今度こ
2022年2月26日 23:46
今日はどうしようか。暖かいベッドの中で目が覚めたまま俺は考えた。得意の包丁でも使って魚のひとつも捌いてみるか。魚を買って、本屋で本を買って、のんびりしよう。俺は起き上がって、部屋の隅にある洗い終わった洗濯物の籠を覗いた。しわくちゃのシャツとスラックスを取り出して、アイロンをかける。これにももう慣れた。妻が亡くなってこれで三年。慣れてしまえば楽なもんだ。テーブルに椅子が二つあることも、ベッドがダブ
2022年2月26日 23:37
世の中には悪いことがたくさんある。例えばそれは盗みだったり、あるいは詐欺だったり、窃盗だったり。しかし、それらで得るのは全て「モノ」である。取り返せるものなんて、盗んでも意味がない。だが、殺しはどうだろう。人は、音楽や芸術や文章などに生というものを表す。それぞれの価値観や感情が、そこには含まれる。葬式なら皆が嘆き悲しみ、泣く。生きるということと同時に、死というものは儚く、美しいものだと俺は思う。