なつ
冬が好きという文章を書くくらいだから、皆さんお判りのように私は夏があまり好きではない。
もやもや 蒸し蒸し ジリジリ と嫌な響きで形容される季節だ。当たり前のように好き好みはしない。
特に嫌なのは、ぼやっとした夏の光が空気に溶けて散らばっていく感じだ。
必要以上に眩しく、息苦しくなる。
不健全な眩しさだ。
ところで、相も変わらず今年の夏も一人旅に出た。東西南北にコシヒカリが植わった田園風景を横目に新潟県を電車で縦断した。
電車を降りると暑さを避けて山へ山へと足を進める。
フィルムカメラを首から提げてダラダラと惰性で歩きながら時たまシャッターを切る。することと言ったら大概この程度だ。
夏が嫌いと言いながらも、ちょっとした冒険に出るのはいつも夏というのが皮肉だが、私の好奇心に罪はない。
そして私が夏を嫌う理由がもうひとつ、
写真が上手く撮れないからだ。
元々の写真が巧いわけではないが、夏になると何故だかシャッターを切りたいと思う瞬間がぐっと減る。
それでも早く現像したいという気持ちが勝り、1本撮りきるために夏をフィルムに閉じ込める。
帰ってくるなり早々にカメラ屋さんに駆け込む。
手元に帰ってきた夏に、今年もあまり上手く撮れなかったと嘆き、肩を落とす。
例の空気に散らばった光が邪魔するのだ。
しかし、今年の夏は一味違った。
この写真だけ、何故か妙に気に入ってしまった。
山の高低の狭間に覆い被さるぼやっとした光を美しいと思ってしまった。
不覚にも「夏、やるじゃん」と思ってしまったが、きっと西日のせいだろう。
もやもや 蒸し蒸し ジリジリと今日もそこに佇んでいる夏そのものはやっぱり嫌いだ。
なんてことを考えながら、今日も電車に揺られて横目に通り過ぎる夏を素通りできずに文章を綴ってしまった。
「ニクいね、三菱」
やっぱり夏は冷えきった車内から覗くくらいがちょうどいい。
電車の空調が三菱かは知らないが、やはり夏とは適切な距離感を持って接したほうが良いみたいだ。
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