今回の旅は、ロンドンの海賊ラジオ局を訪ねてみましょう。と言っても、海賊(違法)ですから、場所が分からないので、とりあえずラジオの周波数を適当に合わせてみます。そう、そこから流れてきたのは、STR4TA「ASPECTS」でした。(写真左)。この曲は、現行ブリット・ファンクと言える曲ですが、過去のムーブメントとしての期間は1979年頃から1985年位の間でした。 そして、その頃の代表曲をコンパイルしたものが、「BACKSTREET BRITFUNK」(写真右)です。
今回は1981年のロンドンから始めましょう。1977年から1980年頃まで、ロンドンの若者達はパンクにのめり込んでいましたが、それ以前は、ソウルに夢中だったり、スカやロックステディで踊っていました。 このような、元ソウル・ボーイやルード・ボーイ達はパンクが落ち着いてくると、再びホームグランドに戻ってくる者が多くいました。 そんな中にスティーヴ・ストレンジもいました。彼は、デヴィット・ボウイ に影響され、パンクムーブメントを体験し、自らヴィサージと言うバンドをやりなが
今回は、ザ・ジャム、そしてスタイル・カウンシルを取り上げたいと思います。 ジャムは1977年にポール・ウェラーを中心に結成され、1982年に解散しています。パンク・ムーブメントが最高に盛り上がっていた年にデビューし、そしてニューウェーブがこれからピークに達しそうな時期に解散しているのです。 スタイル・カウンシルはジャム解散後の1983年にポール・ウェラーとミック・タルボットにより結成されました。 つまり、ポール・ウェラーはパンクからニューウェーブを繋ぐ重要な時期に立ち
旅の目的 今回の旅は少し長くなりそうです。 「ポスト・パンク~ニューウェーブの旅」と言うことで、1977年から1983年頃までを遡りたいと思います。私はこの時代の音楽をリアルタイムで聴いてきた世代なのですが、当時は、次から次へと新しい音楽が生まれ、それを追うのに精一杯でした。ようやくこの新しいムーブメントが一段落して、冷静に振り返る事ができると 思ったのですが、この最先端で新しいと思っていた音楽が一瞬で古くなってしまう事件がありました。 そうです。ハウスの波がやって
今回の旅は、1980年のウェールズの炭鉱町から始めましょう。当時、サッチャー政権の下、イギリス国内で多くの炭鉱が閉鎖されていました。ロンドンから遠く離れたそんな町で、ヤング・マーブル・ジャイアンツは、ひっそりと結成され、そしてこの1枚のアルバム「COLOSSAL YOUTH」を残し、あっけなく解散しています。ではこの唯一のアルバムから聴いてみましょう。 簡素なギター、原始的なリズムボックスの音、隙間の多い空間に、静かで飾り気のない透明感のあるボーカル。どの曲も短く、突然終
2回目の旅は、1991年夏のロンドンから。パンク~ニューウェーブの大きなうねりが一段落した頃、今度は海の向こうから、ハウスの波が押し寄せて来ました。シカゴ、NYを震源地としたハウスミュージックは、あっと言う間に欧州に飛び火し、イギリスでもセカンド・サマー・オブ・ラブのムーブメントの中、 ロックにも大きな影響を与えました。そんな時期にプライマル・スクリームの「スクリーマデリカ」(左)は発表されたのです。 まず、このアルバムから先に聴いてみましょう。ジミー・ミラーがプロデ
旅のスタートは1977年のロンドンから始めましょう。そう、セックス・ピストルズの唯一のスタジオ・アルバム「勝手にしやがれ」が発表された年です。歴史に残る名盤です。 かたや左のキング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」もロックの歴史を塗り替えた1960年代の名盤です。 今に連なるロックの歴史を振り返った時、ピストルズの登場が大きな転換期になりました。ざっくり言えばそれは、ジョン・ライドンが「ロックは死んだ」と今までのロックに死亡宣告を出したからだと言われています