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音楽の旅#7 ブリット・ファンクの旅

 今回の旅は、ロンドンの海賊ラジオ局を訪ねてみましょう。と言っても、海賊(違法)ですから、場所が分からないので、とりあえずラジオの周波数を適当に合わせてみます。そう、そこから流れてきたのは、STR4TA「ASPECTS」でした。(写真左)。この曲は、現行ブリット・ファンクと言える曲ですが、過去のムーブメントとしての期間は1979年頃から1985年位の間でした。
そして、その頃の代表曲をコンパイルしたものが、「BACKSTREET BRITFUNK」(写真右)です。 
     
疑問の氷解 
 かれこれ、40年近く音楽を聴いてきた私ですが、いつもイギリスの新しい音楽やムーブメントには驚かされ、夢中になってきました。アシッド・ジャズ、グランドビート、ドラムンベースなどの出現は本当にスリリングでした。ただ、いつもこのような新しい音楽が、突然現れるような気がして、何でだろう、思いつつとにかく追いかけるのに精一杯で、時間が過ぎていきました。インターネット以前の時代だったせいもあるのですが、六本木WAVEでトーキング・ラウドの最初のコンピレーション・アルバムを見た時の驚きと衝撃は、今でも覚えています。ジャズで踊る?どう言うこと?しかも、全然聴いた事のないアーティストばかり。
 最初にブリット・ファンクの期間が1979年~1985年頃と書きましたが、これはパンク、ニューウェーブの期間と重なっています。当時は、ニューウェーブに夢中でブリット・ファンクの事は全く知らなかったのです。今回、2つのCDを聴いて、そしてジャイルス・ピーターソンとブルーイのブリット・ファンクについてのインタビュー、そして「ASPECTS」のライナーノートを併せて読み、ようやく長い間の疑問が解決しました。  
 全ては、ブリット・ファンクのムーブメントと繋がっていたのです。ニューウェーブと平行する形でUK産のファンクをプレイするバンドが活躍し、それを後押しするDJがいて、人種、経済格差の壁を越えて踊る人達がいました。これにサウンドシステムのカルチャーも合わさり、未来の音楽の「揺りかご」のような状態になっていたのです。又、当時のニューウェーブのアーティストとも密接な関係にありました。
 ワム!のジョージ・マイケルもカルチャークラブのボーイ・ジョージも、ピストルズのジョン・ライドンもブリット・ファンクのクラブに出入りしていた、と言われています。 
 そして、ブリット・ファンクと入れ替わるような形で、1985年頃、アシッドジャズが花開いていくのです。
 アシッドジャズが突然新しく出現したと感じたのは、この揺りかごで揺られている時期を、私が知らなかったからです。 
 Joey Negroがコンパイルした、このCDを聴いていると、この先のブラジリアン・ハウスやクロスオーバー・ハウスを予見する曲が見受けられる一方、ファンカラティーナが想像できる曲もあります。
 残念な事に、この素晴らしいムーブメントは、しばらく忘れらていました。もちろん、クラブでは
クラシックとしてスピンされていたでしょう。今回、STR4TA として、当時のブリット・ファンクを経験したジャイルス・ピーターソンとそのムーブメントの体現者であり、現在も現役でプレイするブルーイがアルバムを出す事で、私のように、新しい発見をする人たちが増えるかもしれません。 
 ライブで、是非踊ってみたいなあ。ジャケットの人ように。         
          


             

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