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音楽の旅#6 ポスト・パンク~ニューウェーブの旅 後編

 今回は1981年のロンドンから始めましょう。1977年から1980年頃まで、ロンドンの若者達はパンクにのめり込んでいましたが、それ以前は、ソウルに夢中だったり、スカやロックステディで踊っていました。
 このような、元ソウル・ボーイやルード・ボーイ達はパンクが落ち着いてくると、再びホームグランドに戻ってくる者が多くいました。
 そんな中にスティーヴ・ストレンジもいました。彼は、デヴィット・ボウイ に影響され、パンクムーブメントを体験し、自らヴィサージと言うバンドをやりながら、クラブをオーガナイズし始めます。 
 重要な事は、パンクを経験する事で、
今まで自分が聴いてきた音楽(この場合はグラム・ロック)に違う価値を発見したり、何か新しいことを始めるきっかけにした、と言う事です。
 そんな風にバンドを始め、クラブをオーガナイズしたり、古着屋をオープンする若者が1980年頃から増え始めました。 
 VISAGE  
 ではここで、写真右のヴィサージの編集盤聴いてみましょう。の前に、ジャケットに注目です。これはニューロマンティクスのスタイルで、パンクとは対極にある、過剰にドレスアップしたスタイルです。中世ヨーロッパを主にイメージしたファッションで、中性的で優雅さがあり、どこか奇妙でもあります。
 このような人達が、平日のクラブに大勢集まり始め、多くの注目を集める事になります。ロンドンでいち早くYMOを紹介したのも、スティーブ・ストレンジでした。又、このクラブ(ブリッツ)では、カルチャー・クラブでデビューする前のボーイ・ジョージが出入りしており、その独特のファッションで、すでにかなりの有名人でした。
 このクラブに来る多くの若者は、低賃金で働く労働者階級でしたので、古着屋で安く買った服を自分なりに奇抜にアレンジして、いかにセンスよく人目を引くか競っていました。
 さて、ヴィサージのサウンドは、シンセサイザーを中心にしたエレ・ポップでしたが、パンキッシュな感じもあり、この編集盤には収録されていませんが、「モスクワの月」はYMOの影響がかなり、あります。 
 このニューロマンティクスのシーンからは、デュラン・デュランやカルチャー・クラブ、ヒューマン・リーグなどが一躍スターダムになっていきます。折からのMTVの流行もあり、アメリカでも成功を納め、第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれました。 

NEW ORDER
 写真左は、ニューオーダーのファーストアルバムです。1981年のリリースで、まだジョイ・デヴィジョンの影が色濃くあります。彼らは、ジョイ・デヴィジョンとして、パンクムーブメントを通過し、ボーカルのイアン・カーティスの死により半ば強制的に、ポスト・パンク、ニューウェーブの時代に入っていきます。経緯は違いますが、先程のスティーブ・ストレンジと同様に、過去の音楽歴をパンクを挟むことで変化させて、新しい音楽を創造していきました。
 ニューオーダーとしての躍進は、次作「権力の美学」から始まりますが、このファーストアルバムの葛藤があってこそ、だと思うのです。
 過去に影響されながら、それに囚われず、前に進む。ニューオーダーの歩みは
、まさにポスト・パンク、ニューウェーブの歩みと重なります。 
 3回に渡ったこの旅もこれで終了です。今度は又違う旅を始めたいと思います。それではまた今度。          

 


          

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