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音楽の旅#4 ポスト・パンク~ニューウェーブの旅 前編

旅の目的 

今回の旅は少し長くなりそうです。
「ポスト・パンク~ニューウェーブの旅」と言うことで、1977年から1983年頃までを遡りたいと思います。私はこの時代の音楽をリアルタイムで聴いてきた世代なのですが、当時は、次から次へと新しい音楽が生まれ、それを追うのに精一杯でした。ようやくこの新しいムーブメントが一段落して、冷静に振り返る事ができると 思ったのですが、この最先端で新しいと思っていた音楽が一瞬で古くなってしまう事件がありました。
 そうです。ハウスの波がやって来たのです。ハウスによりニューウェーブは完全に一つ前の音楽となってしまいました。
 以降、私はポスト・パンク、ニューウェーブをきちんと振り返る時期を逃し  続けてきました。  
 ではなぜ今なのか?と言うことですが、一つはこのような状況下で、考える時間が増えたと言う事と、スポティファイなどで音楽を聴く若い人たちが、この時代の音楽と出会った時、必ず「ポスト・パンク、ニューウェーブ」と言うキーワードにたどり着くハズです。
その時、多分検索をかけてもこのムーブメントの本当の全体像は見えてこないのではないか、と思ったからです。
 なぜなら、当時のイギリスのパンク・ムーブメントは音楽、ファッション、アート、社会風俗などの面に物凄い影響を与え、ポスト・パンク、ニューウェーブはその圧倒的影響下にあるからです。
 もちろん全体像が分からないままでも、音楽は楽しめます。でも、ティラノザウルスの化石の一部を発見しても、その化石の全体像が分からなければ本当に理解する(楽しむ)事はできないでしょう。 
 今回の旅では、一緒にポスト・パンク、ニューウェーブを振り返りながら、当時の全体像を想像してみたいと思います。ポスト・パンクとニューウェーブは
ほぼ同義語なので、これからは、ニューウェーブで統一していきます。  
 この音楽は今でも生きていて、そして現代の音楽にも影響を与えています。
 それでは出発です!

1950年代のロンドンへ   
 
 突然、なぜこの時代?と思った方も多いのではと思います。実は、ニューウェーブの前にパンクがあり、パンクの前にモッズがあったからです。パンクはファッション面では、モッズの影響も受けていました。  
 モッズが世の中に現れたのが1950年代です。そしてこのモッズの前にティディボーイズ達がいました。彼らはエドワード朝の丈が長いジャケットを好みました。 
 ここで、少しイギリスの社会を見てみましょう。イギリスは今も「階級社会」の国です。上流階級、中流階級、そして労働者階級と言った階級が存在し、階級により言葉も、住むところも、着るものも違います。
 ティディボーイズやモッズはこの労働者階級の子供達で、この時代はそれまであった中流階級と労働者階級の差が縮んだ時期でした。イギリス全体が豊かになっていたのです。
 ティディボーイズ達を一言で言うなら、おしゃれな不良少年グループと言ったところでしょうか。彼らは、アメリカのビッグバンドやプレスリーの音楽を聴き、ジョージコックスのラバーソールを履いていました。そう、今でも人気のラバーソールです。この靴は、その後モッズ、パンクスに支持されていき、遠く離れた日本のパンクスにも支持されました。
 彼らは、イギリスのユースカルチャーの第一世代と言えるかもしれませんが、自分達を定義づける強力な自意識は少なかったようです。つまり、自分達の出自や階級を大きく越えようとする大きな動きが無かったと言う事です。
 モッズはティディボーイズ達のファッションをあっさり否定(ダサい!)し、強烈に自分達の美意識を表現しました。
 モッズにとって、ティディボーイズ達は保守的で古くさく否定すべき存在でした。彼らは、イタリア製の細身のスーツを着こなし、スクーターに乗りクラブやカフェに集まり、最新のソウルミュージック(モータウン)で躍り始めたのです。靴は踊りやすい理由から(もちろん見た目おしゃれ)クラークスのデザートブーツを履いていました。
 モッズはどんな若者達だったのでしょうか。彼らは、他人と違う事に誇りを持ち、何より新しいもの、事にたいして貪欲でした。冒頭の写真はクラークスのデザートブーツとモッズが愛した当時の音楽のコンピレーションCDですが、この中には、モータウンの他、スカ、レゲエ、ロックスティディなどのジャマイカからの移民が持ち込んだ音楽が多く収録されています。サザンソウル、サーフ・ガレージロックもあります。 
 しかも、ソウルミュージックは本国(アメリカ)でヒットした曲が必ずしも支持されたわけではなく、自分達がいい、と感じた曲が受け入れらているのです。強烈な審美眼で選び抜かれた曲、そして洋服。
 ニューウェーブでは一気に、ボサノバやファンカラティーナ、ネオ・ロカビリー、ネオ・アコースティック、エレ・ポップなどの音楽があふれていきましたが、その土壌はすでにこの時期にできあがっていたのだと、思われます。 
 そして重要な事は、音楽にしてもファッションにしても親世代が作り上げた基準ではなく、自分達が「いい」と思った基準を最優先したと言う事です。つまり、社会規範(階級社会)からの逸脱と反抗です。この事が次のパンクに引き継がれていくのです。 
 さてここで、重要なバンド、ロッカーが登場します。モッズ、パンク、ニューウェーブを駆け抜け、今尚現役で活躍するポール・ウェラー、ザ・ジャムです。 
 次回はザ・ジャムから始めたいと思います。それではまた。  

 

 
         
       
   
       
 
  

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