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春の雪

立春も過ぎた2月半ばのこと。朝、ベランダの雨戸を開けると、一面の雪景色が広がっていた。お向かいの屋根も、その向こうの里山も、いつも霜を撮りに行くお隣の空き地も、真っ白な雪に覆われている。
和歌山は温暖な気候なので雪が積もることはめずらしく、しばらくは窓を開けたまま、ほうっ、と風景に見入ってしまった。
「一晩でこんなふうになるなんて。何の音もしないままで」
雨が激しい夜は雨戸を閉めていても音でわかる。でも、雪はまったくの無音。不意打ちのように風景が美しく変わってしまったことに、少しばかり戸惑ってしまう。

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雪景色を撮るため、ベンチコートを着込んでカメラを手に玄関を出ると、いつもとは違う気温の低さに首筋がぴりぴりする。あまりに冷たい大気が、肺の中で結晶化するよう。
風景を覆い尽くした雪は、車も自転車も三輪車も分け隔てなくふっくらとひとつながりに盛り上げ、小さな草の種の端にまで危ういバランスで雪塊が乗っかっている。
「ほとんどアクロバットだな~」
と、ちょっと感心してしまった。

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この日はちょうど通勤、通学の時間帯に雪が積もったので、ずいぶん難儀された方も多いと思う。和歌山ではスタッドレスタイヤなど持っている人は少なく、そもそもどの程度積もったら危ないのか、「雪の具合」の常識がわからない。大丈夫だと思って車で出かけたら下り坂でブレーキが効かずひやりとした、という話を、身近なところで何度か耳にしたことがある。

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お昼過ぎ、雲が切れて太陽が顔を出すと、あっけなく雪は溶け始めた。透明な氷へと姿を変えた雪は斑に草や苔を覆い、日の光を明るく照り返す。無作為な氷のかたちがまた美しくて、私は再びカメラを手に、ご近所をさまよってしまった。
雪景色を撮るひと、は、まったく怪しくはないのだけれど、雪解けの道端にしゃがんでいるひと、は、かなり怪しく見えてしまう。氷のマクロ撮影をしている時は明らかに後者となるので、人の目を気にしつつ、小一時間。

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非日常の雪の時間はゆるやかに終わり、べちゃべちゃと濡れただけのアスファルトの風景が、私を日常の午後へと連れ戻す。
通りすがりに見た車も自転車も三輪車も、もうひとつながりではなくて、各々いつもの自分の姿を取り戻していた。

カメラの中には、刹那の氷雪の姿。もう跡形もないものがデータとして記録されている。
なんだか大切な宝物を抱いている気持ちで、私はぬかるみを踏みつつ、ゆっくりと家に向かった。



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