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「好きなことで生きていく」の生きづらさ

「好きなことで生きていく」という言葉を耳にすることが増えました。もともとはYouTubeの広告のフレーズなのかな。

何者にでもなれる世の中は、裏返せば何者にもなれない可能性を孕んでいます。「好きなこと」「やりたいこと」がないばかりに、自分は何者なのかを求めて右往左往。周りと比べて落ち込んだり、病んでしまったり。最近は、そういう学生さんをよく見かけます(仕事でよく学生さんの面談をしたりするので)

周りからも「好きなこと」「やりたいこと」を求められるし、それがない自分にコンプレックスを感じるし。Twitterを開けば「若くして社長になった」とか「好きなことが仕事になった」とか流れてくるし。「この人は若いのにすごいなあ。それに比べて私は何をしているんだろう」と考える人も多いのではないでしょうか。嫉妬の念を抱いて、そのことにまた自己嫌悪を感じるかもしれません。「好きなことで生きていく」時代は、人によってはひどく苦痛を感じる時代です。それを正義だと言わんばかりに振りかざしてくる社会の空気があるから。

無責任に「好きなこと、やりたいことを見つけろ」なんて僕は言えません。現代日本でそれを言う人を僕は「人殺し」だと思っています。相手を追い込むだけだから。以前は僕も言ってましたが(反省)


「好きなこと」「やりたいこと」は無くてもよいのです。目の前のやるべきことに一生懸命になればよいのです。一生懸命やってるうちに「好きなこと」「やりたいこと」が見えてくるかもしれないし、気づいたら何者かになれているはずです。

Twitterに流れてくるキラキラした人たちはごく一部です。多くの人は、日々の積み重ねの中で徐々に自分を発見します。一生懸命に歩み、後ろを振り返った時、道ができていることに気づくのです。

もちろん「好きなこと」「やりたいこと」があって、それに努力している人もすばらしいと思います。ただ、そのような人たちと比較して、生きづらさを感じる必要は全くありません。


戦国時代とかだったら、現代のような生きづらさはなかったのかもしれません。ある程度、身分や適性を見極められ、役割を与えられるから。自分の適性を診断できる「ストレングスファインダー」が少し前に流行ったのも「何者かになりたい」潜在的な欲求からかもしれません。

「自分は自分のままでいい」と思える心が、現代を生き抜くための術だと思います。

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