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もう何も気付きたくない

ミスチルの歌詞に出てきそうな感があるが、文字通り、気付きたくないのである。いや正確に言うと、気付くことを強要されたくないのである。

小中は野球部に所属していたが、体育会系の空気というのは「気付きの強要」が生まれやすいと思っている。1年生は常に練習中のグラウンドに意識を働かせ、練習の進行上手伝った方が良いところや不具合が生じているところを探す。それに「気付いた」らそこへ行き対処する、という具合だ。

当時のグラウンドでは常に「手伝うことはねぇかー?」「不具合はねぇかー?」と坊主頭のナマハゲが徘徊していた。


なぜ僕らは「気付こう」としていたのか。それは体育会系に「監督、コーチ、先輩に気に入られる」という価値観が横たわっているからだ。周りから悪く思われないよう、とにかく「気付こう」としていた。

部活というコミュニティを泳ぐ中で、目上の人に「気に入られる」か「気に入られない」かは重要である。一部を除き、高校生までの人間関係は大抵学校内で閉じるだろうから、部活のコミュニティも僕らにとっては生活の大半であり、大きな関心ごとのひとつである。その部活での人間関係が脅かされないように振る舞うのは、人間の防衛本能の一つと言っても過言ではないだろう。

周りから「気に入られない」とき、場合によっては嫌がらせを受けたり、試合に出られなかったり、トゥーシューズに画鋲を入れられる場合もあるかもしれない。そんな不利益を被らないために、当時の僕らは「気付こう」としていた。

気付いて行動することで、目には見えないポイントを加算していく。俗に言う「世渡りが上手いヤツ」ならば、自作自演からのポイント獲得も可能だ。
球拾い中、見えないところで隠し持っていたボールをばら撒き「あれー?こっちにボールがたくさんありますー!」とかアホ面で言えばヒーローになれるかもしれない。「練習で使えるボールを見つけたオレ」「他の1年生にもボールを拾うという仕事を分け与えたオレ」を演出できる。2連コンボだドン。


しかし当時を振り返って考えると、そんなポイントは本当に存在したのだろうかという気がしてくる。仮に存在していたとしても、利用可能だったのだろうか。貯めたところでカニがもらえたり、温泉旅行にペアで行けるわけでもないのに。


おい、アホ面のお前、周りの空気に踊らされていなかったか。


気付くこと自体が悪いことだとは思わない。相手の役に立つために気付いて行動することは、社会で生きていく上で重要なことだ。その学びを得るという意味では、十分意義がある。

ただ、動機が健全ではなかった。気に入られるとか気に入られないとか、不利益を被るかもしれないとか、ネガティブな動機が心を占めていた。少なくとも当時の僕は。


話が冒頭に戻るが、だからこそ僕は、気付くことを強要されたくないのだ。強要された時点で自分の意思は消え、動機は不健全なものに成り下がる。自分の意思で気付けるようになりたいのだ。


その方が人生楽しいに決まっている。










眠いことに気付いたので寝る。











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