決意を固めるならば、孤独になれ

この4ヶ月間、ほぼ人に会っていない。

会うとすれば買い物や外食した際にお店にいる店員さんだけだ。

それ以外一切会っていない。

孤独がいかに辛いものかを知れた。

孤独がいかに恐ろしいものかも知れた。

人と会うこと、そして人と何気ない会話をする有難み、大切さをしみじみと実感した。

普段の何気ない触れ合いがいかに人間を人間らしくさせるか。

人にとって一番大切なのは人であり、そしてその人達を思う優しさ、思いやりであることも知れた。

孤独は人の心を蝕む。

孤独にさせること程残酷なことはない。

人を生かすのは、また誰かに会える、誰かと楽しい会話ができるという希望があるからこそ生きられるのではないだろうか。

この先ずっと孤独を強いられることが決まっているならば、人は生きられないだろう。

なんの為に生きているのだろうか。

ほんの少しの声がけ、ほんの少しの触れ合い、ほんの少しの優しさでも人の心は温まる。

だから人には必ず人が必要なのである。

ただ、時に自ら孤独になるべき時もあることも知った。

それは決意、または次なる方針を固める時である。

人に会わず孤独になることは、神経が徐々に研ぎ澄まされてくる。

そして失うものもなくなっていき、腹もだんだん据わってくるのである。

思慮は深くなり、そして無駄が省かれ、時間が出来る。

作り出された時間はさらに自身を深め、そして学びを時間となる。

見栄、虚栄が無くなっていき、自分に素直になり、自分がなにを成すべきかが少しづつ見えてくるのである。

修行の際、山籠りをするというが、時には人を避けなくてはいけない時もある。

何か決意を固める時には自分一人になり、とことん考え抜いて揺るがない決意をする為にも孤独になることが必要である。

時には孤独にせまられることもある。

この孤独は人にとって必要な孤独なのであろう。

邪念が入ってはいけないのである。

すべてを断ち切り、孤独になって答えを出すのである。

そしていつか必ず笑って、楽しい普段通りの人との日常が戻ることを願っている。

だから今の必要な孤独が自身の為になると考えている。

それは未来があっての孤独である。

未来へ繋げるためにも、今は孤独になり、足場を盤石にしたいと思う。

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