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最後の一口は、切ない

牛丼やカレーを食べる時、最後の1口が白米だけだとなんだか損した気分になる。せっかく白米のオプションで牛肉やカレールーをつけてるのだから、最後の一口は白米とその付け合せの具と共に口に放り込みたいものだ。料理というのは最初の一口と最後の一口が強く印象づける。食事にどんでん返しなんてないぜ。

 貧乏人ほどカップラーメンを食べて節約した気になっている、という土一揆でも起きそうなネット記事を見かけた。いやこれは確かにその通りで、スーパー等に行けば少し安いが、今じゃコンビニに並んでいるカップラーメンは安くても150円前後はする。貧乏食習慣の代名詞として未だに祭り上げられるカップラーメンだが、値上げかつ小型化で、食費の節約というには少し物足りないように思える。おまけに健康にも良いとは言えない。

 そしてもはや、牛丼も庶民の味方ではない。「早い・美味い・安い」から「早い・まぁ美味い・安くはない」に。牛丼一杯すら金を渋るのかと言われそうだが、もともと安さの象徴でもあったような牛丼が、ワンコインで返ってくるおつりの額を着実に減らしているのだから、「安くはない」と感じるのも無理ない。しかし、今なおこの価格帯でこのクオリティを維持しているのだから、牛丼チェーン様の企業努力にはひたすら頭が下がる。よーし、パパ特盛頼んじゃうぞー!って言っておこう。

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休日の2日ほど家を空けることになったとき、冷蔵庫内に残された食材たちをどうするかという話。まさか「一緒に行くか…?」なんて尾形みたいに気の利いたことを言えるワケもなく、どうにかしてこの場で死んでもらうしかない。
 大概は、それらは名も無き炒め物になる。適当に切り刻んで醤油とみりんと砂糖の黄金コンビで味付け、刻みにんにくを入れたりバターを溶かしたり。ちょっとくらいの余り物なら残さずに全部食べてやる。なりゆきまかせの調理にまな板を傷つけてその度に野菜を炒める時代だから…。

 機械的な食事にすまいと、たまには普段使わないような食材を買ってみたりして食卓にWボール並みの変化球を投じる。ネットに煮っ転がっている献立を見ながら作ってみるのだが、結果的に上手くいかずに、犠牲になってしまった食材の贖罪をすることになる。この前は業務用のカニカマを買って、最初こそ試行錯誤してみたが、最後のほうは結局マヨネーズにつけて食べてばかりいた。見栄は張るもんではない、太刀使いが急に弓使いには転向できないのだ。

 完食まで泣くんじゃない。最後の一口は、切ない。

 

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