バス停にて

ㅤ今日の天気は1日を通して良くはない。朝、寝ぼけ眼で見た天気予報には、ずらっと雲のマークが並んでいた。降水確率もおおむね40%を超えており、特に昼過ぎには雨が一時的に降るようだった。

 時刻は朝9時、遮光カーテンの向こうは白んでいるが、快晴ではないということがなんとなくわかる。珍しく平日休みの今日、なのに足取りは重い。雨だからだろうか。

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 近所を通るバスの本数が少ないので、バスの運行に合わせて外出する生活になる。1時間に2本、あるいは1本。不自由かもしれないが、逆に生活にメリハリができるようで私は好きだ。家でダラダラしている時間が無駄に引き伸ばされなくて済むから。

 正午すこし過ぎのバスに乗ることにした。時刻が12:00を示したころ、テレビを消して、昨日届いたばかりのTシャツに袖を通した。夏についての曲をよく歌うバンドのTシャツだ。色は淡い水色で、背中にはそのバンドのロゴ。しかし今日はリュックを背中に背負うのでそのロゴは見えない。

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 バス停までは徒歩5分ほど。そろそろかと腰を上げて向かった玄関で下駄箱を開けた時、綺麗に整頓した靴たちを見て、私はしばし迷った。(なにを履いていこう...)。

 今日の予報はときどき雨。今は雨が降っていないのだが、のちのち降ってくる可能性がある。これまた先日購入した新しい靴、薄紫のボディーに白のラインのスエード生地の靴、これを履こうか、履かまいか。私は迷った。

 その新しい靴を購入した際、母に自慢をしようと写真を送った時のこと。防水スプレーを塗布していないのなら雨の日は避けなさい、という通告。この生地の靴は、水濡れや土汚れが残りやすく見栄えもかなり悪くなるからだ。薄紫のボディーはなおのこと汚く見えそうだ。天気予報を信じるか迷ったが、まだ1度も履いてないこともあって、私はその靴を下駄箱にしまい直し、普段から常用している濃い紫のスニーカーに履き替えた。

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 時計を見る余裕がなかったので、慌てて家を出て早歩きでバス停へと向かった。たいしたことない距離の道、急いでいると果てしなく続いて見える。はるか先に見える交差点の赤信号がやけにロマンチックに見えた。きょうは梅雨真っ盛りだというのに、湿度はそれほど高くなくカラッとしている。首に巻いた汗ふき用のタオルが首元でサワサワと動いて少しくすぐったい。雨、降らないといいな...。物憂げに空を見た。

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 結果から言って、バス停にバスは来なかった。いや、もう行ってしまっていた。バス停の時刻表をメモ書きした紙が家にあるのだが、どうやら見誤ったみたいだ。あるいは書き誤ったのかもしれない。想定時刻の2分前にはすでに行ってしまったようだ。

 次のバスは約30分後。朝と昼と夜の混む時間においてだけは、一時間に2本以上の運行になるようだ。仕方なくバス停の簡素なベンチに腰を下ろした。家に戻るのは二度手間になりそうだったから。

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 時刻は12:30頃、空はおおかた雲に覆われていて曇ってはいたものの、それが雨雲ではないことなんとなく見てとれた。ふんわり白い雲にわずかに混ぜられた灰色の雲、その千切れた隙間からは青空が見える。小学校の時の図工の時間に使っていた絵の具のパレットを思い出した。このあとに雨が降るような予感はしない。さては天気予報を信じるべきではなかったか...。しばらくしてバス停にふらふらとやってきた老婆は傘を携帯していないようだった。

 宮部みゆき著の「地下街の雨」という短編集を今読んでいる。といってもまだ読み始めの段階なのだが。最初の話のとある文節に、「ずっと地下街にいると、雨が降り出しても、ずっと降っていても、気づかないでしょ?それが、ある時、なんの気なしに隣の人を見てみると、濡れた傘を持ってる。ああ、雨なんだなって、その時初めてわかるの。」というものがあった。地上でもそうだ、街ゆく人が傘を携えていたら、このあとは雨が降るのか、あるいは降り終えたのか、そんな推測もできる。傘を持った私と、傘を持っていない老婆、昼からは雨だという天気予報と、雲間から覗く青空。うーん、5分5分といったところか。

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 本を読み進めるうち、やがてバスはやってきた。西からやってきたバス、西の空には灰色がやや濃い雲が、どっしりとのしかかっている。東へ向かうこのバスなら、雨から逃げられる気さえした。

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