見出し画像

ド文系の私がインフラエンジニアになり、2023年しれっとフリーランス転向した話②

こんばんは。
松本有華です。

前回の続きです♪

私の書いたnote記事の中では、スキが多い記事になりました!

もともとド文系のところからインフラエンジニアになり、会社員から契約社員を経て、フリーランスになった私の職歴について♪


新社会人!

ド文系の私が、見事IT系の会社に入ります。

社会人になってから来た東京、コロナ前、朝の通勤ラッシュにもまれながら出社。
東西線ユーザさんはわかるかと思いますが、乗車率120パーセント、激込みの電車で通勤していました。

そして、4~6月、最初の三ヶ月は研修期間です。

まず4月。
会社の冊子を読んだり、社会人マナー、一般教養のテスト、電話対応などをしたりしました。

そして5月。
いよいよエンジニアらしい研修が入ってきます。
アルゴリズムの考え方を学び、そして、、、世にも恐ろしいJava研修。。。

同期は、大学時代にプログラミングをかじったり専門にしていたりする男性が多く、唯一の女性同期の友達と私はかなり苦戦しました。
教えてもらい、というかやってもらってようやく課題が終わる感じでした。

Java研修をやっていた期間、私は毎日悪夢を見ました(笑)
何度も何度も考えてコードを書いては、解けずに、延々ループの悪夢です。。。


5月末には、希望の部署のアンケートがあり、私は絶対に開発部門は行かないと決め、
出向先に先輩がいて、初心者でも大丈夫だよって言ってくれていた、インフラ基盤の部署を希望し、
6月には見事そこに配属されました!

いざ、現場へ!

私は、インフラ基盤の部署へ配属されてすぐ、某N●Cのグループ会社に出向になりました!

本当に、ここの方々と仕事をさせて頂けた4年間は感謝しても、し尽せません。。。!
みんな良い方、尊敬の仕事の上司、先輩の方々でした。

そこで何もしらない私は、0から現場で教えて頂きながら、インフラエンジニアとしての経験値を積みました。


何もできないところから現場で鍛えながらできることが増えていき、案件を任されたり頼りにされたりすることが出てきて、
大変なことも、それを乗り越えると達成感でいっぱいでした。

仕事も頑張って、かつ、N●Cはとってもしっかりしたところなので、長期休暇も取れましたし、月一どこかで休暇をとろうなど休暇を取りやすく、
プライベートも、同期のみんなと遊んだり旅行に行ったりと、楽しい20代を過ごしました。

4年目の転機

なんの不満もなく、むしろ満足なまま4年という月日が過ぎました。

そして、ここで、異変が現れます。
体調を崩してしまったのです。

インフラエンジニアの私は、サーバを主に扱うのですが、サーバって専用の部屋にあることがほとんどなんですよ。
部屋の温度は10数度、冷房がゴーゴー、機械音がゴーゴー言っているんです。
リモートで遠隔操作ができるまではそこでずっと構築作業ですし、作業室があったとしてもやっぱり普通のオフィスではなく「作業室」って感じです。


映画「サマーウォーズ」より
映画「サマーウォーズ」より

映画「サマーウォーズ」のこのシーン。簡易的なサーバ室(笑)
スマホやパソコンを使いすぎると熱くなると思うのですが、よりスペックの高いサーバはより熱を発するので、部屋をかなり冷やさないと熱暴走しちゃうんですね。


そんな、人にとっては良くはない寒すぎるサーバ室の環境に加え、
残業はそんなに多くはないですがここぞというときは遅くまで残るので、残業が続いてしまったり、
客先まで片道2時間かけていくことになったりというのが数か月重なったことが体調を崩した原因でした。

同時期に、以前はたまにだった猛烈な腹痛が増え、MRI検査をして子宮筋腫だと分かりました。


そこで、「あ、このまま続けたら、どうなるんだろう?」とか「ずっとこの仕事をしていくのかな?」とふと思ったのです。
今までは将来のことは、まだ20代前半~中盤だし、と考えないようにしてきましたが、20代後半になって将来が一気に不安に感じました。


その時に、東京ではじめて仲良くなった信頼できる、会社以外の方に相談しました。

その方に最初はいろいろ誘っていただいて、東京のあらゆるところに連れて行ってくれたり、飲んだり(酒豪仲間)、アクセサリー作りをしたり、VRに行ったりしていました。

仕事の話はほぼしたことないのですが、エンジニアの先輩ということで相談してみると、それだったらと、紹介していただいた方に会い、それが人生が大きく変わるきっかけになったのです!

長編になってきました。
③へ続く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?