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アジアさすらいの日々ー中国編③(バックパッキングとは)

<前回までの旅>
…大阪から上海へと向かうフェリー、新鑑真号。この船に乗っていたのは、旅慣れたアキラとその妻のメグミ、バックパッカー風のアツシ、同い年で真面目そうなヨウスケ、そしてくたびれたおじさん風の野川さん。2人のバックパッキング経験者からは、劣等感を感じながらも旅の貴重な情報を聞くことができた。そしていよいよ、上海上陸の日がやってきた。

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9月22日㈭

上海の町に上陸するまであと1時間を切った。あと少しで世界への道が開ける、そんな思いから僕の心臓は激しく波打っていて、体じゅうの穴という穴から体液が流れ出るような感覚を覚えていた。

乗船2日目だった昨日は一日無為に過ごした。無料ではあるもののあまり美味しくない朝食を食べ、日本から持参した西村京太郎の小説を読み、昨日出会った旅行者たちと情報交換をしたりトランプをしたりして1日が過ぎていった(麻雀もしたかったが、麻雀卓の使用料に3000円かかるらしく、仕方なく断念した)。船での中国入国は旅情が感じられる一方、出港の日と入港の日以外は特にすることもないため、2日目は何の興奮もないまま過ごさなければならなかった。ただ外国の情報やバックパッキングの経験が全くない僕にとって、昨日船上で出会った経験者たちから聞いた話は少なからず有益で、その後の中国での旅生活の大きな助けとなっていた。

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ここでバックパッキングについて簡単な説明を試みたい。辞書ではバックパッキングを、「バックパックを背負い、大自然や世界中を旅すること」(goo国語辞書)あるいは「リュックサック(バックパック)を背負って、限られた予算で外国を旅行すること」(Wikipedia)と定義しているが、これに僕が旅の途中で見聞きした経験から考え浮かんだものを加えたいと思う。バックパッキングとは、「バックパックを背負って、できる限り少ない費用で比較的長期にわたって外国の様々な場所(特にツアー客などがあまり来ない場所)を旅し、その土地土地のリアルな生活や文化を感じようとすること」で、僕はそれを実践する人、つまりバックパッカーになりたい思いがずっとあった。

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バックパッカーのバイブルというべき本がある。僕はその中の一文を非常に気に入っている。
「アパートの部屋を整理し、机の引出しに転がっている一円硬貨までかき集め、千五百ドルのトラベラーズ・チェックと四百ドルの現金を作ると、私は仕事のすべてを放擲(ほうてき)して旅に出た。」(沢木耕太郎『深夜特急』)
上の定義では綺麗事だけを並べたが、バックパッキングには「責任やしがらみを全て放棄できる」という価値も内在している。21歳の若造にそんなものあるものか、と思われるかもしれないが、そんな若造だからこそ、それは非常に魅力的に映るのだ。

旅人はどこにも属さない。特定の会社にも特定の人間関係にも。訪れた場所で関係性ができたとしても少しでも嫌なら翌日にでもその場所を離れればいい。つまり旅をする限り永遠に人間関係をリセットし続けられる。他者との関係性に何ともいえない微妙な違和感を感じていた21歳の僕にとって、バックパッキングをするという決断は全く迷いのないものだった。

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上陸日の朝は7:00に目が覚めた。船内アナウンスは中国語と片言の日本語で「あと1時間で上海に到着する」と言っている。甲板に出ると上海の町はもう視界に入るほど近づいていた。海も空も灰色に濁っていたが、それが逆に中国らしさを演出していて、気が付くと身体が小刻みに震えているのがわかった。僕は高揚感から喉がかれるまで大声で叫び続けたい欲求に駆られていたが、何とかそれを胸の中にとどめ、甲板の上をぐるっと一周した。するとようやく身体の高ぶりが収まってきたが、僕の表情は変わらずずっと緩みっぱなしで、周りから見れば奇妙に映っていたに違いない。しかしそんなことは当時の僕にとって些末なものだった。

そう、長い間待ちわびた瞬間がいよいよ訪れるのだ。

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陸が近づいてくると僕は部屋に戻り、荷物をまとめ、下船手続きの列に並んだ。新鑑真号では船内で中国ビザを取れるというサービスがあり(追加料金1万円)、その手続きと入国審査で少し遅くなったが、無事出国スタンプとビザが押された紙をもらうことができた(船で入国するとパスポートに直接押されるのではなく、別の紙に出国スタンプとビザのシールを貼られることになっていた。これが近い将来トラブルを生むことになるのだが、その話は後々)。手続きを終えるとついに下船、船から陸にしっかりと架けられた梯子を一歩一歩かみしめながら降りていき、僕はついに初めての外国である中国の大地に足を踏み入れたのである。

…とはいえ、港というのは得てして殺風景で何もないものである。広大なる大地に足を踏み入れたものの、中国らしい喧噪や群衆、中華料理のにおいはまだ全く感じることができず、日本のそれとはあまり変わらない中国の港を僕はただ眺めながら他の乗客が降りてくるのを待っていた。そして船で出会った6人(アキラ・メグミ夫妻、アツシ君、ヨウスケ君、野川さん、いつの間にかグループに加わっていた20代半ばで背が低めのユタカ君)と船の前で約束通り合流し、彼らが導くままにタクシーに乗り込み上海の町へと向かうのだった。

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