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感染症は、人々に物語が虚構だったと気づかせる。 │ ヒットソングと流行語でふりかえる感染症の歴史1

[要約]新しい言葉も病原菌も、いくつかは流行し終息する。
流行語は、流行り歌に乗って記憶に定着し、やがては人生の物語になる。
気候変動で起こるパンデミックは、人々に物語が虚構だったことを気づかせる。混乱の中、新しい物語が流布し、リーダーが、ランドマークが、国が、経済圏が生まれ、そのサイクルの中で生じる景気に僕らは一喜一憂する。(11,000字22分で読めます。)

こんにちは。未来探求者のさくま東洋です。病原菌も流行歌も流行語も、地球と時代のうねりにあわせて流行し、やがては終息し、新しい物語をつむぎだしてきました。このシリーズでは、流行歌と流行語という切り口で、これまでの日本の疫病の歴史をふり返り、これからどのような社会を目指していけばよいのかを考えていきたいと思います。第1回目は、感染症と流行語と流行歌がおりなす構造を紹介し、2回目以降は、その構造をもとに、日本の感染症の歴史をふり返っていきます。


人生いろいろ、会社もいろいろ。

腹落ちしないので、カタカナ語はなるべく使わずに日本語で資料を作ってくれ。という会社がある。販売促進。受注生産。九文字も漢字が続けば、提案書がお経に見えてきて、意味はわかるが読みづらい。

海外の先進事例をスピーディーに活用するために、カタカナ語をきれいなイメージ画像にそえて多用する会社もある。リスケのコンセンサス。ビジョン ミッション イノベーション!意味を正しく知らなくても、それっぽく伝わる提案書ができるけど、内容はよくわからない。

図解は、誰の目にもわかりやすく、短い時間でぱっと内容が伝わりやすいので、今日もパワポは増えていくけど、スライド同士の筋道があいまいで、なんだかわかった気にさせてしまう。

論理的にあいまいな言語は議論がしにくいので、母語が日本語同士であっても、英語でコミュニケーションする会社もある。Think outside the box! Stay hungry .建設的な議論や批判的な問いだてには便利なんだけど、母語が日本語なので、頭を切りかえにくい。

人生いろいろ、会社もいろいろ。

たとえば、ICOでクラウドファンディングをオファーしたい時に、「日本語で話して。」と言われた時。頼母子講や結を、村単位ではなくネットで広く集める私鋳銭や藩札の仕組みをご勘案ください。
と伝えても、もちろん伝わらない。それは江戸時代のたとえ話だ。

「たとえ話」や「〜のようなもの」は、初めて耳にする概念や新語について、相手と共通の認識を作っていく上で強力な武器になる。概念や新語だけでなく、ビジュアリゼーションというように、わかりにくいデータやアルゴリズムも「たとえ話」にすると伝わりやすくなる。ただし、時代を飛びこえる「たとえ話」は、話す方も聞く方も体験していないので、イメージさせにくく伝わりにくい。「子どものころに、おばあちゃんが言ってたな。」くらいがイメージできるたとえ話の限界。たった3世代で共通体験は失われてしまう。この2ヶ月間、家にこもる体験をしてはじめて、100年前のスペイン風邪や、昔の疫病の影響を、からだの感覚としてイメージできるようになった人が多いのではないだろうか。


言葉はすべて流行語。

言葉は生き物だ。感染し、流行し、終息し、定着し、忘れられる。チョベリバ、チョベリグは終息し、イケメン、ヤバい、天然、は日本語に定着しつつある。定着したようにみえた言葉が消える場合もある。「よろしくってよ。」「そうだわ。」に代表される”てよだわ言葉”は、明治時代の女学生の間で大流行し日本語になったが、戦後の若者の間では「だね。」「じゃん。」が使われ、約100年間で、”てよだわ言葉”の流行は終息した。

流行語で振り返る感染症の歴史ビジュアル.012

生まれて10分で使われなくなるハッシュタグや仲間うちの隠語があれば、100年続く流行語もあれば、1000年以上も使われ続ける言葉もある。1000年単位でみると、言葉はすべて流行語だ。たとえ同じ音と文字の言葉であっても、時は止まらずに、言葉の表す意味は変わっていく。 愛も 情も 人も 天も。

仲間と仲間外の人間かどうかを区別しやすくするために、言葉が発明されたとの仮説がある。チンパンジーは仲間同士で毛づくろいに多くの時間を費やし群の帰属意識を高める。毛づくろいをすると、脳内ではオキシトシンが発生するので多幸感が得られる。脳の大きさと仲間の数は比例していて人間だと150人まで顔を覚えられる。ただ、群の数が150人にまで膨らむと、膨大な時間を毛づくろいに取られてしまうので、言葉が発明されたそうだ。こうして、仲間うちでの特定の言葉による会話のキャッチボールがなされる。言葉のキャッチボールから生まれた言葉の中から、語呂や響きがよかったものは、仲間外にも広がりはじめる。広がると、まるで免疫反応のように、世間から”言葉の乱れ”と疎んじられながらも流行し、やがては終息し、いくつかは定着していく。

流行語は流行歌にのって、何度も歌われ愛されながら覚えられ、いつしか、その時代に生きる人々の人生の物語になり、人々やモノゴトとの関わり方までも変えていく。16%の人々に受け入れられるかどうかが、一般用語として広く受け入れられるかどうかの分かれ目になるらしい。こういった新陳代謝の波のうねりをイノベーションと呼ぶのかもしれない。

例え話で、言葉は物語になる。

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こな雪、つぶ雪、わた雪、、豪雪地帯の津軽には七つの雪が降るように、暮らしの中の必要に応じて概念は差異によって分けられて名づけられる。言葉で名づけられると、モノゴトのとらえ方、人生のとらえ方、からだの感覚さえも変わってくる。21世紀の萌え画と同じように、擬人化や例え話で、僕らの妄想はほとばしり、他の人の妄想ともつながりあい、物語が生まれる。同じ風景を人に説明するときでも、「そこに岩があり鳥が休んでこちらを見ている。」よりも、「不死を司る火の鳥が岩戸から私をのぞき込んでいる。」と伝える方が、言葉が持っている情報量も、そこから得られる教訓も、心の中で浮かびあがる感じ(クオリア)も、はるかに多い。こうして自然や先祖を神々に例えて擬人化し、誰もが興味がわきやすく身近なテーマだった男女や親子を例え話に、自然現象や社会現象を教訓として子孫に語っていくことで神話が生まれていった

神話のおかげで僕たちは複雑になっていく社会を認識でき、さらに発展させることができるようになった(認知革命と呼ばれる)。社会が複雑化していった結果、その複雑さを意味づけやすいように擬人化が行われ、次第に神と崇められ、神話になる。神話という共同認識を軸にすると社会がアップデートしやすくなる。認知革命で、無意味な景色や情報からでも、無意識に規則性や関連性を見つけ、意味づけしてしまう特性も持つようになっていった。脳のアポフェニア知覚と呼ばれ、大豆などに含まれるスフィンゴ脂質KIF3Bタンパク質が関連していると言われている。

虚構の物語に僕らは動かされる。

「人はいつか死ぬからこそ美しい」(火の鳥 黎明編)

アポフェニア知覚のおかげで、ただ鳥は岩からこちらを見ていただけなのに、僕らは、「不死を司る火の鳥が岩戸から私をのぞき込んでいる。」と物語を作ってしまい、日蝕と生死を重ねあわせて法則性や意味を見出して妄想を膨らませてしまう存在らしい。

壁についた2つの丸い汚れを見ると顔が浮かび上がり、病気などで弱って不安になっている時だと、それは怨霊のたたりだという物語を生んでしまう。雲や岩や月の模様から、動物や顔が勝手に見えてくるパレイドリア現象と呼ぶ脳の知覚の特性だ。お化けなんてないさ、お化けなんてウソさ。寝ぼけた人が見間違えたのさ。だけどちょっと、僕だって怖いよ。物語によって刻まれた記憶は、なかなか消せやしないし、時間が経つとより恐怖は脳内で強化されていく。恐竜の化石を発見したら、ドラゴンや巨人がかって地上を支配していたという物語で納得するのも、進化論のない時代にあっては論理的な解決策だろう。ちなみに、人工知能も顔のパターンに似た画像を顔と認識するので、意図的に過剰処理させることで悪夢のような幻覚を作り出すことができる。

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(左)スコットランドStac Levenish (右)人工知能ディープドリームが描いた絵

心を何にたとえよう。心なんてないかもしれないのに、”気高い鷹の心”なんて身近な生き物に見立てると、なんだか昔からあったような錯覚におちいって、鷹のように孤高に一流を目指す人生を歩みだしてしまう(自我インフレーションとも言う)。身体を何にたとえよう。身体を筋肉や内臓といった部品で構成される機械のような構造物だと見立てると、より効率的な暮らしを求めだす。部品である身体と心は別な存在だと感じて分離に悩むようになる。別のたとえ方もある。1年の間に毛も細胞も入れ替わっていくので、身体は代謝という流れで出来ているネットワークシステムだと見立てると、心は、その神経ネットワークでの断続的な光信号ととらえることができる。こうやって、僕らの人生や夢や身体は知らず知らずのうちに例え話という物語の力に操られている。自分の心や人生や身体や対象を何に見立てるかによって、関係性はずいぶんと変わってくる。

この世界をどう感じるのか、どうとらえるのかは、僕たちがこれまで経験して記憶してきた言葉と物語によって影響される。芸術家のように、その都度わきあがる直感といい感じ(クオリア)を頼りに、モノサシを持たずに相対的に世界をとらえてもいい。が、どうしても、自分が正しい、善い、美しいと感じる基準は、物語や社会のモノサシに影響されてしまう。物語もモノサシ自体も誰かによって作られた実態のない幻に過ぎないのに、真善美に絶対的な基準があるものと思って世界を眺めてしまう。僕らは物語で作られた幻、フィクション、虚構の中で生きている。映画館や仮想空間の中で描き出された虚構のムービーを座って眺めているだけのように思える。映画マトリックスのように、ひょっとしたら壮大なコンピューターシミュレーションが生み出したデータの一部が自分の人生で、装置の外には観測者のいる別の世界があるのかもしれない。誰も証明できない物語だろうけども。

ただ、サピエンス全史のハラリによると、この集団で幻想を生み出し、幻想や心にわき出る”いい感じ”を共感しあって信じあえる人類の能力こそが、共通認識を生み、文化や文明を構築する原動力にもなってきたという。。こうやって、僕らは明日も虚構の中を、虚構と気づくこともなく、無意識に刻まれた子どもの頃の物語を背負って生きていく。名無しは天地の始め、名有るは万物の母。 

記録は虚構を実体化させる。

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ファラオの黄金のマスク。神聖文字で書かれた呪文が両肩に刻まれ、頭部には、王家の神性のシンボルだったヘビとワシがつけられている。(蛇形記章)

文字は、遠く離れた世界どうしを共同認識で結びつけることができる。ペンでインプットし、声でアウトプットして人々の行動をいざなうコンピューターシステムのようなものだ。声や言葉にできた感覚や思いは文字や物語として、声や言葉にできない感覚や思いは絵やシンボルを使って、硬いや紙やクラウドに記録する。人の記憶はうつろいやすいが、記録は変わりにくいから、記録は強力な武器だ。紙は使いやすいが劣化し燃える。デジタル文書も使いやすいが改ざんしやすい。石や鉄や金に刻まれた文字やシンボルは長く残る。文字やシンボルが刻まれた鉄や金の宝物を人は宝具と呼ぶ。王冠、聖剣、杖、ネクタイ、名刺といった宝具を身にまとい、物語を身体と一体化させることで憧れの対象にもなるし、帰属意識を高めるツールにもなる。物々交換の際の不足分の貸し借りを石に刻み記録することで、貸し借りは実体化していく。宝具は虚構だった物語を物体として具現化し、人々は宝具を身にまとうことで身体と虚構を一体化させ、さらに物語を強い信念にさせ、人生を歩んでいく。

物語を具現化するリーダーが生まれる

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自由の女神は、独立記念日の数字を刻んだ銘板を持ち、世界を自由で照らすモニュメント。摩天楼の玄関口に立ち、自由の国アメリカを象徴する役割を果たした。

聖杯、聖剣、王冠、三種の神器、最新テクノロジーといった宝具を手にすることで神話は虚構から現実になり、物語を身にまとったリーダーを生み出す。火や石の利用、星の動きから始まったテクノロジーは、魔法とも奇跡とも科学とも呼ばれ、物語の実体化を支援した。出アフリカ、黄金郷や不老不死薬のある島、新大陸、そして宇宙へ、リーダーは自分と一体化した物語の理想郷を実体化するために、フロンティアで共同体や会社や事業や国を立ち上げる。リーダー達は、物語に沿った納得いく説明で人々を説得し、物語を実現できるテクノロジーを使いて物語を実空間に実体化させていく。実空間に物語を象徴したランドマーク(聖地)をつくることで、その物語に沿った生活圏を定着化させることができる。アジール、神殿、ピラミッド、奈良の大仏、東京タワー、摩天楼、自由の女神、ディズニーランド。やがて物語に共感した人たちがその空間へ移り住むようになり、物語にそったコミュニティや街や国ができていく。

たとえば、ある城を見て、「昭和に建てられた中世風の城だ。」と思いながら京葉線を毎日通勤する人もいれば、「あれはシンデレラ城で、ここは夢の国なんだ。」と京葉線の列車内までを夢の国だと思い移住してくる人さえいる。見える景色は同じだが、その人がどの物語を信じているかによって、日々の暮らし方や消費体験は大きく変わってくる。たとえ宝具やランドマークが失われたとしても、実体化して何世代も過ぎた物語を、虚構と気づくと多くの人がシラケるか困るので、夢から覚めないように物語はつむがれ続ける。ボードリヤールいわく、ディズニーランドは、世の中がすでにディズニーランドと同じような虚構の産物になっていることを隠すために、浦安やカリフォルニアに存在している

物語は価値を生み、経済圏をつくり出す。

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全世界の人々が参加できる取引市場では、価値も通貨もクレジットも、ミリ秒単位で上下し、価格が決められていく。

価値は同じ物語を共有する人たち同士でやりとりされる。たとえば、地球環境が大事という物語の人にとっては、環境を破壊して生産性を高める商品にはほとんど価値を感じにくい。人間関係より富を得ることが大事という物語の人々同士では、人間関係が貨幣に換金されやすい。普遍的な価値は健康長寿と子孫繁栄くらいだ。

やがて、交換する上での価値の不足分を巨石や岩に線で刻むことで、貸し借りの概念が生まれた。動物や人の形に見える巨石や岩は崇拝され、そこに刻まれた数字は、貸し借りの信用の根拠にもなった。信用の根拠はやがて貝殻や金などの光る珍しい小物に置き換わり、価値を数字に置き換えることで、小物に価値があるという物語を共有する人たちの中で効率的な価値交換ができるようになった。

価値のうち、数字に置き換えられるものから価格がつけられていく。価格がつけられると、同じ物語を共有するが信頼できない者同士での価値交換が可能になり、それぞれが新結合して新しい価値が生まれやすくなった。家族など信頼できる者同士の価値交換には通貨も契約書も用いられない。数字に置き換えられやすい価値以外にも、物語の制約上、数字にできるが価格にできない価値もある。数字に置き換えて価格をつけると、物、サービス、人、土地、会社だけでなく国でさえも交換できるようになり、それぞれが新結合して新しい価値が生まれやすくなる。小麦や大豆といった太古から定着した物語にひもづく価値は需要量と供給量のバランスによって決められる。新しい物語で、不確実性の高いものは、物語が描く理想郷に対する期待で価値が上がり、失望で価値が下がる。チューリップの球根、新興ネット企業、ビットコイン。期待が熱狂を呼び、実質の成長速度よりも価値が高まり過ぎて、何かのきっかけに下落した時に、人はその熱狂がバブルだった、物語が虚構だったと気づき暴落する。市場は常に正しくもあり、間違ってもいる。

価格は、上述の価値自体と交換を媒介するメディアとなる通貨自体の価値とのバランスで決まる。通貨自体の価値は供給量と信用で決まる。聖徳太子、福澤諭吉、ワシントン、エリザベス女王。多くの通貨には、物語をつくりあげたリーダーの肖像やランドマークが刻まれ、物語が共有されている共同体内での通貨の信用を担保する。肖像やランドマークは徴税するための理由づけにも使われ、共同体内での再配分が行いやすくなる。宝具の逸失と同じく、紙幣が金と交換できなくなった後も物語が続く限り信用は存在し続ける。支払い利息を下げると、多くの人が通貨を借金して通貨の供給量が増えるため通貨の価値は下がるが、共同体の事業家は借金をテコにして利息以上の価値を生み出すので、その物語の経済圏は成長する。徴税して通貨を共同体に再分配することで、中間層や軍隊が育ち、経済圏は安定して成長する。通貨の価値が下がり過ぎると必需品が買えずに生活に困る共同体の人が出てくる。彼らが物語を虚構だと思うのを避けるために、支払い利息を上げて、通貨の供給量を下げると通貨の価値が上がるが経済圏の成長は鈍化する。このような好況不況は10年サイクルで繰りかえされる。そんなサイクルの中で、僕らは、株価や売上や給与やパン価格の上下に一喜一憂していく。

メディアと虚構の力で共同体は規模を大きくしていく。

これまで、メディアが発明されるごとに身体性が拡張されて、人が影響力を及ぼせる共同体の規模は虚構のおかげで150人よりも増えていきました。脳内物質のオキシトシンがもたらす多幸感と、群や家族への帰属意識を高めてくれた毛づくろいの代わりに発明された言葉で、より多くの人にアプローチできるようになりました。言葉を使って仲間内で会話のキャッチボール(雑談)をしながら、仲間の外にも響きやすい語呂や響きの良い言葉(流行語)が広がっていく。虚構を生み出す例え話(物語)、虚構を実体化する文字やシンボル(記録)、虚構を具現化させる宝具やテクノロジー(衣装・化粧)、物語と一体化したリーダー(英雄)、そして、虚構を空間に定着させるランドマーク(聖地)と記憶に定着化させる踊りと歌(流行歌)によって、生活圏(国)が生まれる。そして物語を空間に定着させたリーダーやランドマークが描かれた信用(貨幣)によって生活圏よりも広い経済圏が生まれる。ラジオ放送やテレビドラマやネットゲームが発明されて、経済圏よりも広い情報交流圏が生まれる。そこで生まれた物語は言葉や数式をやり取りする情報交流圏をつくり、国や言語という物語の境界線を超えて情報とデータが行き交い、価値が取引される。グローバリゼーションとはそのような現象を指すのかもしれない。今後は、
遠隔操作ロボットやXRアバターといった、より身体性を拡張するメディアと、毛づくろい、食べる、汗かくといった身体性を整えるメディアが交錯しながら、新たな物語を紡いでいくのだろう。こうして、虚構はどんどん複雑に、メディアは身体性をどんどん拡張していく反面、ドーパミンやテストステロンといった脳内物質ばかりが暴走し、貨幣やいいね。を増やすことが人生の目的とする物語が広がってきている。これらの物語から醒めた暁には、夢幻のようだったって思うのだろうか。

物語が虚構だったと知れわたると経済恐慌になる。

成長が停滞し、投資しても成長が見込めなくなる時期が続くと、社会課題は顕在化し、物語が虚構であったことが多くの人の目にも明らかになってくる。信用が急激に無に近く。借金の担保にしていた価値や、通貨を担保していた信用も虚構であったことに気づき、破綻する。恐慌は人々が価値であると思っていたものが実際には虚構だったと気づいた時に発生する。世界最大のヘッジファンドの創業者レイ・ダリオ による「30分でわかる経済の仕組み」では、生産性の向上と、通貨金利差による短期波動と、クレジット(と信用崩壊)による長期波動の3つによって景気と不況と恐慌が繰り返されるメカニズムをわかりやすく紹介している。

会社や産業レベルの物語の崩壊もあれば、国・通貨レベルの物語の崩壊もある。後者は、パンデミックと同じく100年に一度のサイクルなので多くの人は身体的な痛みを忘れ、銀行には預けるなという教訓だけが引き継がれる。基軸通貨や国が破綻すると、西方にある新しい物語の地へと覇権は移る。イタリアからオランダへ、オランダからイギリスへ、イギリスからアメリカへ。破綻すると、古い物語に囲い込まれていた人々やテクノロジーが新しい物語のもとで再編集され、次の成長の起爆剤になっていく。

物語を守るため、人は記憶を改ざんする。

こうやって、宝具やテクノロジーによって担保されていた物語が国や宗教を生み、国家と宗教団体が記録や貨幣に信用を与え経済圏を生んできた。改ざんされないからこそ記録には価値がある。自分たちと関係ない国家や宗教団体が、自分たちの物語に反した証拠を出すと、改ざんしたのでは?とすぐに指摘されるが、自分たちが信じている国家や宗教団体が改ざんした場合、証拠が出ても、にわかには信じにくい。

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アンデルセン童話の「裸の王様」の原典は、嫡子相続が当たり前だった中世スペインの物語で少しだけ内容が違ってくる。父親の実の子どもではない者には見えないという服を、詐欺師の仕立て屋が王様に売り込んだ。自己欺瞞に気づきながらも自分が物語の英雄の後継者であることを信じたい王様は、その宝具を身にまとい街を行進する。指摘したのは、子どもではなくムスリムの黒人。物語が虚構だと指摘され、観客の心にも動揺と不安が広がる中、行進は平然と続けられていく。

それを言っちゃあ、おしめえよ。(フーテンの寅こと車寅次郎)

自分たちが信じている国家や宗教団体が実は記録を改ざん、ねつ造していたという決定的事実が明るみになると、ある人は非難し、ある人はとりつくろい、ある人はより物語を信じ込み、しがみつく。人は自分の人生を形づくってきた、意味づけてきた物語が虚構でウソだったと気づくことを、なによりも一番恐れるものだから。物語を長続きさせるための改ざんや自己欺瞞は、自分の人生の物語を守るために、意識的にも無意識的にも行われる。人は見たいものしか目には入らず、聞きたい声以外は抜けていく。

改ざんやねつ造が明るみになり、夢から覚めて全部ウソだった、私はだまされた、と非難する人は多いが、そもそも、この世の全ては虚構で出来ているのだから仕方がない。とはいえ、認知革命の結果、人は自分が信じるに足る物語がないと生きてはいけなくなりました。人は継続性から自我を形成していくので、永遠の物語を求めるが、環境は絶えず変化を続けるから、永遠の虚構は存在しにくい。変化が顕著になってくると、これまでの成長に隠れていた社会システムそのものが持っていた歪みが顕在化して、物語に疑念や矛盾が生まれる。はだかの王様のように、矛盾が誰の目にも明らかになってくると、見て見ないふり、なかったことにして物語と自我を守る、都合のよい物語を生み出して自我を守る、過去の記憶を新しい物語で観測し直して新しい物語に生きる、真理は多様な物語で表せるので、無限の過去と未来が存在していると相対的な立場に立つ、物語自体を虚構とするなど、様々な選択を迫られます。どう意味づけ直すかは人それぞれで、光のように、揺らぎ進みつつ広がりながら、自分の世界線を描いていきます。

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光円錐世界線(wikipediaより)

感染症の歴史をふりかえる。

感染症は、社会システムそのものが持っていた歪みを顕在化させて、物語に疑念を抱かせる力を持っている。今、アメリカという物語が感染症で揺らいでいる。ピューリタンの信じる個人の自由と神の前の平等という物語を実体化させるために、自由の帝国をつくり、ニューヨークに自由の女神をたて、さらなるフロンティアを求めて西へ西へ、デジタル空間へ宇宙へと向かうという物語は、現状と物語の乖離に疑念が生じている。

withコロナ、afterコロナ、new normalと、これからの社会がどうなっていくのかが様々なところで話しあわれている。第一次大戦の死者数1600万人に対し、同時期のスペイン風邪の死者数1億人と、疫病が社会に与えてきた影響は今も昔も大きいことがわかります。感染症は、戦争よりもはるかに多くの人の命や人生を奪う。世界中の人たちのDNA解析が進んだ結果、もともと住んでいた民族がDNA的には継続性を持たない民族にとって代わられるという事がかなり頻繁に起きていたことがわかってきました。戦争と処刑だと民族の根絶は難しいですし、女性の略奪だと母系で遺伝的なつながりはミトコンドリアに残ります。となると、気候変化で食料となる動植物を追って自らが移動したか、移動と衝突によって発生した感染症で共同体が維持できないくらいに減少したかが原因ではないでしょうか。マクニールやジャレド・ダイアモンドの研究が示すように、疫病と人類の発展には大きな因果関係があります。毛づくろいと生殖活動と言葉や歌のやり取りを通じて感染していく感染症は、文明の発展も同様の手段で行われてきたことを考えると、切っても切れない関係にあるのではないでしょうか。

これまでの感染症の歴史をふり返ると、特に、地球の気候変動や遊牧民の動きとパンデミックは強く連動してることがわかります。

流行語で振り返る感染症の歴史ビジュアル.001

太陽の活動が活発になり黒点が増え温暖化が進むと、空気中のCo2が増えるので、農業生産が伸びて大きな定住民の帝国が出現し、他の帝国や遊牧民と交易ネットワークを作り、経済圏が拡大していき、徐々に収穫逓減を迎えます。太陽の活動が低下し寒冷化するとステップ地帯の植生が枯れるため、ユーラシア大陸中部の遊牧民が食料を求めて帝国に一気に侵入しパンデミックが起こり、帝国も主権を強化し、人々も帝国の力に期待をかけます。それでもパンデミックが治らない場合には、社会不安から、これまでの成長で隠れていた社会システムそのものが持っていた歪みが顕在化して、物語に疑念が生まれ、反乱や混乱がおこり帝国が滅びます。

流行語で振り返る感染症の歴史ビジュアル.001

感染症は、人々に物語が虚構だったと気づかせる

これかでの人類の歴史を紐解いていくと、パンデミックは物語が虚構であったことを白日のもとにさらします。これまでの社会構造や物語をよすがに生きてきた人たちが、バタバタと倒れ、生き絶えていきます。共同体や子孫が維持できないほと追いつめられると、人々の間で、これまでの社会構造や物語(共同幻想)に疑問が生まれ、極度なストレス状態に置かれます。すると神のお告げや天才的なヒラメキが降りてきて、新しい考え方や集団幻想が生まれます。やがて気温が上昇し、その幻想にもとづく社会システムが新しい共同体を生みだし、やがて国となり、温暖化とともに周囲の国を飲み込み帝国へと成長する。というサイクルをたえず繰り返しながら文明は環境の変化に適応していきました。

少し長くなりましたが、感染症、物語、覇権の構造を紹介しました。次回からは、さまざまな現象をひも解き、つなぎながら、日本における感染症の歴史を流行語と流行歌という切り口でふり返ることで、未来に向けての示唆を抽出したいと思います。ただし、ぼくは歴史研究の専門家ではなく、歴史オタクの一人にすぎないので、間違いのご指摘やご意見あれば、ご連絡ください。

次回は古代編、結核とアニミズムです。


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