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議論 vs 忖度 いわゆる「無力感」について

実際のところ、現代人の多くは大なり小なりの無力感に苛まれているのではないか。なぜなら、得ることのできる情報量が膨大に増え続ける一方で、自分の言動が影響を及ぼすことのできる範囲はあまりに限られているように思われるからである。高度情報化社会の陥穽であり、無力感が市民社会に蔓延することは、民主主義の危機にもつながり得る。しかし、実際のところ、私たちが本当に無力なのかどうかは、議論がある。

自己肯定感は、無力感から逃れるための有用な概念であろう。自己肯定感には適切な根拠が必要だが、不適切な根拠による偽りの自己肯定感に浸る例も見受けられる。現代に限ったことではないが、「弱い者いじめ」などはその最たるものであるし、人種優位や愛国を強調する政治思想や選民思想的な新興宗教など、個人の無力感に漬け込んで人をコントロールしようとするものもある。借り物の自己肯定感は、無力感よりも有害であろう。

人間は自分で思っているほど無力でもなければ有力でもない、と書くと誰かの格言の焼き直し・剽窃であるが、実際のところ、そんな感じではないだろうか。とはいえ、無力感という時代の雰囲気を否定することもできない。少なくとも、無力感への同調圧力には屈せず、安易な自己肯定感に浸る者に忖度せず、建設的な議論や発想を心がけたいものだ。



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