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奇貨とする前向きさ

たまに電車で移動するとき、車窓からの風景を眺めることに飽きはしないのだが、読むべき本を携えているときは、読むようにしている。
今日は特に車窓の風景に惹かれたのは、天候もよく季節的に美しい時期だからだろう。春の日差しは、冬の晴れの日のそれとは少し違ってより柔らかな印象がある。

奇貨居くべし、という諺の通り、最近しばしば「奇貨」という語をよく聞く気がする。感染症自体は人類史にとって珍しいものではないはずだが、21世紀の現在、このような形で対応している感染症は人類史上初であり、この経験を「奇貨」として改善や進歩、旧悪からの脱却を目指すという前向きな論調の中で、「奇貨」(奇貨居くべし)としばしば使われている。
これほど国際協調の求められる時代もない中で、バイデン氏が選挙戦に勝ったのは妥当なことであるが、中国の横暴はいっそう目立つ。奇貨の一つは、醸成されつつある国際世論とも考えられるが、世界で連携する必要性がこれほどわかりやすい形で提示されるのは稀ではないか。感染のリスクは、世界中の人々がほぼ均等に有している。それぞれの立場は、多かれ少なかれ、似ている。

危機はチャンス、などとは使い古された言葉で、しばしば人をしらけさせるが、こういう直接的な「励まし」がうざく感じられる時代になったのかもしれない。穏当かつ婉曲な表現が、むしろ耳に心地よく、今般の「奇貨」はセンシティブな話題の中で、控えめで穏当な言い方だろう。私も同じことを言うことになるが、奇貨居くべし、と思う。

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