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しあわせ迷子の女

現在52歳バツ2、、娘3人。私の様なペルソナを持った人は、とても多いと思う。だけど、別れた夫が3年後、突然亡くなるって事は中々無いかもしれない。



人にはそれぞれ、タイムリミットがあって、どんな人にもタイムリミットは訪れる。



そんな事は分かっていても、最初の別れた夫が亡くなったのは32歳。あまりにも突然で、あまりにも急で、自分の気持ちをどう整理して良いのか、全く分からなかった。



そして、私は彼と、いままで、ちゃんと腹を割って話をしていなかった事に気付いたのだ。聞きたい事が沢山あった。謝りたい事も・・・



でも、その私の希望は、今更叶わない。



タイムリミット・・・もう彼はいないのだから・・・


今までのお話はコチラ↓


第2話 第3章 しあわせ迷子の女

新しい命

最初の夫、太郎の突然死で私は、心が不安定になっていた。



友人や義理の姉の話では、太郎は離婚後、とても荒んだ生活をしていた様だった。



子ども達と会う時だけは、身なりも整えて、きちんとしていたが、普段は、無精ひげを生やし、パチンコばかりしていたとの事だった。



太郎は自分の姉に会う度「あゆは凄くいい子で、俺のせいで申し訳ない事をしたと思う、本当に謝りたい」と言っていたそうだ。




そして、私は、私の知らないところで、太郎は苦しみ、悩み、寂しい想いをしていた事を死後に初めて知ったのだ。




いつだか、太郎はマンションを売って引っ越しすると言っていたが、実はそれは、今の彼女から逃げるつもりだったと、太郎の親友から聞いた。



太郎の親友は、彼女の件については、自業自得だと言っていたが、その時の私は、全てが自分のせいの様に思えていた。


私がもっと太郎に関心を持っていれば…太郎はこんな事にはならなかっただろう。私は、自分の事ばかり太郎に主張して、太郎の事はまるで分かってなかった。


次郎さんや、子ども達といる時は我慢していたけれど、1人になると何をしていても涙が出てくる。



私のせいで、太郎は死んだのかもしれない。と、いつも自分を責めていた。



そんな時、私は自分の身体の異変に気付いた。



何をしていても怠い、熱っぽい、食欲がない。そして、生理がない。



私は、精神的にダメージを受けると、生理が止まるという事が度々あった。それに、次郎さんは、自分は恐らく子供を作れない体かもしれないと、付き合った当初、言っていたのだ。



だから、妊娠するなんて事は無いと思っていた。



でも、明らかにいつもと体調が違った。恐る恐る、妊娠検査薬で調べてみると。



陽性。妊娠だった。


本当の家族になれたね


太郎の死から、落ち込みがちだった私だが、妊娠はとても嬉しかった。




次郎さんは、自分は子供が作れない身体だと思っていた事と、娘たちがどう思うのか?が原因で、不安そうな様子だった。



私は浮気はしていないし、次郎さんのいう、子供が出来ない体というのは、病院で調べた結果のことなのかを尋ねてみた。



次郎さん自身、検査はしていないと言った。大人になってから、水疱瘡を患った事で、勝手に子種が無いと思っていたらしい。



私は、娘たちに、妊娠した事を話してみた。



すると、長女も次女もとても嬉しそうだった「女の子がいい!!」と大はしゃぎしていて、次郎さんもホッとした様子だった。



そして、長女が一言こういった


これで本当の家族になれるね!!赤ちゃんは皆と血が繋がっているんだよね!!パパともママとも、私と次女ちゃんとも!!凄いね~赤ちゃん


この言葉を聞いて次郎さんは涙ぐんでいた。私も、娘の成長が嬉しかった。



この世を去る命もあれば、新しく芽生える命もあり、私はこの「命」の尊さを感じていた。お腹の中の新しい命は、私たちに喜びと、繋がりを与えてくれたのだった。


離れてみて分かった事


太郎の死の直後に、妊娠が分かり、精神的に参っていた私は、新しい命に心から救われていた。



今、私は生きている。



命にタイムリミットがあるならば、時間を大切に、精一杯楽しんで生きる事が、何より大切だと、お腹の命が気付かせてくれたからだ。



お腹の子供は女の子だった。7年ぶりの出産だったが、陣痛が本格的に始まってからはあっという間に生まれた。家族中大喜びだった。



家族も増え、私の両親の家を二世帯住宅に建て替えて、新たな生活を始めた私たちだったが、今思えば、幸せってこういうものだと、決めつけていたのかもしれない。



再婚もして、子供にも恵まれ、マイホームも建てた。夫の次郎さんは穏やかで優しい人だし、次郎さんの家族も理解がある人達だったので、長男である次郎さんが、私の親と同居する事も許してくれた。



お金に困る事もない。



次郎さんは働き者で、会社の愚痴をこぼした事も一度もない。



でも、私は何故だか日々、物足りなさを感じていた。絵に描いたような「幸せな家庭」の中にいたのに・・・



三女が生まれてから5年ほど経ったある日、次郎さんから相談を受けた。


実は春から転勤が確定になった。長女は高校進学が決まったし、三女はもうすぐ1年生。次女も2年後、高校受験を控えているから、俺は単身赴任しようと思っているけど、どう思う?


転勤はいずれあるとは聞いていたが、このタイミングだとは思わなかった。



長女は志望校に合格したばかりで、連れて行くわけには行かない。次女も2年後に受験を控えていた。



三女だけ連れていくわけにも行かず、次郎さんの提案通りに、単身赴任をお願いする事にした。



単身赴任した後も、私たちの生活はあまり変わらなかった。



次郎さんは「食生活がこまるよ」と言っていたものの、特にマメに連絡してくるわけでもなかったが、真面目な人なので、浮気する事もなかった。



なさぬ仲の娘を受け入れてくれて、真面目に働き、浮気もしない次郎さん。



でも、私は感じていた。


この人と夫婦でいる意味ってあるのか?


結婚したんだから、夫婦でいる意味なんて本当は考えなくてもいいのかもしれない。



穏やかな暮らしを望んでいたのだから、希望通りの幸せな毎日のはずだった。



でも、いつも心にぽっかりと穴が開いていた。



次郎さんがいない事に、寂しさも不満も無かった。逆を言えば離婚する理由なんて、なにひとつなかった。



でも、結婚を継続する理由も、なにひとつなかった。


離婚の理由


長女として育った私は、両親に「良い妻でいる事」を常に教育されていたが、実のところ「良い妻」に対して疑問を持っていた。



次郎さんは、私が居なければ、食事もまともに出来ない人だった。そんな次郎さんの面倒を見る事が、良い妻だと思っていたし、そう教育もされていた。



しかし、夫の次郎さんが単身赴任になった事で、良い妻の条件が一つ減ってしまった。条件で考えるのがオカシイのか?と思い直して、私は考えてみた。



次郎さんのどこが好きなのだろう。



今更、こんな事を言えば、ひどい女だと思われるかもしれないが、真実を話すと、あの時、私は子供の側にいたかったのだ。



6年間専業主婦で、子供たちと毎日過ごしてきたのに、3歳になったばかりの次女を保育園に預けたり、小学生になっても学童保育に預け、暗い夜道を、長女1人で帰宅させたこともあった。



そんな時に次郎さんと出会い、結婚する事で、子供たちにとって母親のいない寂しい時間を減らす事が出来ると思ったのだ。



風邪をひいて、一人寝かされ、母親が仕事から帰ってくるまで、娘が心細い思いをしなくても良くなるのでは・・・と、、。



そう、当時の私の「幸せ」のベースは全て、子ども達だった。



でもこの先、子ども達が巣立った後、私は次郎さんと、どんな老後を過ごすのだろう。と考えた時、、私は何も想像できなかった。



私自身の本当の幸せ・・・それは



それは、次郎さんと、この先も、ずっと一緒に、ずっと仲良く暮らすという事では「ない」と、ハッキリと確信してしまった。



私は、次郎さんがいない人生を歩きたくなった。しかし…そんなに簡単に離婚は出来なかった。


つづく

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