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スプラトゥーンの「甲子園実況」をどうみることができるのか? (前編)

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Splatoon(スプラトゥーン)@SplatoonJPより

実況の問題点

スプラ甲子園実況とは

先日、といっても10月1日のことだが
スプラトゥーンのオンライン甲子園があった。

有名人が大勢でていたというのもあってよくよくみられていたようだが、
視聴者の中には「実況」が気にくわないという人がいたらしく、
Twitter上でやや騒がれていた。

「実況」といえばスプラ甲子園の元ネタである夏の甲子園、野球でも問題があった。

慶應が107年ぶりに優勝したことは巷でもしられていよう。
その熱狂的な応援が取り上げられることが多かった。

私は甲子園はほとんどみてないが、知り合いによると慶應の試合は
決勝が近づくにつれて実況者の贔屓が目立ったという。

ゲームにせよ野球にせよ、五輪という大舞台にせよ
人間がやっている以上、「実況」は何らかのいざこざを起こす可能性がある。

人にはその人の個性、体臭がある。
それを他人へ差し出せば相手が臭みを感じて拒絶するということは
日常茶飯事である。

それゆえ、人間の相性を公然と出すことになる実況は
その臧否 ぞうひが争点になりやすい。

しかも、視聴者は「選手」をみにきているのであり、
「実況者」をみにきているわけではないというのが争点に之繞しんにょうを掛けている。

自分の好きなプレイヤーが実況者に小馬鹿にされたり、実況者が誰かに肩入れしていたりすると
不快感がうまれやすい。

そう考えると、スプラ甲子園を観戦していた人々のなかに苦情がでてきたとしても
それは仕方がないことだ。

誰もが納得できる実況などあるまい。

と思いつつも、私には二つの疑問が生じた。

①「実況」と「視聴者」との間に諍いが起こるのはどういうときなのか?
②「実況者」は何を考えているのか?

批判から学べること

先に述べておくが、スプラ実況を批判するのはかまわない。
その人の自由である。よってこの文章は批判者を指弾したいわけではない。

批判を叩き台とした私ズンダの「実況者には何が求められるのか?、実況者ってそもそもなんなんだ?」という好奇心の表れである。

ただし、実況批判者側も「実況者とは?」をしることで
その意図や営為を理解できるようになり、優しくなれるかもしれないという
ぐらいには思っている。

人は相手の事情がわかると見方が変わるものである。

実況は視聴者側に不快感を与えるかもしれないが、
視聴者側は実況者という仕事がなんなのかを知っているわけではない。
「不快」を感じる前に、その「不快」は何なのかを分析してみるのは
相手への理解につながる。

これからも何らかの大会をみる機会があるだろう。
その度ごとに、ただ恨み辛みを述べるよりは相手への理解があったほうが
楽しめて良いのではないか?

Twitterの性質から批判する人もいる

こういった不快感の表明を本人がどこまで本気で思っているのかはわからない。
以前の記事でも書いたように「Twitter運用のためのスタンス」があるからだ。


真摯な態度で表明しているのではなく、商売上の利得のために何かをいっているだけではないか?
バズってトレンドになったものにRTをし、そこに自分の意見を載せる。

そうすることでTwitterで自分の名を売る。

これはブルーマークをつけた人々が盛んにやっていることからもわかるようにイーロン以前のTwitterから行われていたのである。

それはそれでいいだろう。お金を稼ぐ。当然だ。
何かをするには何かに投資したり、作業しなければならない。
それでお金を稼いでいる。何も悪くない。

ただ、勘違いされると困るし、なぜか勘違いしている人がいて面倒なのだが、
私は批判するなといっているのではなく、妥当性がない批判はネガキャンでしかないよね、という話をしているのだ。

スプラ界隈でもTwitter上で一生、ネガキャンをしている人間がいるだろう。
それが妥当な批判であれば全く問題ないし、それについて何かを思ったことは一度もない。

というか、その場合それはすでに「ネガキャン」ではない。

だが、明らかにイカケンへの讒言中傷の域であったり
反射的に非難しているだけの人がおり、そういう人をみると
「商売ですよね?」さだめたくもなる。

桜井政博という権威を利用し、誤りを平然と流す人


近頃ではこういうことがあった。
『大乱闘スマッシュブラザーズ』の生みの親として知られ、
youtubeでも活躍しておられる桜井政博氏によるゲーム論である。

ここで述べられていることは、「ゲームは簡単にするか難しくするかで一般性が上下する」という至って当たり前の話である。

それを彼が話した際に画面上に『スプラトゥーン3』がしめされていた。
そのことから、「桜井がスプラをダメといっている」というふうに解釈した人々が一定数いたのである。

しかし、ここで彼がいっているのは「ダメ」という価値判断ではなく、
事実的な記述である。


むろん、ゲームを難しくするかしないかで違いがでることが真であるか偽であるかを考えるのはいいかもしれない。

だが、ゲームがダメかどうかの話はしてない。

それゆえ、彼はこの動画の終わりで次のように述べているのだ。

どこを狙ったら良いのかはゲームの企画と
コンセプト次第。正解なんてありません。
ゲーム性が生じる理屈は理解した上で
狙いを定めていくというのが良いと思いますね。

ゲーム性を上げると、一般性が下がる 【ゲーム性】
https://www.youtube.com/watch?v=YRkJGr4oRgY&t=15

s

普通に桜井の動画をみていれば、「スプラをダメといっている」などとは思わないだろう。

しかし、元から「スプラ3」に対して怨嗟があると、どう考えても狂った解釈をしてしまう。

認知バイアスにかかっており、たかだか数分の動画の確認すらまともにできない人間が、イカケンを貶めたいがためにこのようなウソをついているのは実に腹立たしい。

こういう人間が何かをまともにいえると思えない。


この辺りの事実やモノの見方を正しくするための考え方をしりたい人には以下の本をお勧めする。


関係する論文をみてみる

実況の談話分析は意外に少ない

さて、

基本的にスポーツ絡みの実況に関する論文は少ない。
それどころか日本では会話分析を主にした論文があまりない。
多々良直弘という研究者も以下のチャンネルで
そういっておられる。


ましてやe-sportsの実況に限定したものとなると
一つぐらいなものである。

よってここでは一般的なスポーツの実況に関する論文、
マラソンやサッカーなどテレビでよく放送される身近なものを対象とした論を参考にする。

スプラ甲子園の実況者も、その実況の型は普通のスポーツ実況を
真似ているだろうし、e-sports実況にかぎらずともいいように思われる。
(ちなみにスプラ甲子園の実況者が何者なのか、どういう経緯でそうなったのか私は知らない。)

また、スプラ甲子園では実況者が問題になっていたが、
これらの論文では、実況者と解説者との役割分担の重要性などが指摘されている。

以下の文で、私は「実況者」を多用しているが、それとは別に「解説者」の問題もあることを頭にいれておいていただきたい。


日本の実況の特徴とは?


では、はじめよう。

①に関しては二つの論文を紹介する。

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