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【ずんだ東大地理の実況中継】 vol.1 なぜ明治初期は北陸地方の人口が多かったのか?


 
 みなさんこんにちは。東大地理コースを担当いたしております、ずんだ雅幸です。このクラスでは東大地理を受験する人向けに実戦的な考え方、問題の解き方をレクチャーしていきます。
 東大地理は、厳密には地理ではない、これは私の持論です。最低限の地理的知識の、本質的理解を問う論理パズル、これこそが東大地理の本質であり、面白さだと思います。東大入試でももっとも論理性が要求されるのが、実は地理という科目なのです。じっさい、受験生時代の私も、この面白さに魅入られたからこそ、東大を受験した、そう言っても過言ではないくらいです。
 だから、この講義ではひとつひとつ、どういう論理で解答が編み上げられるのかというのを、とくによく聞いていただきたい。
 それではさっそく設問を見ていきましょう。今回取り扱うのは模擬問題で、実際の東大地理よりも難しい難易度設定になっています。


【設問】

難易度:C⁺ (F)


(1)表1は1880年と2020年の、それぞれ人口が多い都道府県を上位3位まで示したものである。1880年に石川県の人口が全国一位になっている理由について、以下の指定語句をすべて使い、2行(60字)以内で述べなさい。なお使用した語句には下線を引くこと。

        信仰   平野

【参考】難易度表示について
A:共通テストレベル、落としてはいけない問題
B:標準問題。もっとも差がつく箇所で、得点源にしたい
C:難問。最近の東大入試には出ない傾向の問題もこの扱い。高得点を狙うなら積極的に挑みたい、そうでない人は部分点
  
Z:参考問題。高校地理の範囲を超えた問題などを紹介するとき用いる


 若干近年の傾向からは離れる問題ですが、東大入試で問われる地理的思考のエッセンスはちりばめています。これからこの講義では解説・解答を展開していくわけですが、頭の中でどういう要素を盛り込むべきか、5分ほど時間をあげますから、考えてみてほしい。たとえ正解を導き出せなかったとしても、日ごろから考える訓練を積んでおくのは大事です。
 そしてぜひノートに、自分の解答を、60字以内で作ってもらいたい。採点基準も講義のおわりに解説しますから、それで自分の答案を採点してみてください。

 5分経ちましたがいかがでしょう。それじゃあ早速この問題をどう解くか、その思考のプロセスを辿っていくことにしましょう。

【考え方】


 現在では東京や大阪といった都市圏に流出し、人口減少が著しい北陸地方ですが、明治時代初期には石川県をはじめ人口が全国でも上位に入るほど多かった。問われてるのは石川だけど、同時代の人口上位には、新潟や愛媛も入っている。こんにちの視点から言えば意外ですよね。それはなぜか?というのがこの設問の問いかけです。そして指定語句として、「信仰」と「平野」が与えられている。

 実際の東大地理でもそうですが、与えられている語句には、必ずヒントが潜んでいるんですね。今回の問題の二つの語句も、どんなヒントが隠されているかについて、それぞれ見ていきましょう。

 

「信仰」について


 「信仰」というワードから、なにが連想できるでしょうか。どなたでもいいので一声どうぞ

学生A:宗教でしょうか

 その通り。しかし、そこから宗教と、この設問の大テーマである人口の関連性が見出せず、立ち止まってしまった人は多いんじゃないかな。けれども、じつはこの人口と宗教の関係性、高校地理の教科書にちゃんと記載されているんです。

 それは何かというと、ラテンアメリカの人口問題です。これはほんの少しですが、帝国書院の地理の教科書にも載っています。
 さて、そのラテンアメリカ諸国での人口問題ですが、少子化などで人口減少なのか、それとも人口抑制ができずに人口増加が問題なのか、どちらだと思いますか。できればそう判断した理由も含めて。どなたか思いついた方からどうぞ。

 学生B:人口増加だと思います。理由は、少子化による人口減少は先進国に多く、人口抑制がきかないことは後進国に多くて、比較的後進国の多いラテンアメリカは、人口増加が問題になっていると推測できます。

 ありがとう。その認識で合っています。そうするとラテンアメリカの人口問題は、どうやら人口減少ではなく人口増加らしい、そしてここに宗教がかかわってくるわけです。じゃあラテンアメリカで広く信仰されている宗教は?

 学生C:キリスト教です

宗派はどうでしょう?

 学生C:カトリックです

 そうです。もともとはスペインやポルトガルの植民地だったから、カトリックが多い。1990年代のデータでは、ラテンアメリカ全体の90%がカトリックで、いかに圧倒的かがわかります。
 ちなみにですが、カトリックと2位のプロテスタントに次ぐのは「無信仰」「精霊崇拝」、ヒンドゥー教やイスラム教はいずれも1%にも満たないのです。

 設問が日本のことを言っているのに、いきなりラテンアメリカやらカトリックの話をして何が言いたいんだ?と言われるかもしれないが、まぁもうしばらく聞いていただきたい。

 キリスト教でもカトリックは特に厳格で、人の出生を人間の操作によって抑制することを強く禁忌、タブーとみなすわけですね。
 タブーというのは、つまり人為的な出生数のコントロールが、神の意思に背くような行いとみなされるという意味です。カトリックの人びとは、もちろん濃淡の差はあるけれども、こうした認識をしている。だから中絶とかは英語で言う所のsin、要するに宗教上の罪にあたってしまうわけです。
 キリスト教はプロテスタントでも人工中絶を禁じている地域が少なくないけれども、カトリックはもっと尖っていて、避妊も基本的にダメということになる。もっとも近年はカトリック教徒の多い国でも、ヨーロッパ諸国などでは、一部認められているのですが、ラテンアメリカではまだまだ厳格なカトリックが主流です。もちろん裏事情ではいろいろ抜け道があるんだろうけど、おおっぴらには人工中絶も避妊もできないことになってる。だから出生率が高いままなんです。

 さて、ここまで話してきたことが教科書には、つぎのような一文で書かれています。

「ラテンアメリカではカトリックの信仰ため人口抑制に否定的である。」

 私は普段から教科書を完全に自分のものとして血肉化できていれば、東大地理でも満点を取れると言っていますが、今回の問題を解くカギとなるのは、この一文なんです。

 もっとも、これはさりげなく地図の中に書かれているだけの一文だから、まったく知らないという人は、東大受験生でも少なくないかもしれない。地理に詳しい人なら、「カトリック教国は人口増加傾向が強い」という覚え方をしている向きもいるでしょう。
 しかし、この問題が解けるようになるには、もう一ステップ踏み込んだ理解が必要です。
 この場合で示すならば、「カトリックの国や地域は出生率が高い」という教科書に記述を機械的に暗記するだけでなく、「宗教の教えが強く保たれている国や地域は、避妊や堕胎などの人口抑制策がその宗教では罪として忌避され、結果として出生率が高くなることがある」という、普遍的なロジックを抽出して定着できるかどうか。そこにこの問題を解けるか否かの分水嶺が存在するのです。

 ここまでが理解できていれば、前半部分はもう答えが出たようなものです。前段の太字の構図を明治時代の石川県にあてはめると、だいたいこんな感じになるんじゃないでしょうか。さぁ、ここで該当する宗教はなんでしょう。

 学生D:日本なので神道か仏教ですよね・・・殺生を禁じるイメージがあるので、仏教のほうでしょうか。

 その理解で充分です。もちろん浄土真宗というところまで指摘できれば完璧だけれども、地理ではそこまで求められないでしょう。
 これで「宗教」というワードの使い方がわかりました。あとはラテンアメリカにおけるプロテスタントの事例を、そのまま当てはめればいいだけです。ここまでを整理すると、次のようになります。

 ①宗教=仏教(浄土真宗)の信仰が篤い→堕胎などの人口抑制策に否定的→出生率が高い水準だった 

 人口の多かった理由として、こういう論理を導き出すことができる。

 ちなみに日本史選択者や、雑学的知識がある人は、北陸三県は浄土真宗の信仰が篤く、今でも立派な寺院だったり、各家庭の大きな仏壇だったりがみられるということを知っているでしょうから、その場合は、この構図を思いつくのがだいぶ楽になります。東大地理対策では、雑学的知識は意外と馬鹿にできないんですね。

 ところで人口抑制策として「堕胎など」と書きましたが、他の地域では「間引き」、要するに生まれて来たばかりの子どもを殺してしまうという習俗が全国的に広がっていました。現代の目から見れば残酷ですが、実際問題、食うや食わずの生活をしているのに、もう一人はとても育てられないから、かれらは殺すしかなかった。茨城の利根川の河口のほうにある神社にも、子どもを殺す母親の絵を描いた絵馬が奉納されています。それを見た幼少期の柳田国男が、生涯、貧しさから人びとを救済する「経世済民」の志を抱き、日本民俗学の確立へ向かったというのは有名な話です。
 ともかく、仏教の影響で人口が高い水準にあったというのは、堕胎よりも、むしろ間引きを忌避したから、というのが実情のような気もします。ただ、受験地理の範囲では、「堕胎など」の記述で充分でしょう。

  

「平野」について


 さて、次に「平野」という指定語句だけど、これは簡単だね。この後半部分単体でみれば難易度A~Bです。仏教のくだりは書けなかったとしても、後半のこっちはぜひ部分点を獲得してもらいたい。「平野」ですが、具体的にどこを指すでしょうか

 学生B:砺波平野です

 じゃあそういった平野があることと、人口とはどういう関係があるでしょう?

 学生B:農業用地が広く確保できます
 
 ありがとう。基本となるところはしっかり押さえられています。
 ただ、農業のところはより具体的に「稲作」というワードが欲しい。日本の事例で農作物関連の記述が必要な時、まずコメを第一に考えるのは、受験地理では鉄則です。私が敬愛してやまない権田雅幸先生も、こう語っておられます。

 土地利用と聞かれた場合、日本ではそのポイントを半分以上、水田があるかないかに置いていいんです。主力である米が作れるか否か、そしてほかの産物などは、一括して”米以外”というふうにまとめてもいいぐらいです。

『権田地理Bの実況中継(上)』p101より

 ここでちょっとネタばらしなんですが、1880年の石川県というのは、いまの富山県と福井県の一部を含みます。だからあの表は厳密にはフェアじゃないんですが、現代の北陸三県を合わせても、300万人に満たないくらいで、これは現代だと全国10位の静岡県の次くらい。だから大勢に影響はありません。
 つまりそのころの石川県は、富山平野、砺波平野に加えて金沢平野などを含んでいましたが、この二つは今も米どころとして有名なんですね。私は基本的に自分が食べるものは自分で作る主義なので、よくスーパーに行くんですが、富富富、富山の富を3っつ書いて「ふふふ」と読む、ちょっとふざけたようなお米が最近出てます。これは富山県でうまれた品種で、2018年から流通しているそうです。
 さっき東大地理には雑学が意外に役立つといったけど、手始めにスーパーに行ってみるといい。そこに並んでいる食料品の原産地に注目してみると、日本や世界のいろんな地理にまつわることがよく見えてくる。スーパーによく行く人なら、富山や石川のお米を目にするので、考えなくても、あの辺は平野でお米がよくとれるんだな、というのがわかるんですね。スーパーは地理を学ぶ人にとって、この上ない教室です。
 
 さて、本題へ戻ると、「平野」というキーワードからはだいたい次のような構図が描けるのではないでしょうか

広い平野部→稲作が盛ん→大きな人口を養う食糧供給が充分だった


それじゃあ次に、解答例とその解説に入っていこうと思います。


【解答例】


(1)仏教信仰が篤いため、堕胎などの人口抑制策への忌避感が強く、広い平野部での稲作が盛んで、食糧供給も充分であったから。(58字)

 解答の構造としては、【基本構文A:対句構造】を採っています。すなわちA→A'とB→B'という、ふたつの因果関係を並立することによって、論理的展開の明瞭な答案になっているのがおわかりでしょう。

 基本構文Aとは何ぞやというのは、この欄の末尾で解説しておきます。ざっとまとめると、二つの要素を30字/30字に分割して、書きやすく、採点しやすい答案を作るためのテクニックといったところでしょうか。私が東大地理の過去問を研究した結果として、論述問題はいくつかのパターンに分類できるのでは?と気が付いてから編み出したものです。東大地理で使える基本構文にはいくつか種類があるので、また機会があったら解説していくつもりです。

 大まかなところは【考え方】で見てきた①と②をなぞっていることがおわかりかと思います。①の最後の「出生率が高い」というのが抜け落ちてるじゃないかという声が上がりそうですが、「出生率が高い」は「人口抑制策への忌避感」というワードから自然に導きだされるものだから、余裕がない今回みたいな場合には省いても差し支えないでしょう。もちろん字数に余裕があれば、しっかり盛り込んでおくべきだとは思います。


 ちなみに採点基準の要素としては、この一問が4点満点として

・「信仰」として仏教(浄土真宗) ・・・1点
・人口抑制策への忌避感 ・・・1点
・平野部が広がっていること ・・・1点
・稲作地帯である ・・・1点

 というところになるかと思います。自分で答案を作ってみた人は、これを参考に採点してください。かなり骨のある問題でしたが、後半の稲作のところは平易です。受験生の方は、少なくともここをしっかり書くことができたかどうか、それをよく確認しておいてください

 今回の講義は以上になります。お疲れさまでした。以下は附録となっていますので、目を通してみてください。それから100円の投げ銭も、この講義を続けるためにぜひ、入れておいてくださると大変助かります。
 
それではまた次回、この教室でお会いできるのを楽しみにしています。


 

・【基本構文A:対句構造】についての解説
 東大地理のうち2行(60字)の論述問題で使える場面が非常に多い、論述のテクニック。
 この構文が使える前提としては、問題の解答が二つの要素からなるという推測ができる場合だ。今回の問題は、二つの方向性の異なる指定語句があることもあって、典型的な基本構文Aの出番だ。
 骨子としては、Aという要素を30字、Bという要素を30字というかたちに振り分けていく。実際の採点現場では、たとえば4点の設問ならば、要素Aが書けていれば2点、要素Bが書けていれば2点という採点をおこなっていると推測できるから、こうした構文を使えば、採点者にも伝わりやすい答案が作成できる。
 また、30字/30字に分割するので、いきなり60字書くよりも心理的ハードルが低くなるという点も強みのひとつ。

 
 
 【出題意図】

 教科書には人口の増減の背景に宗教的があるということがしばしば記述されるものの、海外の事例の記述に偏しているのが難点で、日本でも同様の、宗教を背景とした人口増加がかつて存在したというのを示したかった。そして、そうした宗教と人口の関係は、けっして縁遠いものではなく、じつは身近なものであるというのを、提示してみたという次第。

【おまけ】
 もしも「信仰」や「平野」という指定語句がなかった場合、別解の余地がある。前半はそのままだが、後半の平野部の稲作による穀倉の豊かさの代わりとして、日本海舟運を背景とした港市の繁栄という、経済的背景を盛り込む方針である。

(1)仏教信仰が篤いため、堕胎などの人口抑制策への忌避感が強く、日本海舟運の繁栄により、港市への人口流入が多かったから。(56字)


 この解答は、人口増のふたつの側面、すなわち自然増と社会増とを並立することで説明していて、良い解答だ。ただ、要求される知識としては完全に日本史の範疇なので、思いつかなかったとしても気にする必要はない。

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