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支援をしてみるようになった話

休職し始めてから、もう1年半ほど経つ。
この間に変化したことのひとつとして、ときおり支援活動をするようになったということがある。

いや、支援活動と呼ぶほど大仰なことではない。
ただサポートしたいと思う活動のクラウドファンディングに参加してみたり、支援したいと思う団体の「amazonほしいものリスト」から予算を決めて何かを選んで送ったり。

今までは何らかの支援をしようとはあまり考えたことがなかった。それこそ東日本大震災の時の募金はした記憶があるが、そのくらいの有事でなければ行動を起こしてこなかった。

おそらく5年ほど前くらいからは、ネット上の署名活動を見かけると、賛同したいものに署名するようになった。
自分から声を上げる力は出せなくても、声を上げてくれている人の小さな力になることはできて、それも自分達が暮らしやすくなるための大切な手段だと感じ始めたからだった。

ただ、名前は書いてもお金を出すことはほとんどしてこなかった。自分が出せるほんの些細なお金が大した役に立つとは思えなかったのもあり、稼ぎは自分の貯金を極力増やす方向に振っていたのもある。あるいは、特定の団体を支援する勇気が出なかったのもある。同じような団体が他にあるのに、あるいは他にも自分が賛同したい活動をしている団体はたくさんあるはずなのに、なぜその団体を支援するのか。などと考え始めると、ひとつの団体を贔屓するような行動をするのがためらわれた。大金持ちになったらあっちにもこっちにも支援できるけど……という心持ちだった。

その考えが今は変わった。理由は、今の自分が休職中で全く働いておらず、しかし傷病手当や産休手当といった、貯金も多少できるくらいの額の手当を年単位で貰ってきたからだ。
これらの手当はこれまでの自分ががんばって働いた分、と捉えることもできるが、一方で今この時点で働き続けている人達が収めてくれている社会保険料や税金などのおかげで貰えているものでもある。それを貯金に回すのは何だかお門違いなのでは?と感じ始めた。クソ真面目だろうか。
ともかく、そういう金銭は、自分が暮らしに困らない程度に使って、経済を回すなり誰かの助けになるように使うなりした方がいいと考えたのだ。

「情けは人の為ならず」ということばもある。
「御恩送り」ということばもある。
いただいた恩はまた困っている人に送り、いつかまた自分が困った時は助けてもらったらいい。そうやって持ちつ持たれつの精神でいるのが、自分にとって心地良い在り方になってきた。送る恩が偽善だろうが偏りがあろうが、無いより良いはず。だから後々の自分を苦しめない程度に節度を守って、やれることをやることにした。

先に東日本大震災の話を出したが、今年の元日に起こった能登半島地震は東日本大震災のようには重く取り上げられている様子がない。だが現地と関わっている人達のSNS投稿を見れば、まだまだ支援が必要な現状がうかがえる。
だから自分は、能登半島地震の被災者の中でも少女や女性のサポートを主に行っている団体に、自分の財布が持つ限りは、無理のない範囲で定期的に支援物資を送ることにした。一度にまとめてポンと支援物資を送るのも手かもしれないが、一回あたりは少しでも、なるべく長期的にサポート出来る方がきっと良いだろうと考えた。習慣化させていくことで被災地に思いを馳せられるのもきっと良い。

以前の自分とはまるで違う考え方になっていて我ながら驚く。自分が社会に支えられる側に回った経験は案外大きいのかもしれない。


現状、自分の生き様や思考を晒しているだけなので全記事無料です。生き様や思考に自ら価値はつけないという意志の表れ。 でも、もし記事に価値を感じていただけたなら、スキかサポートをいただけるとモチベーションがめちゃくちゃアップします。体か心か頭の栄養にしますヾ(*´∀`*)ノ