大会に出るだけがボディメイクじゃない
ボディメイクが流行しています。
筋肉をつけることで身体的な容姿を整えることや、健康的であることに価値を置く人が増えました。
ボディメイク界に身を置く者として、この状況をとても嬉しく思います。
しかし同時に、ボディメイクに苦しみを覚えるような人が増えているようにも感じます。
その苦しみには大きな要因があると私は思っています。
その大きな要因とは「比較」です。
比較のステージには2つあり、その2つとは「大会」と「SNS」です。
1.大会
大会に出場する以上、比較され評価されることは避けられません。
たとえば、こんなシナリオは容易に想像できます。
「半年間フラフラになりながら減量をしてステージに立ったのに、審査員に見向きもされず予選落ち。」
精神的なダメージはかなり大きいことでしょう。無力感に苛まれることでしょう。
これが大会の恐ろしいところです。
勝者は1人しかいません。
あとは全員敗者です。
敗者のなかには「なにくそ精神」で頑張れる人もいるでしょうが、年単位で一生懸命準備したものが一瞬で終わってしまうときに多くの人は「無力感」や「自信の喪失」を感じるのではないでしょうか。
2.SNS
SNSは「見える範囲」を広めてしまいます。
SNSが今のように発達していない時代には「ジムの中ではけっこう筋肉ある方だぜ」で十分な自信と充実感が得られていたことでしょう。
しかし、今の時代、SNSを見てみるとバケモノがたくさんいる。
筋トレが単純に流行っていて、才能のある人が参入してきているという側面もあるでしょうがそれ以上に「見えるようになった」ということが大きいように感じます。
写真の撮り方次第で実際の大きさより「盛る」なんてことは当たり前になっていますし、このような状況下では自分よりデカい人がたくさんいると思えてくるのも無理はありません。
実際には自分もそこそこのはずが、際限ない上空が目に付くようになったことで自分の能力を低く見積もってしまう人が多い。
つまり「筋トレしている人」という括りの中での自分の立ち位置を低く評価し、自信を喪失してしまう傾向が強まります。
3.自信の喪失
「大会」と「SNS」という2つの比較のステージにおいては自信の喪失が伴いがちなことを述べてきました。
この自信の喪失がいけない。これをメカニズム的にみてみましょう。
自身の社会的ヒエラルキーにおける地位に連動する神経伝達物質にセロトニンというものがあります。
サルの群れを観察するとボス猿はセロトニンの濃度が高い。
ここで、ボス猿をマジックミラー号のような装置の中に隔離した実験があります。
ボス猿からはほかの猿が見えるのにほかの猿からはボス猿が見えません。周囲への指示は届かず、ボス猿は自身の社会的地位・影響力の墜落を感じます。
このように、なんらかのきっかけでボス猿の地位を降ろされたサルのセロトニンレベルは低下してしまいます。
社会的な地位が低下することでセロトニンレベルが低下したサルは疲れ切ったように呆然とし、無気力になり、うつ状態になってしまいます。
自身の社会的な地位に関する認識がセロトニンのレベルを変化させる。うつ状態になり、物事が楽しめなくなる。
ボス猿がいない群れにおいてある猿を無作為に選び、セロトニンレベルを上げる薬を投薬をすると、その猿が突然指揮をとり始め「ボス猿」になるそうです。それほどまでに社会的行動には脳内生理の影響が強いことが示唆されます。
うつ病の治療にはセロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)というセロトニンレベルを変化させる薬が使用されます。これもまたセロトニンレベルが脳内生理ひいては社会的行動に大きな影響を持つことを示唆するでしょう。
ボディメイク大会での比較でも同じようなことが言えるのではないでしょうか。
「お山の大将」でいればセロトニンマシマシで自信を持った楽しい生活ができていたものを、大会に出たりSNSを閲覧したがために敗北を突き付けられ、自信やアイデンティティが崩壊する。
その苦しみはセロトニンレベルの低下として現れ、ポジティブな思考を難しくする。
これが豊かなボディメイクの形と言えるでしょうか。
そのように苦しむ人よりも、大会やSNSでの比較を受けない「お山の大将」として自分に自信を持っている人のほうがよっぽどボディメイクを楽しんでいると言えるのではないでしょうか。
何を隠そう、私がその比較の負の面に囚われた1人なのです。
高校2年生のころに筋トレに出会い、大学2年生で学生チャンピオンになりました。
3年間で学生チャンピオンになったのですから、その期間は自分でも相当に頑張っていたと言えます。
ボディビルが自分のすべてでした。
その後、大学3年生の学生大会で相澤隼人にボッコボコにされ、学生チャンピオンという私の中で大きかった「社会的地位」は失われます。
その後、うつ病を発症。
社会的地位を喪失したという認識がうつ状態のトリガーとなる。
面白いほど「ボス猿」の例と一致します。
(準優勝でも十分じゃないか、なんて声も届きそうですが、重要なのは「認識の変化」なのでしょう。)
うつ病には二大原因が考えられています。
①長期のストレスと②社会的地位の喪失です。
①減量(+日焼けギライ)=長期のストレス
②敗北=社会的地位の喪失
のダブルパンチ。
2018年シーズンは私にとってうつ病への道をまっしぐらに突き進んだ年でした。世界ジュニアも辞退。(ストレスでハゲたし、ほんとにいいことありませんでした)
(2019シーズンも使命感から大会に出場しようと減量をしましたが、やはり不安定な部分が出てしまい出場を断念しました。2020はコロナで延期。2021も挑戦するつもりでいますが、「精神第一」の価値観を醸成したので楽しめないと判断した場合にはすぐ切り上げます。そうなると次の出場を考えるのはかなり先になってしまうか、もうステージに立つことはなくなるのかもしれません。少なくともジュニア世代としての最後の年である2021年。これをしばらくの間「最後の年」とすることは決めています。)
私がうつ病に陥ってしまった大きな原因は、ボディビルのみが自身の価値基軸であったことでしょう。
ボディビルがすべてであったがために、それが失われた時どうすればいいかわからなくなってしまった。良くも悪くも、ボディビルに対して向き合いすぎていたのでしょう。
いま、うつ病が緩解してきたなかで思うのは、かつての私のようにボディメイクのみを唯一の価値基軸とすることはオススメしないということ。
当たり前ですが、多くのコミュニティと接し、その中に自分の居場所があることは社会的地位認識のリスク分散となります。
私は多くの交友関係を閉ざし、破滅的にボディビルに傾倒してしまったためにその後頼れる人もなくたいへん苦しい期間を過ごしました。
ふつうの社会的感覚を持っているのであれば「趣味でやってる筋肉対決で負けてうつ病になる」なんていうのは「存在しない日本語」と思われてしまうことでしょう。
それほどに異常な視野の狭さに陥っていたことをいま恐怖しています。
ボディメイクの楽しさは際限ないものです。
しかし「生活を捧げる」という特殊な性質ゆえに、ボディメイクに傾倒すればするほど社会的な孤立やその世界しか見えない状況につながりやすいと感じます。
みなさまにおいてはそのようなことがないよう期待します。
4.まとめ
比較することがボディメイクのすべてではありません。
本来豊かさを求めて始めたであろう筋トレ・ボディメイク。
その楽しみゆえに閉鎖的になり、視野が狭くなってしまうのは皆様の本懐ではないでしょう。
①大会に出ることがボディメイクのすべてではないことを認識する。
②SNSとの付き合い方を再考する。
以上の2つがキーとなりそうです。
みなさまがポジティブな豊かさに向かい、筋トレを楽しめることを願っています。
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