自己紹介 | はじめてのnote
はじめまして
図工教育人とはこんな人 パート1
みなさんはじめまして、図工教育人です。
学生時代は機械工学を専攻していたが、なぜか今は、小学校で図画工作科を15年以上教えています。
美術教育を専門に学んできたわけではない私が小学校教育の様子や日々考えていることについて発信していきます。
知的好奇心
ミニカーを2階から落とす。
私の幼児期はとにかく、母曰く、多動で落ち着きがなくとにかく動いていたらしい。
当時、私たち家族は、木造の2階建ての家に住んでいた。幼い私はミニカーが好きで、両親に何台も買ってもらっていた。
ただ遊び方が変わっていた。今から考えると危ない行為であるが、ミニカーを2階の窓から落とし、壊れた車体を拾いにいくことを繰り返していた。
今でもうっすらと記憶にあるのだが、内部構造が知りたかったことが理由。当時のミニカーは合金でできていたため、2階から落としても、簡単に内部構造まで見られるくらいの破壊はできなかったので繰り返し、同じ車体を落としていたようだ。
幼いなりに行動には理由があった。
時計の仕組みを知りたい
小学校低学年になると、2階の窓から落とすものが大型化する。当時の私の持っていた目覚まし時計はゼンマイ式でどうしても、内部構造が知りたかった。
硬いブリキで包まれた中身が見たかった。2階から落とし内部構造を見ることになる。ゼンマイの仕組みが金属の板が渦状に巻かれていることを知る。
ガンプラにハマる
小学校中学年になるとガンプラブームが到来する。同じクラスの同級生が模型店を営んでいたため、学校が終わると店に入り浸り、プラモデルを物色していた。
当時のプラモデルは単色で色は基本自分で塗ることになっていた。立体物に色をはみ出さず塗ることの困難さを経験する。
プラモデルを作り始めると食事をすることも忘れ、母に叱られた記憶がある。
同級生に外に遊びに誘われても、居留守を使ったほど模型づくりにハマった時期だった。
図工人になるきっかけをもらう
小学校で褒められたことは2度だけだったと記憶している。その一つが将来の図工教育人になることになったきっかけだった。
20代の女性の担任教員に図工の時間に作った作品を褒められた。その作品は250ml缶に紙粘土をつけて恐竜を表現したものだった。
今も写真があるが、評価はBだと自分では思う。
好きな音楽・ことに出会う
中学校では、部活には所属することなく、帰宅するとひたすらビートルズのレコードを聴いていた。初めて聴いて衝撃を受けたアルバムは『ラヴ・ソングス』だった。
ジョン・レノンが歌う「Girl」が当時一番のお気に入りだった。中学校の定期テストの結果が良いと母からビートルズのアルバムを購入してもらっていた。始めに手に入れたCDは「ラバー・ソウル」だった。
PCにも興味を持ち始め、中古で任天堂から発売されていた「ファミリーベーシック」でプログラムを打ち込み、松田聖子の曲を再現していた。創作活動としては、木材でアンティーク調のゴミ箱を父親と一緒に制作していた。
まだnoteの機能もよくわかりませんが、ものづくりが好きだった方おフォローお待ちしています。
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