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名札はデザインの入口

名札の形式

ぼくは、授業の中で、特定の名札のフォーマットを用意していません

では、どうしているか。

子供自身に作ってもらうようにしています

名札に使う紙は、図工室に常に端切れがあるので、基本的にはそれを使うように伝えています。

また、
・作者、作品名がわかること
・作品に合う色や形を考えること

を基本的な条件にしています。

たとえば、こんな感じ。
(作者名は、個人がわかってしまうので、マスキングしています。)

少しわかりづらいですが、スプレーを使った同じ題材です。

例えば、
1枚目は、題名にもスプレーを使うことで、作品の雰囲気と合わせたり、

2枚目は、土台の丸い画用紙に合わせて、丸っこい名札にしています。

3枚目は、1枚目同様に、スプレーを使ったり、四角い感じにしていますが、Rを落とすことで、より優しい雰囲気を出したいことが伝わります。


名札はデザインの入口なのではないだろうか

そんな名札の活動を常時、続けているときに、こんな考えが浮かびました。

「名札はデザインの入口なのではないだろうか」

基本的に、小学校図画工作では、学習指導要領上、
デザインの領域はでてきません。

自分の思いを表現する題材≓ファインアート題材が多くを占めます。

つまり、基本的には自分のために作品を作るわけです。

そんな中で、名札を児童自身に考えさせる、ということは、
自分のための制作から、作品のためのプチ制作の意識が発生していることに気がつきました。

「自分」ではなく「自分の作品」のためによりよい部分を見つけたり探したりすることは、中学、ひいては社会に出たときのデザインへの意識につながるのではないか、と思うようになりました。


作品自体は変化しない

条件とも違うのですが、名札に関して、折に触れて子供に伝えることがあります。

「名札や枠(額)は、作品にとっての洋服です。
人も、その人自身は変化しないけれど、着る洋服によって、よく見えた  り、悪く見えたりするよね。名札とかも一緒。作品自体は変化しないけど、名札がつくことでより良く見えると、とてもいいね。」
と伝えています。

後ろに貼る台紙の色だけで、印象は変わる。名札も一緒。


この感覚が意外と大事だと思っていて、

先にも書いた「自分のための作品」と「作品のため(自分のためではない)の名札」をシームレスにつなげる感覚が、小学生段階ではデザインを実感するのに必要なのかなあ、と思っています。

自分のために作ることを楽しむことも必要だけど、
自分のためではない造形があることをなんとなくわかっていく、みたいな。

そういう感覚を少しずつ実感していくことで、社会の中にあるデザインを見つけることができるのではないか、ということ。


もちろん、メジャーな方法ではないので、特に前例踏襲がはびこる学校文化では、眉を細める管理職や担任もいます。

だから、言語外の表現である図画工作だけど、
しっかりと考え、説明できる力も時として、必要かもしれません。

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