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535杯目:人生のグレー部分は、とても大切だというお話

先日noteに子育てでグレーの上の歩き方を書きました。
そのくらいグレーの部分というのは大切だと自分は思っています。
さらに、これをもっと長いスパン、一生で考えた時、やはりグレーが大切だということに気付きます。

ザックリいうと、子供の時期が白黒、お年寄りも白黒、その間がグレーと色分けが出来るのではないかと思うのです。
一つづつ説明していくと、

まず子供の時期が白黒について。
その時期の学びというのは、物事の良し悪し。
良いも悪いも判断がつかない時期なので、親や周りの人から教えてもらったり学んだり生活環境から学んだりしていきます。
嘘をつくのは悪いこと。
友達にいじめをするのは悪いこと。
人に迷惑をかけることは悪いこと。
など、子供の時というのは、まっさらな状態からいろいろなことを学びます。
なので、良いか悪いか…すなわち白か黒かということを学んでいきます。

そして物事の良し悪しの判断が、自分で出来るようになった時期。
そこからが応用で、時には嘘も必要(良い意味で)だったり、物事を丸く収めるために自分が悪者になったり…など、その時々のシチュエーションに合わせて、臨機応変に行動や思考を変えていく。
まさにグレーな部分が必要な事が多々あることを知ります。
逆に、子供の時期の学び、良いか悪いか白黒をハッキリするという思考から、この時期になっても抜け出せないと、バカ正直やバカまじめと言われたり融通の効かない人という、周りの人からの評価になったりします。
そしてそういう人は、その評価に悩んだりすることになります。
でも考えてみると、そういう人に同情するところはあります。
決して、その人の言い分は間違ってないのに、そのように評価されてしまうのが。
出来ることなら、良いものは良い、悪いものは悪い。で一生統一して生きていければ良いのですが…。
どうしても必要悪みたいな部分は出てきてしまう。

そして、お年を召してからの白か黒…
これは、子供の時期の白か黒かとは、全然意味合いの違う白と黒。
お年を召してくると、そのグレーな時期を過ごして、その時にたくさんの経験をして、環境によって思考も変わってきます。
その時期を抜けてきているので、自分のその時の経験や思考が強固な正解!と思ってしまうのです。
しかし、時代は日々変化しているので、その時代に合わせて思考や行動を変えなければならないのですが、そのグレー時代の成功体験やプライド等が邪魔をして、若い人の話を聞こうとしない。自分の昔の経験を押し付ける。いわば老害と言われたり、歳を取ったら頑固になった。と言われるようになってしまうのです。
それがある意味、歳をとると意味合いは違うけど、白か黒か思考に戻ってしまうという事だと思います。

一生の思考法は、白黒 → グレー → 白黒 ではなく、
白黒 →  グレー →  グレー になるように、思考停止状態になることなく、常に臨機応変に変われるようになりたいと思っています。
それは、決して芯がないとかブレているとかいう事ではなく、それが人としての懐の深さとか、人生の重みだったりだと思います。

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