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自分の生活圏が大好きなタカラジェンヌの写真集の世界になった話

私は北九州の大学生だ。
小倉の街を当てもなくとっつき歩いては、ある日は小倉駅のスタバで血眼になって締め切り間近のレポートを仕上げようと必死になり、ある日は失いそうな単位のことを考えながらぼんやりと井筒屋から紫川を歩き、ある日は友達と騒ぎながら旦過市場でにんにく鳥皮串を頬張る。
旦過中央市場の方までたどり着き、斎藤商店の目の前を通っては映画のセットみたーい!と言ってかっこつけてみるが、もうすぐ3限の時間だと気付いたので慌てて斎藤商店の前をダッシュして、駅の方まで飛んでいく。
戸畑には駅前にイオンがあって、その中の映画館によく行く。
映画を観終わったら、青い空に美しく映える朱色の若戸大橋を見ながらぼんやりする。
建設当初は東洋一のつり橋と謳われた美しい橋の下からは渡船が出ていて、戸畑側から若松側に行くことができるようになっている。
天気の良い土日に時間があると、ちょっといつもより足を延ばして門司港まで行く。異国情緒と日本らしさが交錯する不思議な港町を練り歩き、時には下関側へ渡って赤間神宮へ行って安徳天皇に思いを馳せてみたりして、歩き疲れたらさっさと電車に飛び乗って、帰る。
そんな北九州の街で大学生を送る私は、かれこれ10年目の強烈な宝塚ファンだ。大劇場に行ってからというものの、月組の月城かなとさんと海乃美月さんに心をぶち抜かれ、毎晩毎晩2人の出演作品を観て、夢に浸る。
しかし、宝塚から遠く離れた北九州の街で同じヅカファンを見つけるのは至難の業。
入学した大学内で必死にファンを見つけようと疾走したが、誰ひとりいなかった。むしろ、出会った学生たちに私がヅカファンであることを伝えると、「えー!宝塚?好きなの?あの大阪にあるやつだよね!宝塚ファン、初めて出会ったよー!大学生なのに好きなの?!めずらしー!」と口々に言われていた。
いやいや、宝塚は兵庫やがな…。大阪はUSJやがな…。と心の中でツッコミを入れつつ、苦笑いしながらも諦めの哀しい感情が湧いてくるのを抑えて、その場を立ち去っていくのが恒例。
ヅカファンとして孤独を感じながらも、Blurayの画面の中に佇んでいる月城さんと海乃さんを観る時間が本当に愛おしくて、2人が描き出す甘やかで優しい夢の世界と現実世界の境界を彷徨いながら寝落ちする。
そんな延々と繰り返される普通で何ともない日常を、私の日常と同じように普通で何ともない北九州の街をぼんやり見ながら送っていた。

そんな北九州での普通で何ともない日常のなかの、ある日のこと。
昨年の11月30日のことである。
講義の中間試験が実施される5限目の直前、ひと通り復習を終えてスマホを見ていた私のもとに、最高に嬉しいニュースが飛び込んできた。
大好きな月城かなとさんの写真集が、このたび出版されることになったのだという。あまりにも嬉しくて、すぐさまTCA(宝塚歌劇の公式出版社である、宝塚クリエイティブアーツ)の掲載サイトに飛んだ。
まだ表紙は出されておらず、値段が表示され、その次に写真集の紹介文が掲載されていた。
どれどれ…、いったいどんな内容の写真集なのね…、と読み進めると、そこには私を驚愕させる一文が載っていた。

訪れたのは北九州の港町・門司港。

自分の目を疑った。時は止まってしまったのか、周りの音がいっさい聞こえなくなり、この空気の中で私だけが動いているように思われた。
あまりにも宝塚にハマりすぎて、とうとう私も幻覚を見るようになったかと思った。それとも、中間試験の前に眠たくなって寝落ちした自分が、月城さんの夢を見ているのか…。それとも、まさか…げ、現実?
幻覚説、夢説、現実説の三説がただちに浮上したため、もう一度見た。

訪れたのは北九州の港町・門司港。

やはりそう書いてある。ほっぺをつねる。めちゃくちゃ痛かった。
どうやらこれは、”現実”らしい…。
幻覚でもなく、夢でもなく、現実だった…。
そう分かった瞬間、いっせいに私の体に電流のようなものが走った。
その電流は私の心臓まで貫いた。バクバクと音が鳴るのが、自分の耳にまで伝わってくる。やがて体温が上がっていく。耳も頬も、もう真っ赤だ。自分が今まで感じたこともないような柔らかくて穏やかで、とてつもなく強くて誰にも邪魔できない、あたたかい幸福感に包まれていくのが分かった。
嬉しい…、嬉しい…、こんなことってあるの…⁉
中間試験が始まる5分前の、ピンと張りつめたような講義室のなかで、私はひとり震えながら涙目になっていた。
19年間生きてきた中で、最も喜びを感じた瞬間だった。
門司港に行くたび、こんな素敵な場所なんだから、タカラジェンヌの誰かが写真集とかで来てくれないかなあ…と何度も何度も思っていたものだった。
大学帰りにふらっと寄れる港町、必修科目のレポートネタを求めに焼きカレーを食べに行く港町・・・、そんな場所だった。
タカラジェンヌと門司港という言葉だけでもドキドキが止まらないのに、なんと大好きな大好きな月組トップスターの月城さんと門司港である。
自分の目の前で起こっていることが信じられなくて、まるで私の頭の中を見透かされて起こったような出来事だと思いながら、呆然としていた。

そんな私をよそに容赦なく中間試験は始まった。
この中間試験に向けて、プリント見直しや教授への授業コメント、様々な予習に復習など、自分なりに様々な策を練ってきたつもりであったが、人生最大の喜びの前ではそのような策は全く役に立たなかった。
そもそも、問題文が頭に入ってこないのである。
「異文化」「理解」「文化相対主義」という言葉は私の頭の左から右に抜けて、私の頭の中ではひたすら「月城かなと」「Moonlit」「門司港」の3つの言葉が回るばかり。
なんとか正気を取り戻して試験用紙と向き合うものの、向き合って30秒でやっぱり正気が保てなくなってしまう。
なんとかして問題用紙を仕上げたものの、本領発揮とはいかず、半分も点数が取れているか分からないところで時間がきて、提出した。
落単の予感しかしないと思いつつも、あまりにも嬉しくてその日はルンルン気分で帰った。大事な科目の中間試験で大失敗をしたくせに、こんな幸せな気分で帰る学生なんて私ぐらいと思いつつ浮かれていたら、あまりにも浮かれすぎて帰りのバスでバス停を1つか2つ、乗り過ごしてしまった。
いったいどんな写真集になるんだろうか、月城さんが門司港に?どういうこと?ってかこの前私、門司港行ったぞ…、学校帰りにレポートのネタ集めのため、とりあえずまあここ行っとくか、みたいな感じで…。
そんなことを考えていると、ついうっかり1つか2つ、乗り過ごしてしまったという訳である。大慌てで降りますボタンを押して、バスの運転手さんに謝ってバスを降り、帰り道では今度の日曜日は暇だし晴れるから絶対に門司港に行こうと心に決めて、家にやっとたどり着いた。

その週の日曜日は門司港に行き、1日中ずっと歩いていた。
朝の10時から夕方6時までひとりで門司港を歩きっぱなしだったが、全く疲れることはなかった。ひとりで門司港を歩き回っているあいだ、ずっとずっと心がワクワクしていて、本当に楽しかった。
8時間も同じ街をひたすら歩き続けるなんて、いったいなんの苦行かと思う人は思うだろうが、私にとっては苦痛でもなんでもなかった。
家に帰ってから、歩きすぎて足が痛くなっていることに気付いたが、翌朝には良くなっていた。私の場合、筋肉痛になると治りが悪くて、完全に痛みが引くのに2~3日はかかるのに…。
心から大好きだと思える人やものに出会った人間は、疲労や痛みなんてものともしない妙な力を持つのかもしれない…とこの時に思った。

それから1か月半ほど経ち、ついに月城さんの写真集が発売された。
1月23日に発売だったが、事前にTCAのサイトから予約していたので1月21日には自分の机上に写真集が届いていた。
カクテルグラスを傍に、なんとも言えない視線で月城さんがこちらを見つめている…。そんな表紙だった。
絶対に現実には存在することがなく、触れれば散ってしまうような儚さをもつ、不思議な、でも究極に美しくて立体感のある男性。
そんな男性像が宝塚歌劇の舞台をはじめ、月城さんの描く世界の中には常に存在しているなあと感じていたが、その表紙からはあまりにも濃く、その存在がずっしりと迫ってくるように感じられた。
これは凄い写真集になってるぞ…と思いながらページをめくっていくと、まさに匂い立つように美しい月城さん…、いや、月城さんが演じる、儚くて美しい男性が門司港駅に佇む写真から始まった。
自分の生活の範囲内である場所が、どんどん月城さんの世界に染め上げられていく。
現実の世界と夢の世界が一瞬だけ顔を見合わせ、お互いの存在に気付いては、ほんのりと微笑み合い、ゆっくりと近付き、やがて慎重に丁寧に重なり合っていく感覚だった。
自分の生活という現実世界の縁と、月城さんが演ずる男性が佇む場所という夢の世界の縁が、一辺一辺綺麗に余すことなく重なり合い、見たことのない鮮やかさと光を放っていくのが手に取るように分かった。

さらにページをめくっていくと、もっと見慣れた場所が目に入った。
小倉駅から少し歩いたところにある、あの旦過市場である。門司港だけでオールロケを行ったわけでは無かったのだ。私が友達と、もしくはひとりで大学の行き道や帰り道に寄ってはニンニク鳥皮串を頬張る、あの場所。
しかも出てきたのは、あの斎藤商店。
私と友達が講義に間に合わないと気付いてダッシュしていたあの場所を、月城さんもダッシュしていた。
どんどんどんどん…瞬く間に、ページをめくるたびに、私の現実世界が月城さんの世界に染め上げられていく。重なっていく…。
すべてを読み終わる頃になると、現実の世界線と夢の世界線が重なった、摩訶不思議な世界が自分の目の前に広がるようになった。


私は大学生なので、当たり前だが毎日毎日大学へ通わなければならない。
雨の日でも、風の日でも、鬱屈とした気分なので行きたくない時も、単位のため単位のため、ただただそれだけを考えて大学に行かなければならない。
たまにサボりたいと思ってそれを実行してしまう時もあるが、とりあえず毎日行っておかなければならないのに変わりはない。
それなのに、毎日大学へ通うのがとても楽しくなった。
代り映えしない、何ともなかった風景がキラキラして見え始めた。
当たり前のことだった。大好きな月城さんの写真集の世界が、私が毎日見つめる風景そのものになってしまったからだ。
逆を言えば、私が毎日見つめる風景そのものが、大好きな月城さんの写真集の世界になってしまったからだ。                
自分がさそくさと大学に通い、眠たくなりながら授業を受けて、授業が終われば遊びに行くその街は、大好きな人の夢の世界に染まっていたからだ。

大学の期末試験が終わってひと段落すると、写真集に出てきた場所を詳しく回って見ることにした。
門司港の三宜楼、門司の赤煉瓦プレイス、小倉の小倉ダンス、旦過市場、戸畑の上野ビル・・・。まだまだ沢山あるし、どこもすべて本当に素敵な素敵な場所だった。月城さんが演ずる、儚くて美しい男性の気配が色濃く残り、自分も写真集の中に入り込んだような錯覚を覚える。
後ろを振り返ればその人が居るんじゃないか…?というほどに気配が残っていて、自分の近くにあるはずの場所なのに、どこか遠くの現実離れした場所に来たようだった。
そして、行く場所行く場所それぞれで働いていらっしゃる人達が、本当に私に対して親切にしてくれた。私が宝塚歌劇が、月城かなとさんが大好きでここに来たことを伝えると、撮影の時の話をたくさんしてくれ、私が宝塚歌劇や月城さん、そして相手役の海乃さんの話をすると、とっても真剣に聞いてくれた。帰り際にはどうか気を付けて帰って、また来てね、いつでもおいで、と優しく言って、必ず見送ってくれた。
帰り際に突然雨が降ってきてしまい、傘が無いから仕方なくずぶ濡れになって帰ろうとした時には、傘を貸して下さる人もいた。
場所が素敵だったのはもちろんのことだが、その場所それぞれで出会う人たちがあまりにも親切で優しくて、写真集が無ければ出会うことも喋ることもなかった人たちに出会わせてくれた月城さんに感謝した。

もともと私は、北九州で大学生活を送ることを望んだ身ではなかった。
宝塚歌劇団の本拠地からほど近い関西の大学に通い、ひたすら大劇場に通おうと心に決めていたが、結局関西の大学に進学することは叶わなかった。
両親が大劇場に酷似した美しい南欧風の家を北九州に買って住み始めたことや、国公立大学で実家通いなら費用が安いこと、それなら外部大学院だって目指せることをメリットとして捉えて、なんとか今の大学に進学した。
しかしながら、やはり島流しにされたような気分で大学に通っていたので、このままで良いのだろうか、本当にこれで良かったのだろうか…と複雑で様々な感情を抱いていた。
今だって将来に対する不安は物凄いし、全く見通しのつかない不透明な生き方をしていると自分でも思っている。
しかし、あの写真集「Moonlit」の世界が重なった北九州の街を見ていると、あと数年は北九州の街で頑張りなさい、あなたはここで頑張るべきだと優しく励まされているような気がしてならないのだ。
実際、大好きなタカラジェンヌが自分の街で、しかも自分の通う大学の近くで、いつもの道で、退団前最後の公式写真集を撮ってくれるなんて凄いご縁だ。同じ県内でも凄いと思うのに、まさか自分が毎日見つめる景色のなかでそんな出来事が起こるとは…。
何か不思議な、目に見えない力が働いては、私の肩を叩いているような気がしている。これは若い頃にありがちな、自意識過剰で勘違いの賜物なのかもしれない。
しかし、一度そう感じたのなら…。せっかく大学でやりたい学問だって見つけたのだから、自分の選んだ北九州という街であと数年、外部大学院に向けて頑張ってみようと思う。

兵庫や東京からは随分かけ離れた北九州の街に、写真集撮影のためにわざわざ来てくださった月城さん、写真家のmarcoさん、その他のスタッフの人たち、北九州フィルムコミッションの人たち、発売して手元に届くかたちにしてくださったTCAの人たち…には、もう感謝でしかない。
「感謝」という単純な二文字で表すにはあまりにも足りな過ぎるほど、本当に本当に感謝している。
おかげで私の毎日はあまりにも楽しくなったし、なによりあと数年、2つの世界線が重なった北九州の街で自分の目標に向かってちゃんと頑張っていこうと心から思うようになった。

電車に乗る私の目を直撃する洞海湾の眩しさや、遠くに見えては凄まじく上り続ける工場の排煙、騒がしくて治安が悪いけれど人情のあるチャーミングな小倉の街…。北九州の街は今日も本当に美しく、現実の世界と夢の世界を重ね合わせながらその風景を見せ、私の背中を押し続けている。

2024年 3月13日 旦過市場の入口付近にて
筆者撮影

















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